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どうか私を見ないでください。


来るべき日はそのうち来なくなる。菩提樹に繋がれた鎖は明らかに僕と世界の大きな断絶を表象して、拒む力、それ自体を無力化していく。ディストーション、蚯蚓脹れ、胸の間。呼吸をする度に刻まれていく赤い日々。太陽に照らされて構築された僕と世界の影の前に、僕は跪いて、不能者になる。


「なにをどうしたらいいのだろう」

「アルペジオの階段を昇って行く」

「あなたに裁きを与えます」

「どうして」

「悲しそうな顔をしているから」


どうか、温もりのなかで私をそっと壊してください。壊れないように。光を被った白い布は基軸への射影を断行して、自己の影を、胸を開かせる。告白の祈り。


海の欠片を拾った。月の形をしている。身体によって感覚された事象は言語による完全な伝達可能性を持ちえない。だから、爛れた手、離さないで。番のまま。檻の中で。祈る。燕の遺体に向かって。魂を吸い込んだ林檎は腐り、透明な水槽にばらまかれた水色のレーテを掻き集め、飲み干す。


塔に幽閉されたイメージ、眼が開かれることはもうない。弁証法の光は効力を失った。蒼い炎に照らされた夜は小さな世界を塗りつぶして、白い虚脱感に包まれたまま、一向に眼を覚ますことはなく、殺害された意識が僕の前に表れる。


「世界のなにかが終わっていくのをみていた」

「それで、君は、どうなったの」

「天使が不安の影を落としていった」

「しまったものですら失ってしまって」


扉が叩かれる。彼女ではない何かが私を騙しにやってきた。静謐な塔。器。肉体。甘い香水の匂い。ロヒプノール。マタイ受難曲。象徴。悪魔。僕は知らない。


「少しだけ質問があります。小さなミモザ。薔薇のワルツ。セピア色の壁紙。陽光で色褪せた大輪の花たち。記号論的回転スピン。サン=ブノワ通りのマルグリット。両性具有的融合。両生の対立には干渉せず。」(1)


見えた?竣工途中の砂山。過去をスパイスに、現在を屠る僕らの描像。涙の湖で踊る人魚。慈愛。綺麗に終わった?墓地のように並べられた言葉。強い風が持っていってしまう。


四季、遠い香りが飛び越えて足元に。光で何も見えない。駅のホーム。あなたのかたち。靡いて、音も立てずに、綺麗な円を描いて消える。もう何も聴こえない。だから眼を覚ました。時間をほぐして、編んで、見えるよう、聴こえるように笑って。



煙。アセトアミノフェン。サナトリウムの窓辺。本初子午線の前。渇いた口。失くしたもの。蔑まないで、どうか。吐瀉物をみて、僕は果てしなく恥辱を覚える。


「私が想像するに、時間が経てば、これらの三つの樹皮の断片は両側とも灰色に、ほとんど白くなるだろう。私はこれらを取っておくのだろうか、しまい込むのだろうか、そして忘れるのだろうか。」(2)



「ずっと怯えている」

「どうして」

「後ろめたいからかもしれない」

「そんなふうにはみえないけど」

「どうして僕は神様になれなかった?」

「痛みを感じて、言葉を話すから」


召還された意識。シュプレヒコールの晩餐。割れた器の上に盛り付けられた生肉。崩れていく城。眠り姫。棺。サイレン。完全を望んでいる。machina。


肉体の不浄さ加減に呆れた者どもは機械の身体を求めている。選択的意思の破棄。苦悩は選択から導き出される最もくだらない賭けの結果である。



「―私は死んだ、実際に死んだのだ、それに私の死は医学的に確認された。その後、私は戻ってきたら彼方から戻ってくるひとりの人間のようにだろうか?そして私はこの彼方も覚えている。」(3)


覚醒した。ブローニュの森。繭に包まれて、赤く腫れた。コーカサス山脈。腐った船。ちゃんと唄が聴こえる?告解のしらべ。天使のつわり。切り刻まれていく感覚。隅々まで把握して、次元を落としていく。


「なんのために泣いている?」

「わからないの、誰かを傷つけてしまったから?」

「僕たちは天使じゃない」

「わかっている、それでも所望してしまうの」


「あなたの闇
断絶が背筋をこわばらせ、吐き気を催す−
蜘蛛のような、危うさ。」(4)


黄色いアヒルの嘴に隠されたコインの行方。断片的なエスキース。檻の外から監視されているような気分。街の温度が沈み、脱皮をはじめる罪人。月の光と埃にを撒き散らした残骸。なにももたない体。吐き気が催すほどの優しさ。壁、床、机、叩く音とばらばらに乖離していく空間 。満月に照らされた赤い血を流す貴方の瞳。青い靴の行方は?


眼の縁に溜まった涙。波のように揺れ、戯れる人魚の番。愛し、交わり、産み堕とし、殺害される、ソレ。淡い蒼色の焔に包まれて壊れていく小さな世界。終焉。


「俺の命は擦り切れた。さあ、皆んなで誤魔化そう、のらくらしよう、何というざまだ。戯れながら暮して行こう、きっ怪な愛を夢みたり、幻の世をみたり、不平を言ったり、」(5)


白い空間に対置された一粒の砂。ゆっくりと開かれた傷口からとびだす聴衆。演説まがいのカーテンコール。こめかみに向けられた銃弾は貴方の喉元通り過ぎて落ちていく。オレンジ色に映し出された、世界の登場人物になれなかった彼らの悲しいお話。


「Hallelujah, Hallelujah, Hallelujah」


文献

(1)フェリックス・ガタリ『リトルネロ』、宇野邦一・松本潤一郎訳、みすず書房

(2)ジョルジュ・ディディ=ユベルマン「樹皮」『場所、それでもなお』、江澤健一郎訳、月曜社

(3) アントナン・アルトー「アルトー・モモのほんとうの話」『アルトー・コレクションⅡ アルトー・ル・モモ』、鈴木創士・岡本健訳、月曜社

(4)シルヴィア・プラス 「サリドマイド」『Ariel』、拙訳

(5)ランボー 「光」『地獄の季節』、小林秀雄訳、岩波書店

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