Akiya

解毒される樹海

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    勉強がてらに纏めたものです。

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最近の記事

どうか私を見ないでください。 来るべき日はそのうち来なくなる。菩提樹に繋がれた鎖は明らかに僕と世界の大きな断絶を表象して、拒む力、それ自体を無力化していく。ディストーション、蚯蚓脹れ、胸の間。呼吸をする度に刻まれていく赤い日々。太陽に照らされて構築された僕と世界の影の前に、僕は跪いて、不能者になる。 「なにをどうしたらいいのだろう」 「アルペジオの階段を昇って行く」 「あなたに裁きを与えます」 「どうして」 「悲しそうな顔をしているから」 どうか、温もりのなかで

    • 青緑

      夢を見ていた。青く澄渡る空の下でソファの上に力なく横たわる僕がいた。いやらしく光る液晶の向こうで君が強姦されていた。きっと何かを忘れていたんだ。でもなにを?僕は太陽を見て、眼を潰した。それでも君の声が聞こえてくる。耳は?耳を削いでくれる人間はいないのか? 微睡み。靄と緑に包まれた朝。カーテンの隙間からいやらしく顔を出す光。騒がしい工事音。冷たい。重たい。温かい布。見えない線。ずっと貴女の眼を待ってる。見開いて。痛み。傷。痕。拭いきれない。過呼吸。記憶を失った。

      • ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』 レビュー

        形とは様々なかたちとして表れる。内―外を隔てる境界線、光―影のコントラストによるシルエット、そして常時性。寡黙な男は機械化された日々を淡々とこなし、固定化された時間変化の中、その時間概念を沈黙により、外界を遠ざけることで捨て去る。ルーティン化すること=ハビトゥスは自己を閉ざすこと、潜勢力を保存し続けることによって達成される。 身体によって成される透明な〈かたち〉、身体の自由度を自己の意思で束縛することによって生じる小さな天使、この天使の存在を映画という断片化されたイメージに

        • 天使の記号学 第2章 読解

          第2章 欲望と快楽の文法人間にとって欲望は<悪>なのか?という問いが投げかけられる。人間は理想化した存在である天使と現実の落差に絶望し、自らの肉体に<悪>を見出そうとする。欲望は本来、生命を維持するための外側に働きかける力であるが、生命の誕生が性的欲求その働きかけから生じる性的行為が源にある以上、生命の誕生それ自身が穢れあるものと捉えられる。著者は欲望が<悪>であるはずがないと述べているが、前章で述べられた意志による障碍が<悪>なのではないだろうか。ただし、ここで述べた意志は

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          天使の記号学 序-1章 読解

          勉強ノート的にしているのであしからず。 序章 天使主義的飛躍一方から他方の間に断絶があるとき(肉体と精神)、無媒介で飛躍すること、すなわち天使主義的飛躍が生じる。しかし、媒介を介するということは、すなわち肉体-媒介-精神という伝達形式が成り立つとき肉体から精神へ、またその逆においても齟齬が生じる。人間は本質のみによっていきることは必然的に無理難題を突きつけられており、間違いだらけの社会を生きなければならない(私自身、ここには「諦め」というニヒリズム性及びグノーシス主義を受け

          天使の記号学 序-1章 読解

          バタイユ 人間と自然の対立についての二つの断章 読解

          人間と自然との対立は人間が自然の錯綜のしがらみから抜け出し、理性的な純粋さへ自らを還元するとき、すなわち自律することへの運動の過程で生じる。 人間存在は自律という運動の最中、自らの錯綜が自然の錯綜に従属していることに気づく。人間存在は媒介を必要とし、錯綜状態の従属から抜け出すために神や理性といった、純粋であると考えうる媒介を求める。しかし、神や理性は錯綜状態と関係しているため、それゆえに純粋ではない(天使主義的な危険性を孕む)。 キリスト教的自然は誘惑と命令の二重性を帯びてお

          バタイユ 人間と自然の対立についての二つの断章 読解