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ホログラフィーアートは世界をめぐる 第6回 ブラジル紀行

青紫の桜・ジャカランダ

 今年の夏(2018年6月),国際会議でリスボンを訪れ,偶然ジャカランダ(図1)の満開の季節に遭遇した。ホテルに面する通りの街路樹が青紫一色に染まっている光景を目にした時,感動と懐かしさがこみあげてきた。私は,初めてジャカランダを目にしたブラジルを思い出した。サンパウロの街なかに多く見かけたその木の風情は,木の姿,枝のはりかた,満開の花の様子,花が散ると木の根元一面が花色に染まった絨毯で覆われる様子など,まるで紫の桜の木としか表現しえない光景であった。その驚きは「南米に紫の桜がある!」と心の中で叫んでしまうほどだった。葉も花の形も木の種類もまったく別ものであるにもかかわらず,その満開の様子は桜を彷彿とさせるものだったのである。日本でも,鉢植えなどで最近は知られるようになったが,大木を見る機会はまだない。ジャカランダは世界三大花木(桜は残念ながら入っていない)と言われているそうだが,その中に,鳳凰(ホウオウ)木(ボク)というのがある。これは真っ赤な花を枝一杯に咲かせる高木である。実は,昨年(2017年)このホウオウボクにも台湾の国立交通大学の台南キャンパスの中で出会った。真夏の台南のうだるような暑さの中,目の覚めるような鮮やかな満開の赤オレンジの花にシャッターを切った1枚が図2である。
 サンパウロでアーティストのアトリエを訪ねたとき,面白い作品プランを見せてもらったことも思い出した。壮大な環境アートのプロジェクトであった。道路の両側に花木の街路樹を植え,数十メートル(あるいは数百メートル)ごとに木の種類を変えて,7色のレインボウの演出をするというものだ。実現したのか尋ねると,まだアイディアだけとの話だったが,ジャカランダの木を知り,日本ほどはっきりした四季の変化がないサンパウロでは,このプロジェクトもあながち絵空事とは言えないかもしれないと思ったものだ。
 初めてサンパウロを訪れてから14年後,セビリア万博がきっかけとなり,1993年,1995年の2度に渡ってこの地を訪れる機会に恵まれた。そのいきさつについては前にも少し触れたが,日本館でホログラムを見たサンパウロの芸術大学の教授でアーティストのルイス・ギマレス・モンフォールトが,彼の企画した展覧会“国際映像技術”に私を招待してくれたのだ。会場のセスキポンペイアは,サンパウロ市内の古い市場の跡地を再開発してできた芸術文化の複合施設であった。小劇場,映画館,ギャラリー,イベントスペースなど多様なジャンルが網羅され,いろいろな国際的催しが開催されていた。展覧会はオープンスペースを利用し,多様なメディアによる表現の作品がインスタレーション形式で展示された。

東京,サンパウロ,ヨハネスブルク

 出品作家はブラジルのほか,カナダ,フランス,南アフリカ共和国などから来ていた。その中には,ロチェスター工科大学で学んだルイスの留学時代からの友人で,その後活躍しているアーティスト達も,この実験的な展覧会に招かれていた。ヨハネスブルクからの写真をメディアとする,アングロサクソン系のある女性アーティストは,気さくな人柄で,少し親しくなった時,私はつい不躾な質問をぶつけてみた。それまで南アフリカの人と出会ったことがなかったし,数年前(1990年)までアパルトヘイトが現存していた時代であったからだ。普段の生活の中にも差別はあるのか? それをあなたはどう感じでいるか?など,私は彼女に単刀直入に聞いた。すると,子供時代は家にメイドがいて傅かれる生活をしていたという。彼女のおばあさまの世代では,差別は日常のあたりまえの振る舞いであったらしい。差別はされる側はもちろんのこと,する側に立ったとしても,私にはuncomfortableなことだと伝えると,子供時代は日常の普通のことだと思っていたが,今は違う感覚だという返事が返ってきてほっとした。いろいろな国の作家同士が,滞在中に準備作業などを通して知り合い親しくなれることは,国際展に参加する醍醐味の一つである。
 1993年の最初の展示では,事前に会場の様子もわからず,主催者は航空会社の後援を取り付けることができなかったため,作品の輸送費を捻出できなかった。そこで,私は急きょホログラムのフィルムをロール状にしてスーツケースに入れてハンドキャリーすることにした。ところが,展示するつもりのホログラムのサイズがスーツケースに収まらなかった。しかたなく,収納できるサイズに合わせて短辺をさらに小さくカットし,70 cm×140 cmのレインボウホログラム草原シリーズ(図3)を展示することになった。アクリルは現地調達した。会場では大きなホログラムの設営は初めてで,照明の位置合わせも苦労した。周りの環境も明るすぎると再生像は昼行燈よろしく効果が薄れてしまう。引きがなくホログラムに近づきすぎると画像は良く見えない。展示状況は妥協の産物となった。
 少し小さくカットされたこの草原シリーズのホログラムは,持ち運びやすいという理由から,2008年国立台湾師範大学で開催されたHODIC in Taiwan 2の展示用でもハンドキャリーし,現在は師範大学の公館キャンパスの正門を入ってすぐ左側の綜合館の玄関ホールの壁面に常設されている。ホログラムはフィルムのままでは常設に適さず特別の加工を施したが,この話題は後にあらためて触れることにする。

アマゾンとイグアスの滝

 1995年,3度目のブラジル行きが現実となった。前回の準備不足を解消し,もう一度良い条件で展示するように再度招いてくれたのだ。ブラジルは日本と地球の反対側,通信手段も移動の時間も費用も,ヨーロッパや北アメリカに旅するのとは大いに事情が異なる。そのような国へ3回も招待されるとは,こんなありがたくうれしい話はない。よもや4度目の美味しい話はありえないだろうし,自費で渡航するには高嶺の花すぎる。これがブラジルを訪れるラストチャンスかもしれないと考えた私は,展示以外ではこれまで試みたことのなかったブラジル観光を決行することにした。
 展示は前回同様にレインボウホログラムをフィルムだけ持って行くことにした。ただし,サイズは110 cm×170 cm。長い筒に入れて手荷物で機内に持ち込んだ。その他設営に必要な素材のすべては,現地で準備してもらうように手配した。水を取り入れたインスタレーションで,ホログラムの後ろの床に水を入れたプールを置き水滴を垂らす。その中にミラーを沈ませる。水中のミラーに反射した光で画像を再生すると,画面上に波紋が同時に映し出されるという具合だ。ホログラムをアクリルにサンドする作業や仮設のプールの制作,照明の準備のほか,周囲の外光を遮るため,オープンスペースの展示会場の中はこの作品のためだけの仮設の特別な天井付き小部屋が用意されていた。展覧会終了後は,現地のスタッフが作品のホログラムだけ,もとの筒の中に収納し梱包して日本に送り返す手はずである。
 展覧会がオープン後,私は早速前から計画していたイグアスの滝とアマゾン観光を実行に移した。サンパウロにはトータルするとそれまでひと月半の滞在になるが,ほとんどこの街から出たことはなく,初めての遠征である。アルゼンチンとブラジルの国境にあるイグアスの滝は世界三大瀑布と言われ,サンパウロから飛行機で2時間ほど。機体は正確に覚えていないがセスナのような小型機だった。朝の便であったが,滝に近づくと,機体は滝の上空を旋回し,平らな大地にできた大きな割れ目にすさまじい水量がのみ込まれていく様子が手に取るように見えた。
 現地で頼んだ日系移民三世だというガイドが空港で迎えてくれた。アルゼンチン側の滝の上からのぞく光景は太陽があたる午前中が良いというので,まず車でそこに向かう。途中,立ち枯れた高い木の枝に,ブラジルの国鳥,オレンジ色の大きな嘴のトウッカーノ(オオハシ)が数羽止まっているのを見かけた。絵本のような光景だった。目的地まで約小1時間で到着。国立公園に入り,歩いて森を抜けると,まっ平らな沼か湖のような風景が広がっていた。水上にかけられた遊歩道を歩いて先端にたどり着くと,突然大地の割れ目が目の前にあらわれ,大量の水が轟音とともに吸い込まれていく。滝は大地の縁からカーテンのように連なり面となって落下していた。私が立っている場所は悪魔の喉笛と呼ばれる滝の上。しばらく呆然と大自然のなす光景を眺めた後,滝つぼに近づくボートツアーに参加した。イグアス川をさかのぼるツアーだが,絶壁を背景にした狭い川岸にくつろぐカピバラファミリーを発見した。大きな野生動物はまるでぬいぐるみのようにカワイイ感じであった。その後,ブラジル側に移動し,滝の前のホテルに宿泊する。滝へのトレイルはホテルから始まる。到着した当日,そして翌朝も,滝つぼの近くまで散歩した。霧でびしょぬれになりながら,滝のカーテンの壮大なスケールを満喫した。後日,日本でイグアスの滝のTVの1時間番組を見たが,実際の迫力とあの感動はTVの映像からはどうしても伝わってこなかった。
 次は,熱帯雨林の大河アマゾンを訪ねることにした。まずマナウスに飛んだ。マナウスはアマゾンの中流部,サンパウロから北西に飛行機で4時間以上かかる地だ。19世紀にゴムで繁栄した都市で,街の中心に建つオペラハウスは,イタリアからすべての資材を運んで建てられたという総大理石の豪華な建築物でとても驚いた。今は,ゴムの生産地はアジアに移ってしまったが,往時の繁栄ぶりが偲ばれる。ここから船で広い川幅に静かな水面を小1時間移動すると,目的のアリアウタワーホテル(図4)に着いた。ここは唯一のジャングルホテルで,木造の高床式の建造物で,床は地上から20 mほどの高さだった。雨季には,川の水面が上がるため濡れるのを避けるためだという。他の建物に移動する渡り廊下は木々の間をぬって張り巡らされており,ちょっとしたターザンになったような気分だ。料理にはミネラルウォーターを使いふんだんにフレッシュ生野菜を使った料理も並ぶ高級ホテルでもある。
 ここでは,アマゾンならではの面白い体験ができる。突然,外の騒々しい音に驚き,部屋の窓を開けると,木々の間からバケツをひっくり返したような水の塊がドバーっと絶え間なく落ちてきた。雨である。まさに豪雨だ! しばらくするとやんだ。広大なジャングルにこんな雨が降るなら,川の水面が15 mも上がるのもうなずける。乾季に実を付けた木が雨季に水没し,魚がその木の実を食するという。そういえば,船から見た川の水の色が透明なセピア,コカコーラの色にそっくりだった。これは,水没した木の樹液で水が染まった結果だという。
 マナウスは透明なコーラ色の川と泥を含んだ黄土色の川の合流するところにあり,2色に分かれたまま流れる川の様子も船から見ることができた。ホテルに2泊したが,散歩しに渡り廊下に出ると,手すりにカラフルな大きなコンゴウインコが2羽とまっていた(図5)。近づいても飛び立とうとしない。周りを見渡すと,周囲の木の枝にも鳥たちがいた。そうか,彼らの生活圏にわれわれがお邪魔させてもらっているのだと知った。レストランでは,小さな野生のサル(子供ではない)が遊びに来ていた。

牛肉で魚を釣る

 滞在中,いろいろなツアーに参加した。その1,ピラニア釣り。ガイド付きで5~6人乗りの小さなボートで出かけた。川の真ん中で1 mの竿の糸の先に牛肉の塊を掛ける。水に投げ入れ, 竿で2~3度バシャバシャっと水面をたたいた後,すぐに竿を上げる。すると,15~20 cmのピラニアがかかっている。これが面白いように釣れる。少し長く水中に入れたままにすると,ほぼ餌だけ食べられてしまっている。釣り上げられた魚は間違っても手で外すなどしてはいけない。すさまじい歯で大怪我をしてしまう。ガイドはボートに釣り上げられたピラニアを手際よく頭をたたいて気絶させてから,つかんでバケツに入れた。ホテルの夕食で,この魚を料理して出してくれた。からあげだったが,白身のタイのような淡泊な味で美味しかった。何しろ牛肉を食べているのだから。その2,ワニ狩り。これは夜のボートツアーだ。水面に明かりを照らすと,目だけ出しているワニを発見。ガイドが1 mくらいのものを捕獲し,桟橋まで連れ帰った。陸にあげると,なんと死んだふりをしてびくとも動かない。ワニを目の前にするのも一世一代と思い,おっかなびっくりワニを触ってみた。筋肉質で弾力がありサラっとしていた。想像していた感触とまったく違っていた。しばらくしたら,突然韋駄天のごとく川に帰っていった。
 ブラジルは話題が満載で,つい長くなってしまった。私の筆無精も影響し,ここで出会ったアーティストたちとはその後,長い間音信不通になっていた。ところが,インターネットが地球を小さくした。昨年,ルイスとフェイスブックを介して再会した。そして,サンパウロで出会ったパリからのアーティストの消息を聞き,昨年5月のホログラフィーアートグラントのパリの展覧会で,20数年ぶりに再会を果たせた。やはり地球は小さくなったようだ。

(OplusE 2018年11・12月号掲載。執筆:石井勢津子氏。
ご所属などは掲載当時の情報です)

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