見出し画像

俺は変われるのか【祖母追悼編】

先日、母親代わりの祖母が亡くなった。

小学一年生の頃だっただろうか、私は色々な事情で祖母に預けられた。
私が社会人になるまで側で見守ってくれていた、強くて頼もしい祖母であった。

小学生の頃、喧嘩ばかりしていた悪ガキの私の代わりに教頭と校長に謝ってくれたり、中学生の頃、色々なクソガキに狙われていたせいで喧嘩で怪我をしても叱咤激励をしてくれたり、高校生になった頃、ちょっと悪い事をした私がお巡りさんのお世話になり、深夜の警察署に迎えにきてくれたり、本当にお世話になった。

当たり前の存在が、いつまでも生きていると思っていた存在が、突然居なくなってしまった。

私の唯一の理解者、唯一の庇護者であった祖母が居なくなってしまった。

とにかく寂しい。

そんな祖母の話だが、祖母はとある宗教を長年していた。小学生の頃に預けられた私と言えば、当然、宗教活動に熱心な祖母からみっちりと宗教の教育を受けた。
しかし、私は社会人になり、その宗教からは疎遠になっていった。

個人的な認識となるが、宗教というものは、その宗教を通じてより良い日々を送る為に学び、人として成長し、そしてそれらを実践して人を助けていくものだと思っているが、祖母を通じて出会ったその宗教をしている人達はそのようにはみえなかった。
全員ではないが、殆どの人は利己的で、教条主義的で、更には思考の放棄をし、宗教をしていない人、又は疎かにしている人を激しく非難し、時として人格を否定するような事もあった。

私はそんな人達のようにはなりたくないと思い、宗教からは「疎遠」から「忌避」へと変化していった。

祖母の遺言に、「自身の葬儀はその宗教の方式で行ってほしい」との事であったので、その遺言通りに葬儀を執り行った。

私は祖母との最後を、数十年振りにその宗教の方式で冥福を祈念した。

これで祖母とも宗教とも、本当にお別れだ。

ありがとうございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?