歴史の年表を書いてみた話 第4回
年表話。第4回目
これまでの経緯はこちらのマガジンをご覧ください。
今日は2019年2月に書いた部分を掲載します。ただただ写真を掲載して、前回同様に今思うことなどちょっとだけ書いてみます。
2019年2月1日~28日分(紀元前7000年~2600年頃)
当時を振り返る。今思うこと。
少しづつではあるが、構成とか形になってきた感じに見える。(ただ当時、こういうところに迷ったり悩んだりしていたかどうかは覚えてない)
この年表作りは何度か継続のピンチがあった。そして最初の試練は2月19日から数日間だったかなと思う。
2019年2月18日夜。私は、縄文土器の絵を描いた。火焔土器といういかにも縄文土器らしい複雑で不思議な形の土器を描き終えてちょっと満足気にしていた夜11時過ぎ。母から電話があり、父が他界したことを聞いた。父があちらに旅立っていく最中、私は土器の絵を描いていた。親不孝過ぎる。
その後、突如、私は喪主となりドタバタな数日間を過ごす。お葬式って悲しみに浸るような時間なんてないのね。とにかくやることが山ほどあって、田舎の色々なしきたりも学ばなければならず、ひとりになる時間はほぼ無し。ドタバタドタバタ。
さすがに、こんな時に年表作りを続けるの?って思った。一方でそれを言い訳にストップするのはなんだか父のせいにしているような気もして後ろめたかった。というわけで、何の使命感やら責任感なのやら今となってはよくわからないのだけど結果、続けた。続いた。
この一大事を乗り切ってしまったせいで、もうこれ以上に中止する言い訳がなくなっちゃったことに後から気づく。
正直なところ少しだけ「しまった!」と思った。まだあと10か月もあるのにね。
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