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ネイティブアメリカンの世界への旅(3)

インディアンの魂<善なる赤い道>
言うまでもなくネイティブインディアンは過去何千年もの間、北米大陸(亀の大陸)で生活をしてきた人々だ。彼らは自分たちを母なる大地を守護する役目をもつ「Earth People/ 大地の人々」と呼んでいる。

彼らは、部族間の言語や習慣の違いこそあれ、大地と共に生きる者として
スピリチュアルな現実と日常を分離することなく、自然を敬い全体との調和の中で生活を営んできた。そして、実直さ、寛大さ(所有することより与えることを美徳とする価値観)や誇り高き精神性をもつことを共通の民族性としてきた。しかし、彼らはハリウッドの西部劇映画などが描く野蛮人としてのインディアン像で世界中にひどく誤解される一方、自分たちの先祖代々の土地で被征服者として近代アメリカ社会に抑圧され虐げられてきた。そして、自分たちの血を、精神文化を、伝統を長い間否定され続けてきたのだった。

確かに西部開拓時代から近代にかけてのインディアンの歴史は悲惨と言わざるをえない。その結果、多くの者たちが傷つき、希望を失い、怒りや絶望感からアルコールや自虐行為に走った。だが、何千年もの間アメリカ大陸に受け継がれてきたインディアンの魂はそう簡単に抹殺しうるものだろうか?

その魂は自然と一体となって生きる知恵を知る。その魂は、彼らが「偉大なる精霊グレートスピリット」と呼ぶ創造主の前で謙虚に祈り、心を浄化する精神性を有する。

現在、伝統派といわれるインディアンたちはもう一度その精神性を取り戻そうとしている。伝統的な歌やダンス、聖なる儀式スエットロッジ、パイプ・セレモニー、サンダンスなどを通して、彼らは自分たちを癒し、インディアンのスピリチュアルな道「グッド・レッド・ロード(善なる赤い道)」を生きるものとしてのアイデンティティを取り戻そうとしている。また、彼らのコミュニティでは、アルコール中毒者に対するカウンセリング活動や、若者の非行をふせぎ伝統を教えるためのサバイバル・スクールやダンス集会「パウワウ」などが実施されている一方、メディシンマンやメディシンウーマンたちによるコミュニティ・スエットロッジが開催されている。このスピリチュアルな復興の動きを彼らはインディアンのルネッサンスと呼んでいる。

またスピリチュアル界からのメッセージとして、インディアンの長老やリーダーたちは、この時代にこそインディアンのスピリチュアルな教えに世界中が学ぶことがあると主張している。「今こそ、インディアンが自分たちの知っていることを世界に告げる時が来た…。自然について、神について。」(マヒュー・キング/ラコタ族「ネイティブ・インディアンの長老たちとの出逢い」より)

<バックスキン・カーテンの向こうからこだまするインディアンの魂の声>1854年、チーフ・シアトルは当時の米大統領フランクリン・ピアスに
自分の部族の広大な土地の買収を迫られた。その時に、彼は次のように答えている。その言葉は私たちが今、耳を傾けるべきバックスキン・カーテンの向こうからこだまするネイティブ・インディアンの魂の声と言えるかもしれない。
               ☆☆☆

「空や大地、雨や風のぬくもりをどのように売ったり、買ったりできるのだろう? そのような考えに私たちは馴染みがない。空気の新鮮さや水の輝きを私たちは所有していない。それらをどのように買おうというだろう?

この大地のすべては私たちにとって聖なるものだ。きらきら輝く松の葉ひとつひとつが、あらゆる砂浜が、森に漂う霧が、ブンブンと飛ぶ昆虫たちが、私たちの記憶で神聖なのだ。木の幹に流れる樹液は赤い人々の記憶を留めている。

私たちは死んでからも決してこの美しい大地を忘れはしない。それは赤色人の母親だからだ。私たちは大地の一部であり、大地は私たちの一部だ。香りを放つ花々は私たちの姉妹、鹿や馬やイーグルは兄弟。岩山、野原の露、仔馬の肌の温かさ、それらすべてが同じ家族に属している。

小川や河に流れるこの輝く水は、ただの水ではない。それは祖先の血だ。私たちが土地を売ることになっても、あなた方はその神聖さを忘れてはならない。そして、子供たちに伝えるのだ。湖の澄んだ水面に映る青ざめた影のひとつひとつが私たちの人々の人生の記憶や出来事を物語っていることを。水のささやきが私の父の父親の声であることを。

河は兄弟だ。河は私たちの喉の渇きを癒してくれる。カヌーを運び、子供たちを楽しませてもくれる。私たちが土地を売ったとしても、あなた方は河が
兄弟であることを思い出し、子供たちにもそれを伝えなければならない。他の兄弟に対してそうあるように、河にも親切にしてやることを。

白人たちが私たちの方法を理解しないことを私は承知している。彼らにとって、ある大地の一角は、他の一角と変わらない。なぜなら、彼らは
夜やってきては必要なものをなんでも持ち去っていく異邦人だからだ。大地は、彼らの兄弟ではなく敵なのだ。彼らはひとつの土地を征服すると、さっそく次の場所へと移っていく。そして、自分の父たちの墓を立ち去り、子供たちの誕生時の権利を忘れてしまう。…母なる大地や兄弟である空を、まるで羊かカラービーズのように売買したり、略奪するものだと思っている。人間の欲が大地をむさぼる。そして後に残るのは、ただ荒れ果てた大地なのだ。

私には分からない、私たちのやり方はあなたたちのやり方と違う。街の風景を見ると赤色人の眼は痛む。しかし、それは赤色人が野蛮人で理解がないからかもしれない。

白人たちの街には静かな場所がない。春に新緑が芽吹くように、虫がパタパタと羽ばたく音に耳を傾ける所がない。しかし、それは私が野蛮人で理解がないからかもしれない。もし、夜にヨタカの寂しげな鳴き声が近くの沼地で響かなくなり、カエルたちの声が聞こえなくなったら、人生にはいったい何が残るというのだろう…。

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