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「先生さようなら」第5話-2

田邑先生への3つの想い

1つ目の想い

堀江さんに「城嶋さんを好きになってないよね?」
と問われて

「好きになってない」と田邑先生が目を伏せたのち
「なるわけないだろ」と自分に言い聞かせてるシーン。

ここがラストシーンの
絵を描いている田邑先生の肩に
城嶋さんの手を置くシーンへの布石となっている。

つまり、田邑先生の中で
「好き」という名称になっていないけれど、
城嶋さんに心動かされてて。

「城嶋さんは目を離さずにはいられない人」

から

「心の中に城嶋さんのスペースができている=好き」

に確実に変化しているんだよね。

ラストシーンの油絵。
初回では犬は1匹だったのに、2匹になっていて。
しかも2匹目の犬は書き加えたばかりの状態。
(初回から見直して考察したいところですが、
まだ見直せてない)

2匹目が城嶋さんで、
書き加えていることで城嶋さんの存在が
田邑先生の心にしっかりとあることを示していると思う。
ラストシーンの城嶋さんの
「悲しいことに大人とか関係ない」と言われ、
筆が止まる様子は田邑先生を想って私も泣きました。

2つ目の想い

城嶋さん「先生はちゃんと先生だし、
生徒のことしっかり見てくれている」

ここで城嶋さんのまっすぐな性格が出てるし、
一途な恋心がそれを言わせている。

それを見ている揺らぐカメラワーク。
田邑先生の心が揺らいでいるから。
(ここで私も気持ちが揺らいで
考察書けなくなっちゃったんだけど)


田邑先生「聞きたいことがあるなら全部話すから」
「妻が僕の高校時代の担任だというは本当だけれど、
それに関して恥じるようなことは何もない」

このシーンは田邑先生の心情を思うと涙が出そうになる。
一瞬にして教師の立場に戻っているように見えているのも
大人の対応としてはわかるけれど、

胸に残る由美子先生への想い
涙も見せないくらいの悲しさと
由美子先生を忘れることができない深く熱い愛

そういったものを感じてしまい
ここから見続けられなくなることもあった。

3つ目の想い

この作品に「トーマの心臓」を感じると
1話目ですぐに思った。でも、それがどういう点なのか
はっきりと分かっていなかった。

今回見て「トーマの心臓」のあるシーンを思い出した。

---引用---
人は二度死ぬという まず自己の死

そしてのち 友人に忘れ去られることの死

それなら永遠に

ぼくには二度めの死はないのだ

(彼は死んでもぼくを忘れまい)

そうして

ぼくはずっと生きている

彼の目の上に

---引用---

そう。
由美子先生の二度めの死は決して訪れず、
ずっと田邑先生の目の上に生きているのだ。

田邑先生が「あなたと同じ教師になりたい」と言って
教師であることも
由美子先生と同様の控えめな洋服でいるところも
田邑先生が一緒に生きていようとしているんだよね

そう思ったら、むしょうに泣けてきた。

世の中には、目の上に生きている人を
大事に生きている人がいる。
恐らく、田邑先生はそう生きていこうと
決めたんだと思う。

そこに
城嶋さんというまっすぐな愛を持っている人が
目の前に現れた。

彼女はとても光り輝いて見える。

心の中に城嶋さんのスペースができて
彼女に救われている田邑先生。

モノローグでも
「もう取り返しがつかなくても、今更でも、
言葉にすることで何か報われることがある。
そんな風に君が思わせてくれたんだ」
とはっきり言っちゃっている田邑先生。

これが泣かずにいられようかと
何度も5話を見ている。

次回を楽しみにせざるを得ない。


追伸・トーマの心臓、読み返したくなった。
段ボールから探さないと…。

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