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美容院に行きたい【2022年5月~】

5月になっちゃった。土日にしれっと月が跨ると、そのグラデーションを感じられないので「早く言ってよ」という気持ちになる。

最近、ストレスがたまると口内炎ができるという老いエピソードがあり、これが20代後半か…となる。口内炎になると、「話すのが困難になる」のだが、それはそれでストレス溜まるという事実を突きつけられた。私は会話でのコミュニケーションが苦手すぎる自覚があるから、まだ口内炎が小さい時こそ人と話せないことにメリットがあるんじゃないかと思ったけど、普通にしんどかった。いつもできていることができない。生きるという経験を脳が構造化した(スキーマ)から、それが不快であると認識する。あ〜まさかこれもメタ認知なのか…?そうなんだろうな。

最近聞いているインターネットラジオをここで紹介しておく。頭ゆるゆるインターネット「オモコロ」の看板ライター二人(ARuFa・ダ・ヴィンチ・恐山)がやっている「匿名ラジオ」で、企画コーナーとかおたよりとかは特になく、毎回テーマをもうけた雑談。1回、大体20分くらいなので通勤時間に聞いているのだけど、これがもう聞いてて楽しい。インターネット人間がくだら〜ん話をして、小ネタを永遠に拾って、楽しそうに笑っているのだ。

私自身、インターネットがすぐそばにあって、インターネットとともに生きてきたので、(単純に同世代なのもある)すごい楽しく聴ける。このラジオを聴くと朝も夜も元気になる。おすすめです

夜、BS番組をザッピングしてたら映画「スーパーマン」をやっていて、DCコミックスが全くわからないから見てみるか、と思った瞬間、スーパーマンと一緒に空を飛んでいた女性が落ちちゃって、「キャーーーーー」と叫んで(ヒッチコック映画的な)、怖くなってすぐチャンネルを変えてしまった。昔の映画だったからか、生なましくてなんかめっちゃ怖かったのだ。多分そのシーンの後スーパーマンさんは女性の元へ駆けつけようとしていたのだろうけど。うーん。

5月4日

もうGW終わりじゃん。こわ。無理。しんどい。早い。一昨日はパートナー家に泊まって、夕方ごろ実家に帰ったら門の鍵が閉まっていた。すかさず祖母へ電話するが、無反応。まさか家の中で倒れているのか?と焦る気持ちが先行し、家の隣のアパートから塀を飛び越え、潜入した。人間、どんなに筋肉なくても頑張れば塀を乗り越えられることをしれた。これが火事場の馬鹿力なのかな。呑気に考えながら玄関の鍵を開け、家に入るとめっちゃテレビの音が聞こえる。中日ドラゴンズの野球中継だ。CBCの若狭アナが叫んでいる。多分、ドラゴンズ優勢なのか?リビングに行くと、祖母から「え、帰ってくるの?」と言われた。いや、もう帰ってきてるんよ。テレビの音量はまじモンの爆音だった。老人を一人にするとテレビの音量がデカくなるので気を付けよう。実家の映像環境がIMAXになったのかと思った。とりあえずばあちゃんが元気でよかった。夜ご飯は餃子だった。

せっかくだから即興で短歌を作った


5/8

GW最終日。特にどこか行くわけでもなく、まあなんかスーパー行ったり古畑任三郎みたりしていたのしめた日々だった。最終日はカービィ新作と筋トレをしたのでももうめっちゃ頑張った。最終日だけ頑張る妖怪。ただ、オモコロ杯に出す記事を落としてしまったのが悲しい。また来年頑張ろう。

奈良のクラフトコーラ。カルダモン!!

奈良の伯母さんからクラフトコーラをもらった。紅茶に入れるといいとのことだったので、入れた。めっちゃ美味しい養命酒みたいな味がして美味しいし爽やか。クラフトコーラ、ハマるかもしんねえ。

5/9

また、体調不良。くら〜い気持ちになる。でも連絡は滞りなくやらなきゃなだから、がんばってる。でもがんばれないこともある。がんばりたいけどがんばれない体。これはダメ人間の言い訳なのかもしれないけど、なんかもうダメなんだ。え〜よくない!いつもよくないって言ってるけど。あれだ。体調管理できる人ってすごい。

いやなもんを見た。人間をビルに縛り付けるやつ。エロイだのなんだの賞賛してるやつ、なんだ?なんでいいっておもうんや?人間は記号でしかないんか?なんだ?

思い出したのはオノヨーコのカットピースだった。


観客は順番に壇上に上がって彼女の衣服にはさみを入れていくという奇妙なパフォーマンスだった。ここではまだ無名の東洋人の若い女性アーティストという幾重もの意味で社会的弱者であることが、「見る/見られる」という観客と芸術家の倒錯した共謀と、「切る/切られる」という行為の積み重ねによって露呈される。オノは自身の属性を身体的に提示することによって、視覚芸術に向けられる視線とは男性的な欲望を内包する無意識の暴力であるという本質をあらわにする。

nippon.comより

このジェンダーに対する意識を1964年のオノヨーコがやってるという事実。もうなにもいうまい。あれを芸術と呼ぶのであれば、もうわからん。なにも。

5/11

悲しいニュースがあり、出社不可と判断。朝ごはんを食べた後もしんどく横になる。しかし寝れず。結局寝て起きてを繰り返しながら、ひたすら調整のメールを複数の人に送る。ページの公開作業。慣れたようで慣れない。システムとサーバーの違いもわからないまま、SNSマーケティング担当とかぬかしている。こんな人間がやっちゃいけないんだ、本当は。

夕方になりやっと脳が動き始め、メルマガ作成などの書き仕事に徹する(ここにはTwitterの更新や予約投稿も含む)。できるだけインターネットやテレビを遮断したかったのだけど、仕事上SNSを見る時間が多く、うううとなる。

夕方、シン・ウルトラマンの映画を見ないかと誘われる。嬉しい。二つ返事。ちなみにウルトラマンは人生で触れた記憶があまりないのだけど、なんか薔薇の怪人みたいなのがいて、子どもが蔦?に絡まれてうわあ怖いと思ったみたいな、断片的な記憶しかない。その怪人は女だった気がする。うわーモヤモヤする。

子どもの時に見たウルトラマンは、じめ〜っとした雰囲気というか、確実に大人向けだったと思う。だって子供は原色が好きだから。(そんなこともない)

夜。郡上みそでつくったお味噌汁がめちゃめちゃおいしくて嬉しくなる。みそ!という主張と、細やかな味わいがとてもいい。今まで愛知県の豆味噌を使っていたと思うのだが、鞍替えの予感。小林家のお味噌汁に革命が起きた。

そして東浜巨のノーヒットノーランである。今年のプロ野球、何が起きているんだ。すごすぎないか、各地で。ヒロインできれいに涙を流す彼の姿に、こちらももらい泣きした。ああよかった。すごい。沖縄尚学の時から見ていた選手だったので、もう嬉しくてさあ。

結局ここまで書くなら一ページでいいじゃんという気持ちにもなる。もう〜〜ブレブレだよ〜〜〜

個人的に気になっていた活動をしている方に仕事の依頼の連絡をした。どうかな…と思っていただけど、まさかのOK!めっちゃ嬉しい。すごいや、インターネット。打ち合わせなど準備せねば。うわー!楽しー!

後二日、乗り切ろう。ね。週末はまち歩きの現場だ。有松へ!すごく楽しみだあ。

寝るだね。おやしみ〜


5/13

あまりにも動悸がすごいのでまた頓服マシマシ生活。こうやってケミカルで身体をコントロールできる世界。すごいけど怖い。
昨日寝る前に、酒、飲むか!と思ったけど、飲むと絶対何かご飯を食べたくなるからやめた。でも案の定空腹でなかなか寝付けない。こういうことを繰り返して、人生終わっていくのかもな。

さいきんは清塚信也さんの「Classic TV」という番組を見ている。毎週音楽の申し子的な人が出てくるのだけど、それがまた楽しい。今回はアニメ「マジンガーZ」の主題歌をはじめとして、特撮や映画音楽を手がけた山本宙明さん。個人的にゴーカイジャーでデンジマンやゴレンジャーの音楽を聴いていたので、こりゃやばいと楽しく拝見。こういう番組は終わってほしくない。96歳の宙明さん用に、虎がらの座椅子を用意していたのもよかった。

5/28

4年ぶりぐらいに森道市場に行った。くるりのばらの花。最高だった。あー。人もまばらで、ちょうどいい。

最高のブローチを買った。

外で音楽を聴く、それがこんなに楽しいことだってことを忘れていた。うれしい。たのしい。暑かった。日焼けした。夜は寒かった。でもそれを上回る充実感。ビールもぐびぐび飲んでしまったのでちょっとだけ反省してる。平日の野外フェス、いいな。

5/31

5月の日記を月記で書いてみた。想像以上にサボってしまって自分の怠惰さを目の当たりにした。長続きしないタイプ。継続は力なりというけどマジでそう。

ツイステッドワンダーランドの最新ストーリーを深夜に読み、歓喜。ツイステッドとは「ねじれ」。ディズニークラシックの名作をベースに、複数の作品の要素が含まれた構成になっている。最新章では、「ヘラクレス」「ピノキオ」「ベイマックス」あたりが大元になっていて、複雑ながらも一つの物語に再構築されていた。
物語では、「呪い」と「祝福」の捉え方や、生まれ持った環境における意識、青年の成長、AIと人間…多様なテーマがやはりねじれている。なんかもうササっと一言でまとめられたらいいんだけど、総じて「生きることへの問い」がうまいなあと思った。あー。あーーーーー。ディズニー+に加入しているのにヘラクレスをまだみていない。人間は愚か。見よう。

また6月も月記にするか、日記にするかはちょっと考える。短くても日記にしたいかもしれない。いつも不確実。でも生きてるからヨシ!

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