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いのちの選択

三浦春馬。きれいな名前。本名かな。芸名だったのかな。

「僕のいた時間」というドラマでALSの役を演じていたのが、すごく印象的で覚えている。このドラマでALSという病気の存在を知った。

「ラストシンデレラ」も大好きだった。

「東京公園」も良かったな。

「キンキーブーツ」も観たいと思っていた。

「アイネクライネナハトムジーク」をちょうど観ようしていたところだった。

「世界はほしいモノにあふれてる」JUJUとのコンビが好きだった。

いち視聴者として、良い歳の取り方しているなーと思っていた。これからも彼の作品を当たり前のように観れると思っていた。

日々追い詰められていたのだろうか。突発的なものなのだろうか。推測してしまう。よくないな。



私も高校生の頃不登校気味になり、家の近くの海をぼーっと眺め続け、ケータイで「自殺 楽な方法」などと検索していた時期があった。

今では、その当時何故死のうとしていたのかもよく覚えていない。

それから数年後、あるきっかけで死ぬことが逆に怖くなってしまった。毎日のように死について考え、家族や友人が死んでしまったらどうしよう、何故いつか死ぬのに生きているのだろうなど、考えてもしょうがないことばかり頭の中を巡り眠れない日々があった。

当時の恋人にそのことを話すと、「君は優しい人なんだね」と言われた。私は心が弱いだけで、そういうことではないと思ったのを覚えている。

それから私は生きる理由を探した。

好きなバンドのライブに行けること、家族とテレビを見て大笑いできること、好きな人に好きだと言ってもらえること、素晴らしい映画や舞台を観れること、好きな漫画家の新作が読めること。

些細なことで、生きていてよかったと思えるようになった。



今から約2年前、友達に誘われた合コンで知り合ったK君という人がいた。同い年で音楽の趣味も合うし、優しい印象を持ち仲良くなりたいなと思ったけど、自分から連絡先を聞くことができなかった。近くに住んでいるし近所の商業施設やライブでばったり会えるかななんて思っていた。

それから数ヶ月後、私を飲み会に誘った友達に呼び出された。2人で食事をしているとき、話の流れでK君と連絡取ってる?と聞いてみた。友達ははっきりしない返事をした。変だなと思い問い詰めると、「K君、もうこの世にいないんだよ。」と言われた。最初は何を言っているのかわからず、「捕まったの?」なんて聞き返してしまった。「それならまだいいよ。自殺したらしい。」と返ってきた。理解ができなかった。数ヶ月前に会ったときは、今度マンウィズのライブに行くんだとか、最近ボルダリングに通ってるとか言っていて、何か悩んでいるようには感じ取れなかった。ものすごくショックだった。友達もそんな嘘つくわけないんだけど全然信じられなくて、図書館に行って新聞のお悔やみ欄全てに目を通した。名前はなかった。自殺だと新聞には載せないらしい。

ここが地元ではないと言っていたから、悩みを相談できる人がいなかったのかもしれない。あのとき連絡先を聞いて仲良くなれていれば話を聞いてあげられたかもしれない。なんて、一度しか会ったことないのにそんなことを思ってしまっていた。でもね、私はもう一度会いたかったんだよ。



死んだら終わり。たしかにそうかもしれない。

でも、どれだけの思いを抱えていたのか、本人たちにしかわからない。

彼らは自ら命を絶ったことで救われただろうか。

私は彼らを忘れずに生きていくことにする。



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