父親が救急車で運ばれて入院した話
父は仕事をしなくなってから、寝て起きて酒を飲む生活を毎日繰り返していた。
夜中に地震の様な音がする。父が酔っ払って転んだ音。家族の誰も声をかけることはない。そんな日が続いていた。
ある日の夕方、母が大きな声を出していた。父が倒れて起き上がれずにいた。力が入らないと言っている。意識は朦朧としていた。
母や私の力では父を運ぶことはできず、近くに住む叔父を呼び、その後救急車を呼んだ。
電話をかけてから5分も経たないうちに救急車が到着した。3人の救急隊員。
母が状況を説明する。話を聞いた救急隊員は「こういうのは一人暮らしの人が多いんだけどね」と言っていた。
その後父は担架に乗せられ救急車へ運ばれた。それから受け入れてくれる病院が決まるまで1時間以上かかった。
家の前に集まっていた近所の人達には途中で帰ってもらった。
今は救急車に同席できるのは家族1人だけらしいので、姉私叔父は車で後を追い病院へ向かった。
病院へ到着すると、父はMRI等の検査を受けていた。
大事には至らなかったが父はそのまま入院。たくさんの書類に記入をして、家に戻ったのは0時を過ぎた頃だった。
肝臓が悪いことが分かったが、運ばれた病院には消化器科がないため、2日後別な病院に転院した。私も一度着替えを持って病院に行ったが、今は面会できないので看護師さんに預けるだけだった。
それから約3週間で退院した。後日手術をするためにまた入院するらしい。
2回目の入院前の検査の日、たまたま仕事が休みだったので、私が車で病院に連れて行くことになった。
私が18で免許を取ってから父親を車に乗せるのは初めてのことだった。歴史的な日だ。
診察で担当の先生に、手術に影響が出るから酒もタバコもやめるように言われた。果たしてこの人が酒もタバコもやめられるんだろうか。自分が救急車で運ばれたときの記憶はないらしい。
父は退院してから、今まで放置していた庭の松の手入れをしたり、仕事に対する意欲を見せているらしい。前よりも母と話しているのを見るようになった。父は耳が遠いので一度で話が通じず母はイライラしているが、ちょっと家族っぽいなと思った。
最近まで父と母が話しているのをほとんど見なかった。私と姉もほとんど父と会話はない。同じ家に住んでいるが、まるで他人の様だった。
父を見ていると、本当にこの人と血が繋がっているのかと絶望の様な気持ちになる。他人に怒りを感じるときにはやっぱりあの人の娘かと思うこともある。でもその割にはグレずにここまで来れたとも思う。
父親が優しい家族が羨ましい。家族全員仲の良い関係が羨ましい。父親を尊敬できる人が羨ましい。私は父と外食に行った記憶がない。家族旅行にも行ったことがない。
入院したことで会話せざるを得ない状況になった。それだけで家族っぽいと思える。会話がなかった頃に戻るのは時間の問題だろうな。
普通の家族に憧れる。両親のような関係にはなりたくないと強く思う。
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