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国際関係・戦争・私(1)

はじめに

 X(旧Twitter)でも同名で発信させていただいております、Order of the Otterです。こちらだけの皆様に関しましてはお久しぶりです。また、Xでもお世話になっております皆様にはタイムラインをお騒がせしてしまい申し訳ございません。
 今回はあくまでも私の論点整理および自己紹介に近いものとなるでしょう。(また計画性のない投稿となってしまい申し訳ありません)ぜひ、愚かな、カワウソ様の安心して暮らせる秩序のために奮闘している僕の駄文を読んでいただければ幸いでございます。

どうして文学部生の私が国際関係論ガチ勢に?

きっかけ

 あっ生意気な投稿ばかりしてますが、小生一応文学徒で日本史を学んでおります。一応ゼミの先生は「卒論とゼミ発表だけすれば進路優先にしてね❤️」とおっしゃられているのでー進路を伝えた時以降なんとなく冷たくなった感じはありますーどうにか両立と言いますか、国際関係論の優先ができております(先生、お読みくださいましたら一声おかけください)。
*なおゼミの指導教員の先生は高坂正堯先生の最晩年の授業を履修されていたようで国際政治chさんのお話などをゼミ飲みとかで二人だけで盛り上がっています(高坂先生が亡くなったことから、国際政治学ゼミに進むという選択肢は無くなったよう…

 前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

 私、小中学校の頃から非常に国際情勢というものに人とは異なる興味を抱いておりまして、そこがおそらくInternationalとの出会いでした。国際報道、特に中東でのテロリズム・ISISなどの掃討、また近隣においては中華人民共和国との尖閣諸島をめぐる「領土紛争」といったものの報道を追っていました。静岡県の東部の出身なので、『静岡新聞』の国際報道欄を読んだり、テレビでの国際報道を見る程度でした。これは主に高校在学中・大学に入ってもこの営みー新聞自体は全国紙の電子版2社(国際報道のために契約)ーは続いております。
 また「安全保障」領域に限ったものに特に関心を持ったのはーベタかもしれませんがー平和安全法制を機として強い関心を持ちました。潜在的には尖閣諸島事案なのかもしれませんが、深く「なぜだろう」という問いを持ったのはこのころだというのは記憶しております。この時は多くの報道番組において憲法学者や「戦争体験者」、日本の戦争に関する歴史学者がこぞって話をされていたことを記憶にあります。しかしながら「違憲論」と「戦争に向かう日本」という論理が大勢をしめていたことを記憶しています。果たしてそれができることのメリットの部分についてほとんど語る人たちが表立って出ていなかったということから問いを持ちましたーこの時の中の人はほとんどそれを学ぶ手立てを知りませんでしたー。どちらかというと「なぜ違憲なのか」ではなく、その逆を知りたいと思ったのは本人もいまだに謎です。こうした疑問を持ちながら私は成長していくのでした。

 ではなぜ、国際関係論の強い大学・学部ではなく「文学部で日本史」なのでしょうか。この疑問は非常に的確で、現所属ゼミの先生にも3年次の飲み会でも転科を勧められました。まあ比較的想像のしやすい理由です。以下の通りです。①大学入学後一年ほどは歴史学ー特に日本史ーの方が学びたいという気持ちが強かった②大学入学までに日本史系の本を多く読んでいたせいで国際関係論・国際政治学・安全保障論という分野に当たりにくかった③大学調べをほとんどしなかった、というものが大きいです。ですから、まあ現状があるわけです。確かに転科などの選択肢はありますが、何人かのー学会等でお会いしたー先生方との相談等を踏まえて「両立」を図ることといたしました。(その節は非常にお世話になりました)

出会いと初期の学び


 話は元に戻しましょう。ではなぜ国際関係論・国際政治学・安全保障論について追求しようと思ったのか、これも短絡的と言われればそこまでかもしれませんが、ある一冊の本ー高坂先生の著書ではございませんーとの出会いでした。それは何ヶ所かでも書いてはいますが、中西寛先生の『国際政治とは何か』(中央公論新社、2003年)です。今考えれば、少し古いかもしれませんが、この本との出会いは今だに忘れられず、原点として大切にしております。当時、初めて開いた際の記憶は定かではございませんが、何となく幼少期の自分が抱いた疑問に答えるような何かを教わったような気持ちになったー学問的ではありませんがーということを微かに覚えています。この本との詳しい出会いについては何かの機会にでも聞いていただければ幸いです

この本を読んだ後、何冊か「国際政治」「国際政治学」という名のつく著書に何冊かあたり、その後に安全保障論という方向に進んでいくわけです。記憶の中だとこのあたりで、いわゆる「ロシア・ウクライナ戦争」(この呼称で統一させていただきます)が勃発したー2014~2022.2までのことは含まないーことを記憶しております。私は元からいわゆる「伝統的」安全保障に関心があったので当時全く国家間戦争が起こらなくなるということに関してはやや懐疑的な印象を抱いておりましたが、翌朝起きたらあのようなことになっているということには衝撃を受けたという記憶がございます。「戦争」については次章で書かせていただければと思います。

核兵器関連を学ぼうと思ったきっかけ


ロシア・ウクライナ戦争が始まり、半年ほど経った後に広島を訪れました。昨年末も訪れたのですがーそれに関しての「旅行記」もいずれ皆様にお読みいただく日が来るかもしれませんーその前にも訪れました。ロシアが「核の恫喝」ー強要と言ったほうがよいのかもしれませんがーをしている中の広島訪問でした。その辺りから「核兵器の現状」というものに関心を抱き始めます。論文やそれまでに読んだテキスト・安全保障論関連のテキスト・防衛研究所などのペーパー等を読みながら少しずつ勉強していきました。そうした中で核戦略等に関する二冊の本を買うこととなりました。まず初めにブラッド・ロバーツ氏(村野将監訳)の『正しい核戦略とは何か:冷戦後アメリカの模索』(勁草書房、2022年)を、続いて秋山信将先生・高橋杉雄先生の編著である『「核の忘却』の終わり』(勁草書房、2019年)をという順番でした。やはり戦略絡みなのでこの間に少しずつ戦略論に触れた記憶がございます。この辺りの話を所属している歴史学系(発表するものとしては「歴史が入っていれば許される)の学内の学術研究部で発表させていただきました。今読み返すと拙いものではありますが、導入としては良かったのだと思っております。

 こうした中で核兵器の登場以降の戦略・それを取り巻く理論などに関心を持っていきました。それに関しましては現在廃版となっている、高坂正堯・桃井真『多極化時代の戦略』上下巻(日本国際問題研究所、1973年)も中古ではありますが購入させていただきました。この中で、母と話し合い本格的に研究の道を考え始めるようになりました。ここを詳しく書きすぎると色々と問題が生まれそうなのでやめておきます。どこかで聞いていただければ幸いです。

専門的に何を研究していきたいかということを模索していく上で、中国がらみの話をテーマにしていきたいと思うようになっていきました。大学三年時の夏休みには日米をはじめとする中国専門家の著書を多く読み解き、その中で最大の関心分野である米中関係や核兵器という文脈で中国という国を見れないかという方向に向かうこととなりました。

昨年末は二つの学会(日本国際政治学会:11月@福岡/国際安全保障学会:12月@東京)に参加し、何人かの先生方との交流があり、少々アドバイスをいただくことがありました。また、先生方に進学までにやっておくべきことなどを教えていただくなどの良い機会となりました。また大まかにテーマを決めてからは関連するウェビナーや対面での講演会などにも積極的に参加し、質問をさせていただき、アメリカなどでの最新の議論についてなどを伺うことができました。

今後は少し初心に戻って方法論関連の本や基礎的なテキストに戻ってみたいと考えています。進学に向けての文献にも当たらねばなりませんが…また英文などの先行研究にもさらに当たりたいと思います。

この章は歯切れが悪いかもですが、ここまでにさせてください。

小括

今回は私と国際関係論というテーマで書きましたが、シリーズものとして第二弾を検討しております。私の時間次第ですが、書ければ書きたいと思います。

ここからこの学問に対して関心を持った方へ、
こちらの記事も参考にしていただけたら幸いです。(偏りはありますが、
https://note.com/order_of_otter/n/n8eeefedab414

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