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深夜にタモリ倶楽部を見るという事象に意味がある

 中3の頃、自分の部屋に行った素振りだけ残し、親に隠れてテレビを見ていた。そこに映るのは、私の知らないタモリの姿だった。

 私たちの世代、大体2003、4年生まれ辺りの人間がギリいいともを知っている世代だと思っている。といっても、自分が小4、5辺りでいいともが終わっているので、我々世代の中では、Mステのタモリさんしか知らない人も珍しくないと思う。私はというと、いいとも増刊号は見ていたが、いうてそれくらいで、何で売れた人なのかとか、どんなジャンルの人なのかという疑問を持っていた。

 家が厳しく、中2くらいまで、9時に寝なければならなかった。その反動なのかは分からないが、中2後半くらいから、深夜勉強を始めるようになると、夜更かしが定着してしまった。そんな中でも、特に金曜日は、次の日が休みであることから、思う存分夜更かしできる日だった。別に、夜中やりたいことが、あったわけではないし、スマホもゲームも9時以降使えないようにフィルターをかけられていたので、それらをやるわけでもなかった。ただ、少年期に、はよ寝ろを強制されてしまったことで、夜更かし自体がコンテンツ化してしまったのだろうと今の私は、考えている。とにかく起きていたかったのだ。

 そんな、意味もない夜更かしを続けている中で、音をギリギリまで小さくしてみる深夜番組に面白さを見出してしまった。そこで、出会ったのがほかでもない、タモリ俱楽部だった。決して、録画して、親の前で、見ることはかなわないような、あまりに刺激的なオープニングから、普段は見れないタモリさんの一面。時には、誰がついていくんだというディープな内容に、軽く箸休めさせてくれる空耳アワー。短いながらもあまりに完成された構成、そして、そう見せないどこかふわっとした雰囲気。思春期真っ只中、拗らせお笑いオタクの、自分がハマるには十分すぎる要因が揃っていた。

 何よりも私を惹きつけたのは、知らないタモリの姿だった。昼の、静かにまわりをコントロールして笑いを作る一面とは違い、どのテーマにもついていく探求心、そして、自らの持つ知識を惜しげもなく披露し笑いを生み出す姿、そして深夜ならではのくだらなさを誘導する流れ。深夜ならではの、少し揺らいだ精神状態や、虚ろな脳内。その精神的な状況にスルスルと入り込むことで完成するように作られていると感じてしまう内容と構成。それらは、あまりに、大人の色気や余裕を醸し出しており、夜更かし自体をコンテンツ化していた自分の精神的欲求を満たすピースとしては十分すぎるほどで、私は惹かれるほか無かった。

 現在は、テレビ以外のコンテンツも増え、それらをいつ何時、どこにいても楽しめる時代。さらに、自らが発信できることから、よりディープなコンテンツがあふれる時代である。しかし、だからこそ、タモリ俱楽部を始めとした、条件や時間が限定的な場面で自分の知らない深い知識を摂取する場が限りなく失われつつあると感じている。
 人を選ぶコンテンツを選ばれた人にのみ発信できる機会が増えたことで、狭くも深い知識を持つ者たちが、快適に過ごせる家のような場所は充実した世だとは感じるが、そんな人々が、一堂に会しコンテンツに対する鎖国感を柔らかくするための、でけえ公園のようなごった煮を楽しむ場所があまりにも少なく、さらには絶滅の危機にさらされていると個人的に感じている。だからこそ、クレイジージャーニーだとか、バカせまい史、あとはANNを始めとした深夜ラジオなどをリアタイして、条件と共に様々なコンテンツを、端的に多く摂取するという機会を楽しみ大事にしないといけないなと日々感じてしまう。

僕は、タモリ俱楽部のおかげで、ガストにいくと、日替わりスープの具をたくさん掬えています。

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