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… is a wish worth making.

早く大人になりたい子供だった。大人は夢にあふれていたから。大人になれば何でもできる。そう信じていたし、今でも割と間違っていないと思う。
ちょっと無理すれば買えないものはないし、行けないところもない。仕事はとても大変だけど、それなりに経験も積んできたし、下手さえこかなければクビになることはない。人間ドックでも緊急性のある異常は見つかっていない。
家族の同意を得て、これからまだまだやりたいことにチャレンジできる。
でも、していない。

なりたい職業に就いても、美しい妻と可愛い子供たちに囲まれても、ささやかながら趣味にお金をつぎ込めるようになっても――大人になっても、こんなに毎日を悩みながら過ごすとは思ってもみなかった。

明日の授業、学級経営、部活動顧問拒否、後進の育成、死んだ同僚
年々減っていく夫婦の会話、ちゃんと遊んでやれなくてごめんね、これからの養育費、住宅ローン、車検の予約の電話
数だけ増えていくレコードと書籍、ウォッチリストから消えない映画、私が育ってきた沖縄とこれからのオキナワにまつわる絶望、京都市長選

なりたい職業に就くことが人生のゴールではない。叶えた夢や家庭は、次の悩みを生産する土壌となる。当然子供時代には知る術もないことだが、大人になった私は、「こんなはずではない」と毎日ずっと燻りつづけている。
こう書くといささかナーバスが目立つが、「解消したい悩み」といえばこそ後ろ向きではあるものの、裏を返せば「もっと叶えたい夢」がまだまだあるということでもある。
「人生は一生勉強」だとか、「人生山あり谷あり」とかに類するような先達の言葉の根底にあるのは、たとえどんな人間であっても悩み(≒夢)を抱えながら生きていくしかないということなのかもしれない。

私の夢は、文章を書くことを生活の軸とすることだ。恥を忍んでいえば文筆業で生計を立てること、もしくは多少は世間の目に触れられるほどの作品を書き上げること。
学校の先生を辞めて、何かを書くことに専念する生活がしてみたい。
でも、辞めることもしないし、何かを継続して書いてすらいない。それ故に燻りつづける日々。ある阿呆の一生。

前置きが長くなった。
ウォルト・ディズニー・カンパニーが創立100周年を迎え、その記念作として制作した新作『Wish』(そして同時上映された短編『Once Upon a Studio』)…は、すべての夢を追う人(=夢を追いかけないことに言い訳し続けている大人)に観て欲しい映画だ。
ジュリア・マイケルの歌う「A Wish Worth Making」をバックに流れるエンドロールは感涙必至。かくも私を揺さぶったものは何か。
それは夢を燻らせつづけている自分への叱咤激励……というよりも、それすら許容してくれる、無条件に甘えさせてくれる母親の温みに似た感覚。甘えている自覚が心地よい休養となり、次の挑戦への体力がやさしく満ちていくのが分かる、本当に分かる。
この素晴らしさを何回かに分けて記録していく。
なんとか今年度中に書き上げたい。

リンクはジュリア・マイケル「A Wish Worth Making」
(エンドロールではない)

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