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アップデートは必要です でもアプデならなんだって良いわけじゃない!

本人が思い立たないとダメ。
You may take a horse to the water, but you cannot make him drink.
周りが新しい水場に連れて行って、新しい水を飲めと頭を押さえつけるなら、それもハラスメント。
アップデートを強要する権利は、ないと思う。

しかし、♪寛容が肝要♪では、結局ハラスメントを、受けた人が我慢し続けることにならない?
周りの寛容に胡座をかいてアップデートしないなら、寛容の温かい眼差しは、諦めの生暖かい眼差しに変わる。
そんなこと、監督は分かってるよね。
だって寛容に「なりましょう」だもの。
寛容もアップデートも自分が主体で動くものなんだ。
不寛容に出会って傷ついて、反撃してぎゃふんと言わせるよりも、見ている世界が違うと割り切って別の世界で幸せになることこそ最高の仕返しとは聞く。


なんか、第1話で小川市郎に快哉をあげたときに思ってたのとは違うところに着陸したなぁ。


昭和は良かったなんてウソ。
令和の方が良いというのも思い込み。
いつだって、生きづらくて生きやすい。
生きづらくするのも、生きやすくするのも、最後は自分。
結局、アップデートなんて言っても「他者との違いを知り他者の思いを想像し受け入れる」寛容の心の大切さは、何千年も前から言われてきたこと。

渚っちが、AI夫にまちゃとを預けにいって、ウンチしちゃったまちゃとをそのまま託すのが、なんか正解だと感じた。
AI夫が、それは母親としてなんちゃらかんちゃらと喚いていたが、そんな不寛容な言葉は無視してお出かけしちゃえ! 預かると決めたんだから四の五の言わずにお前が替えてやれ、早くみんなのトイレを探すのだ!と思った。


小川先生が、生徒たちに「未来はすごいぞ」って発破かけてたけど、あの頃の中学生(に限らないけど)って、基本「未来はすごいはず」って思ってたと思う。
少なくとも私は、自分個人の将来はともかく、未来はよくなるんだろうって思ってた。
未来のすげー歌なんて、今聞かせてくれるなと思う。
それは未来に取っておきたい。
大人が言う「青春は尊い」っていう繰り言と同じだよ、未来を知ってる人の「未来はすごいぞ」ってのは。
だから今を頑張れって言われたくない。


秋津くんのマッチでーす!最高。
ナポリタンを食べたなぎさちゃんはとても可愛かった。
純子はとてもいい子だった。
めっちゃ、zukkin☆dokkinだった。
井上くんの純粋さが眩しかった。
キヨシと左高さこうくんの友情には泣かされた。

最後に穴の謎が解けて、困ってただろう2人が助かりそうでほっとした。


ちょっと文章にまとまらないけど、この想いを形にしておきたくて箇条書きみたいなメモを書いてみた。
ネタバレにならないように書いたつもりだけど、内輪受けっぽくなってしまった気がする。


アップデートとか女装とか同性婚とか、最後に一気にぶち込んできたなと思ったのは私だけでしょうか。



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