現役東大生の記憶喪失体験談

巷の東大生のイメージといえば、知識豊富で記憶力に優れているというものであろうが、私は記憶喪失を経験した。この話を文に起こそうと思いつつも、すっかり忘れて生きてきたので、思い出したままに書き連ねていく。

外傷後健忘の診断書(本物)


 記憶を失ったのは、脳も茹だるような暑い暑い夏の日だった。((推測)(これまでもここからも憶測で喋る))自転車に乗って買い物に行こうとしていた私は、ぼんやりとしたまま下り坂のカーブを曲がりきれず、カーブミラーに激突、そのまま石垣に三跪九叩頭の礼を行った。私がマカートニーやアマーストなら拒否できたのだが。残念である。たまたま高校の近くで倒れたため、近くの高校の教員?が救助してくれ、そのまま救急車で運ばれたようである。


 事故直後・記憶喪失


 

 割れるような頭の痛みで目が覚めた。頬が腫れて口を開けようとしても口角が歪むだけだ。知らない天井だ、とは思わなかった。消毒の匂いやら、やけに白い部屋やら、カーテンやら、これらを見て病院だと判断できるだけの脳は残っていたらしい。頭部には包帯が巻かれているが、その原因はあまりピンと来ない。というか、前後の記憶が曖昧である。おそらく外傷性の一時的な記憶喪失だろうと結論づけた。とりあえずスマホを開いてみる。顔が腫れ上がってFace IDが反応しないため、パスコードを入力する。よかった。覚えていた。まず、日付を確認する。8/11だと思っていたが、8/12の夕方で驚いた。とはいえ、意識を失って数年が経っているなどのとんでもないことは起きていなかったため、ひとまず安心する。入院していたのか。入院費を払えるだろうか。命を拾ってくれた以上何も言えないが、病院というものはこちらの同意もなしに医療を施してあとで高額を請求してくるのだから困りものだ。医者が入ってくる。何やら説明して、あなたは頭を打って記憶喪失になりましたと伝えてくる。へぇー。まあ、ちょっとした記憶喪失みたいな感覚はあるから医者は嘘をついていない。まあ、自分の名前や住所は言えたし、日付もそこまでズレてないことを鑑みれば、病状はさほど深刻ではない。記憶もおそらくある程度戻るだろうし、戻らなかったとしてもさしあたり不便はないだろう。そう考えていると、兄と兄の彼女と思しき女性が現れた。自分も兄も東京で一人暮らしをしているため、緊急時には兄が駆けつけることになっていた。兄は、女性を自分の彼女であると説明し、私の世話をしてくれたのだと言った。申し訳ない気持ちと感謝の念が胸に去来した。「ありがとうございます、それにしても彼女さん、美人ですね」と話しかけてみる。今言うことじゃないでしょ!とツッコんでくれないかという淡い期待を抱いていたのだが、兄の彼女は「嬉しい、ありがとうね」と苦笑していた。困らせてしまって申し訳ない。よくよく考えれば、頭を打って記憶喪失になったという初対面の女が、頭にグルグルと包帯を巻いた状態で自分の容姿を褒めてきても、リアクションに困るというものだ。そうは言ってもやはり、記憶喪失なんて、かなりレアな状態なので、せっかくならと思ってTwitterに記憶喪失なうと呟くことにする。思ったよりいいねが来ないのでがっかりした。思い起こして、相方に連絡してみる。(大学お笑いでコンビを組んでいる相方。仲がいい)「今、記憶喪失なんだけど、そういえばネタってどうなったんだっけ?」相方は、「大丈夫ですか? ネタのことは心配しないで 頭を打っての記憶喪失なら じきに記憶は戻るとおもうので 安静に」と返信してくれた。優しい相方である。あと、句読点の代わりにスペースを使うのがちょっと引っかかるな、などと悠長に考えて、眠気がやってきたためひと眠りする。



 割れるような頭の痛みで目が覚めた。頭を打って病院に運ばれた、記憶が混濁状態にある、ということを起きた瞬間から把握できている。20代くらいに見える女性と兄がやってきた。女性は兄の彼女らしい。すごく美人だった。兄は東京へ行く際に、地元の彼女を振って、俺は東京で一番かわいい女と付き合うと豪語していたのであるが、その通りに活発そうなかわいらしい女の人だった。なので、私は「彼女さん、美人ですね」と話しかけてみた。そうすると、兄は「お前、それ5回目だよ」と言ってきた。どうやら、同じ言動を繰り返しているらしい。短期記憶までも死んでいるようだ。途端に恥ずかしくなってきた。今言うことじゃないでしょ!とツッコんでくれないかという淡い期待を抱いていたのだが。とはいえ、兄も記憶喪失の相手に、それさっきも言ってたなどと言うのは良くないんじゃないか?まあ、記憶喪失の相手をすることなんてあるもんじゃないのだから、仕方ないのかもしれないが。自分が記憶喪失になって兄にも兄の彼女にも憐れみの目で見られているのが、すごく辛かった。気を取り直して、Twitterに記憶喪失なうと呟くことにする。さすがにTwitterならみんな面白がってくれるだろうと思ったのだが、呟く前に少し踏みとどまり、自分の投稿を見直してみる。すでに何回も記憶喪失なうと発言していた。恐ろしい。というより、こんな投稿がタイムラインを荒らしてしまって、ffのみなさんには、無用な心配をかけてしまった。

記憶喪失を報告したかった

記憶をなくすと、自分の脳の回路のままに行動してしまうため、思考や行動の習慣が如実に現れてくる。マザーテレサの思考→運命系名言を思い出した。あれ、長すぎないか?思考から運命まで、もっと短くできる気がするし、思考に気をつけるというのもあまりしっくり来ない。そんなことを考えていてもしょうがないので、記憶をなくす前に最後に会った人間である相方にLINEを送ってみる。「今、記憶喪失してるんだけど、最後に会った時のことを教えて!」相方は優しく返信してくれた。お礼に包帯まみれの自撮りを送ってあげた。

✌️

(後に聞いた話だが相方は、私が記憶喪失なのを面白がっていたらしい。だって記憶喪失なんて、フィクションでしか聞かないからさと、悪びれずに喋っていた。こいつとコンビを組んでよかったと思った)
 少し時間が経つと、母が見舞いに来てくれた。娘が事故で記憶喪失になったと聞いて慌てて新幹線に跳び乗ってきたらしい。申し訳なさと恥ずかしさで身が小さくなる心地であった。地方から上京する際には、金銭面で親に頼ることはあっても、それ以外では自立した大人としてこの大都会、東京で生きてやるんだい!といったつもりであったのだが、結局親になんでもしてもらってばかりである。明日には退院できるようなので、それらの手続きや各方面への連絡などを全部親にやってもらった。自分の無力さを痛感するばかりである。そうこうしているうちに夜になってしまったので、寝ることにしたが、なかなか眠りにつけない。もちろん、入院している病室が大部屋で他人の気配が気になるというのもあるが、根本は睡眠への恐怖である。正しくは、睡眠を取ったことによる忘却の恐怖である。睡眠は、脳に記憶を定着させる効果があるとされているが、私は皮肉なことに、眠るごとに記憶がリセットされるようである。もう一度眠れば、さらに記憶の忘却が進むかもしれないという恐れが、私を眠りから遠ざけた。しかし、まぶたはどんどん重たくなり、目を瞑るだけと思っていたが、結局眠ってしまった。


割れるような頭の痛みで目が覚めた。髪を触ると汗と皮脂でベタついていて、変な臭いがすると思って髪をかくと、赤茶色の粉がついてくる。手から鉄の臭いがしてひどく不愉快だった。ここは病院、私は事故で頭を打って記憶が混濁していた、今日は退院できる。よし、全て思い出せた。とりあえず、身の回りのものを確認してみる。机の横にメモが残っていた。「冷蔵庫に飲み物とゼリーがあります」スマホを確認して時刻を見る。朝ごはんの時間だ。お腹が空いた感じはないけれど、やることもないのでゼリーを食べ、お茶を飲む。一旦荷物を整理していると、母と兄がやってきた。医者も来て、頭部の傷口を確認し、退院できることになった。これ以上入院すれば医療費がバカにならないだろうことが予測されたため、一安心した。病院服から私服に着替える。血がべっとりと付いていてひどく不快であったように記憶している。退院手続きと精算はすべて母親がやってくれた。もう私の認知機能はアテにならなくなってしまったため、何もかもを人任せにする他ないようだ。この一泊二日だけで、たいした手術もやってないのに入院費が22万円ほどかかっていて顎を外した。しかも、その中には特別病室代(従来の病室が空いてなかったため、グレードの高い病室になったらしい)も含まれていた。あとで調べて分かったことだが、病院の都合で値段の高い病室になった場合は、その分の代金を支払わなくて済むらしい。(詳しくは知らない)保険が効くから、5万円程度に収まりそうだったが、母親の交通費なども含めれば10万円近くの出費である。自転車走行中の不注意でこんなにお金がかかるとは。後悔が募るばかりである。まあ、命が無事なだけよかったと考えるべきか、幸い後遺症も大きくはなさそうだし、と考えるなどしていた。

しかし私は分かっていなかったのである、本当の記憶喪失の恐ろしさを。記憶とは単なる脳の機能ではなく、茫洋たるこの世界を航海するための海図であるということを。



つづく。




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