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『ニート』になって得た知見

仕事を惰性で頑張ってる過去の自分ような人に向けて、「働かない(ニート)」という生き方をあえて提案したい。

働かない自由

根本問題生きてさえいければ別に働かなくてもいいんだよな。
現代は生きていくのに何かと金銭を介することが多いから金銭を得る手段として大方(嫌々ながら)働いているだけであって。
対して多くもないお金を得るのと引き換えに膨大な時間(限りある命)を当たり前のように削っている
これは仕事をする時間自体にある程度楽しさを感じられれば自己実現的な歓びに繋がるが、そうでない場合は人生損しているのに等しい。

お金はその気にさえなればいつからでも稼ぐことができるが若さや時間は戻ってこないからだ。

働くのが辛いならしばらく立ち止まってみても良いのではないか。
働くということに何か疑問を抱くなら、その疑問と向き合う時間を持ってもいいのではないか。

会社にいた時は(人生のレールから外れるのが怖い)という気持ちもあったが、一度レールを降りたら吹っ切れた。いっそのこと自分が好きなように全力で生きてやろうじゃないかとまで思えるようになった。

社会的肩書きがなくなり自分を守る鎧が無くなった代償と引き換えに、身も心も身軽になれた。
嫌々会社に通っていた自分よりも今の自分のほうが人生楽しんでる。世間的にはニートという生き方は決して誇れるものではないが、働きたくない気持ちを押し殺して働き続けるよりはずっといい。

仕事に追われ忙しい日々を送ること以前に、もっと自分の「楽しさ」や「好き」という気持ちを追求していくほくが先なのかもしれない。仕事はその延長線上で取り組めばいいし、それが真のプロフェッショナルだ。

ニートという生き方は、働かないことで自由な時間という資本を他の人よりも持っていて、見方によれば恵まれているんだよな。

自分は人生の中で何度かはあえてニートをしてみても良い気がする。身も心も休めるためにも自分と向き合う時間を取るためにも今後の人生を考えるためにも空白の時間は必要だ。。








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