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ミクロ経済学=等価交換はあり得ない―金利の思想―


■ミクロ経済学の常識である等価交換は実は間違いである

さて、前回までの説明を前置くと、「交換とは『同等の価値』を有する同士が交換されるのでは?」と多くの人が考えるでしょう。

生活必需品ではないことを前提に、単純な物々交換で説明しますと、
Aが所有する商品aは、
Bが所有する等価値の商品bと交換され、
商品aは移動してBが所有することとなり、
商品bは移動してAが所有することとなります。

(移動には「時間」の概念も伴います。時間とエネルギーを消費して「移動」するのですが、混乱するので割愛します)

上記のこの考え、間違いない、と多くの人が見るでしょう。
一般的にもミクロ経済学は、この等価交換の考えが大前提です。
しかし、実は私は「間違いだ」と考えています。

■実は等価値では交換されない

例えば、商品aと商品bですが、両方とも全く同じ価値で同じものだったとしましょう。
同じ林檎の木から収穫された、重さも味も見た目も全てにおいて全くの等価値の商品同士です。
果たしてこれは交換する必要がありますか?
ありません。AもBも交換したいとすら思わないでしょう。

交換を行う際には人間の「交換したい!」という動機を引き起こす何かが必要なのです。それは片方の商品にだけ存在する明確な差異であり、その差異を「価値」と見做す人間の欲望です。

■手元にある価値を失ってでも手に入れたい価値

Aの持つ林檎aは甘い林檎でした。そしてAは酸っぱい物が好きでした。
Bの持つ林檎bは酸っぱい林檎でした。そしてBは甘い物が好きでした。

この場合、

Aは、自分の「甘い林檎a」を失ってでも「酸っぱい林檎b」を手に入れたいと思いますし、
Bは、自分の「酸っぱい林檎b」を失ってでも「甘い林檎a」を手に入れたいと思います。

Aにとって「酸っぱい林檎b」は自分の持つ「甘い林檎a」よりも確実に「欲しいという欲望を抱かせる『価値』ある商品」であり、
Bにとって「甘い林檎a」は自分の持つ「酸っぱい林檎b」よりも確実に「欲しいという欲望を抱かせる『価値』ある商品」である、

ということになります。

■欲望を数字で表してみる→これが利子・利息(金利)の設定

上記を数字で表してみます。
Aにとって、自分の「甘い林檎a」は100円。
Bにとって、自分の「酸っぱい林檎b」も100円。
Aにとって、Bの持つ「酸っぱい林檎b」は101円。
Bにとって、Aの持つ「甘い林檎a」は101円。
だからお互い交換してそれぞれにとってそれぞれ1円の利を得ましょう、欲望を叶えましょう。

この1円が利益であり、「交換することで得られる」差益であり、金融機関ではこれを「利子・利息」といい、そして、この「利息」を算出する「%」のことを「金利」といいます。

■まとめ:金利とは交換を促すために設定された利益である

交換とは等価交換では行われません。
今まさに失っても構わない「別の利益を得ることができるなら」という「損得勘定」の視点があってはじめて行われるのです。

そんなことはない!等価交換は成立する!

と強弁する人もいるかもしれません。
しかし、そういう人は自分の今持っている貨幣を失って欲しい商品を得る、という買物(消費活動)をすることを否定している、と言って良いですし、商売をしている人なら、「一切儲けるな!利益を得るな!」と言われているに等しいです。

交換は利益を生む、という現実がなければ、人間社会では基本、等価交換は起こり得ないのです。

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