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経世済民・イデオロギー

まだ私にとって勉強途中の分野ですが、つい最近、その件に関してポストをしたところ、個人的に「結構反応があったな」と驚くものがありました。
それがこれです。

こんな経済学、というニッチなポストに146いいねが付いたら、そりゃあ驚くしとても嬉しいです。
ありがとうございます。

さて、ポストにも書いたことですが、改めて述べますとそれは

「資本主義と共産主義は」共に「商品貨幣論」なのだよ、

ということです。
資本主義の真逆が共産主義、というのは多くの人が持っている共通見解です。世界的見解と言ってもいいです。
例えば、ネット上の拾い物画像ですがこのようなものがあります。

これは経済学の各学派を書き表した図解です。私は正直言いまして、この図解は酷い間違いを犯していると思っています。(新古典派はマクロ経済学ではありません)。
まぁ、それはそれとして、間違っていることを前提に他に間違い探しをしますと、例えば、右側は「リバタリアン新オーストリア学派」ということで、「保守派」に分類されていることになっています。
不思議ではありませんか?リバタリアンとはリバティ、つまり自由、が語源で「自由人」を意味し、伝統、文化、そして国家からの自由を掲げる思想です。

場合によっては国家解体論、アナーキズムを唱えかねません。

しかしそのリバタリアン、国家解体論者が国家を守る「保守派」として扱われるわけです。…一体何を保守するのでしょう?

さて、一方で、日本では左翼、と一般的に呼ばれる人たちは伝統、文化、それを生み出した国家が好きではありません。
国家が提供する価値観をことごとく否定しようと躍起になり、そしてその果てとして、「国家が経済的補償をする、政府の介入を極力しないタイプの市場経済を一切信用しない、国家主導の経済政策」である

「共産主義」

をこれまた見事に真逆の思想なのにそれに手を出して、にもかかわらず矛盾を感じない、という一種の異常な境地を是認するようになります。

日本の左翼はさらに面白く反国家的なのに国家主義的独裁国家のソ連や中国、北朝鮮を信奉するという二律背反を平気で犯します。

最早、一切の整合性の取れない、この政治的思想と経済的思想の複雑怪奇な融合を、だがしかし、なぜか当たり前のこととして受け入れ、結果いがみ合う両派閥。

さて、そんな政治的喜劇が展開され、傍らで多くの貧困層の屍が築き上げられている真っ最中ですが、そんな中、日本の庶民の人たちは、私の述べた、

資本主義は資本家が資本を市場に投下すること。
共産主義は政府が資本を市場に投下すること。
両方とも資本を投下するという点では同じ商品貨幣論です。

というこの一見普通とは思えないポストに大いに賛同してくれたわけです。
これは庶民がここまで勉強をしなければならないほど、大変に危ういところまで生活が追い詰められている証拠であるとともに、日本人は庶民のレベルでは思想的に大変頑強なのだな、と感心せざるを得ないです。

今後は、思想・イデオロギーにも私は積極的に切り込んでいこうと思っています。
そのための勉強は大変なのですが…。
ですが決して忘れてはならない、大元のイデオロギーは今、この時点でも掲げておきたい、と思います。

それは経世済民です。
経世済民という思想は経済そのものであり、経済とはイデオロギーなのです。
イデオロギー無き経済は絶対に存在しません。

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