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仮面ライダークウガ考 【4】リントとは?

 ここでは、リントについて考えてみたいと思う。その結果、グロンギが何者なのかをも 知る事ができるかもしれないとも思うので。
 リントについて知るための手掛かりと言えば、当然ながら、長野の九郎ケ岳遺跡からの発掘物である。 ので、ここではそれを中心に見て行きたい。
 九郎ケ岳遺跡で発見されたのは、超古代の戦士の眠る石棺であり、後にはゴウラムも発掘されている。
 どちらも、石の遺跡である。
 が、日本にはそもそもが石の遺跡は少ない。
 日本に現存する石の遺跡で有名なのは、奈良・明日香村に点在する、一連の石像や石組み遺跡であるが、 これらにせよ、今はまだ、どう言う目的で造られたものなのかも、その用途も、はっきりしていない。
 石舞台などは、蘇我馬子(そがのうまこ)の墓だと言う説もあるが、しかし、そこから棺のような、 墓である事を示すものが発掘されているわけではないのだ。
 また、明日香村以外の土地の石の遺跡にせよ、造られた目的や用途の不明なものは多い。 たいていは、鬼が何かをした跡だとか、徳の高い僧が鬼や物の怪を封じた跡だとか言うような伝説がある事もまた多い。
 なんにせよ、九郎ケ岳遺跡のように、はっきり棺とわかるものが、遺骸付きで発掘される事は 日本ではまずないのはたしかだ。
 だが、こう言った石を使った遺跡――殊に墓石群は、海外には多い。それも、ほとんどは南米や中近東である。
 これは、気候などによる条件の差と、宗教的な差による違いだろうと思う。
 樹木の少ない砂漠や、湿気の高い熱帯雨林性の気候の地域では、木よりも石の方が扱いやすい。 また、石の遺跡を残している所の多くは、遺体をミイラ化して葬っている。ミイラをより長く保存するためには、 湿気に弱い木よりも、石の方が適していた。また、地域によっては、森を神の住む場所として、立ち入り禁止にしている場合もあった。 そう言う地域ではむろん、建物や墓を造るために木を切り倒すなど、もってのほかだったろうから、 当然、樹木は使われなかったはずである。
 また、日本には、遺体をミイラ化する風習そのものが存在しない。
 日本でもミイラが発掘される事はないとは言えないが、それらは、いわゆる即身仏である。 徳の高い僧などが、念仏を唱えながら断食を続け、そのまま飢え死にしてミイラとなる、あれだ。
 が、それ以外では、たとえばエジプトなどのような形でミイラが造られる事はなかったはずである。 なぜなら、日本の主な宗教である神道も、仏教も、そしてそこから派生した様々な宗教も、人の死に際してミイラに成すような 教えはなく、更に、湿気の高い日本では、ミイラ化する以前に腐敗する方が早かっただろうからだ。
 もっとも、九郎ケ岳遺跡に葬られていたミイラ(超古代の戦士)に関しては、エジプトなどのミイラよりも、 日本の即身仏の方に近かったかもしれないが。
 なにしろ、信濃大学による調査では、 あのミイラは、調査隊が発掘する直前まで生きていた事が判明しているのだ。
 だが、このミイラの服装にしても、日本の古代の物とは、まったく異なっている。更には、リントの文字は、 どちらかと言えば、南米のインカの象形文字などと似通っている。
 そう言ったことから考えて行くと、リントと言う民族は、日本民族ではないのではないか、と言う仮説が成り立つ。
 超古代に、どこかよその大陸から流れて来た民族ではないかと言うことだ。
 もっとも、日本民族とは厳密にどう言う人々の事を言うのかと考えてみると、けっこう怪しい部分もある。
 そもそも、日本は統一民族だ、と言うのは戦前に作られた一種の神話にすぎない。
 実際には、日本にはすでに奈良時代から、他国からやって来て永住する人々が多くいたし、 民族を上げて日本へ移って来て、そのまま日本人になってしまったような者もいただろう。
 これは、いわゆる民俗学の分野になるのかもしれないが、子供の遊びや、神話、民話、風習などを見て行くと、 明らかに日本の文化の上には、二つの流れ――南からやって来たものと、北からやって来たものがあるのがわかる。
 それらは、途中で混ざり合い、分岐し、様々な文化を成している。
 日本の文化が地方色豊かなのは、 むろん、多岐に渡る風土・自然環境のせいもあるが、 本来は一つのものではなく、 様々な民族の文化を融合させたものであるからなのだと、私は考えている。
 つまり、リントもまた、そう言った民族の一つであっても不思議はないだろう。
 ……などと、もっともらしく書いて来たが、ようは、製作者側は、日本で現在見つかっている遺跡、 あるいは用途不明の巨石遺跡との関連性を避けたかったのではないかと思う。
 現在は、再びの遺跡・古代史ブームで、おそらく「クウガ」もそのあたりを背景に、敵であるグロンギ及び、 滅んだ種族リントを、超古代からやって来たもの、と設定したのだろう。そして、その際には、時代考証の煩雑さと、 更には、古代史研究家たちから抗議を受ける可能性を避けるために、日本の古代史とはまったくつながらない、 異質な文明を持つ種族を設定したのではないだろうかと私は推察する。
 ただ、実際にはこれほどあからさまでなくとも、日本の文化と南米の文化に相似が見られるのは本当だ。 また、巨石遺跡に関しても、海外のものと起源や用途は同じとする研究者も多い。
 また、沢渡桜子によって解読されたリント文字から、彼らは戦いを好まない、精神的な文化を中心とする 民族だった事が判明した。
 このあたりも、基本的には南米の古代民族に近いのではないかと私は思うのだが。
 たとえば、9年前に南米で発掘されたシカン文明などは、調査隊によると、神官を中心とする、宗教国家であった 可能性が高いと言う。
 むろん、宗教国家であったからと言って、精神文明を中心としたものだったとばかりも考えられないが、 しかし、その可能性は高いだろう。
 また、南米やエジプトに多く見られるピラミッドについても、精神的・霊的な修行の場であった、と説く 人々もいる。

 どうしても、現代人は、現代の文化・文明が最高の水準であり、 時代が古代に遡るほど、人類の文化・文明の 水準は低くなると考えがちだ。それに伴い、古代の人々の精神的レベルも、現代よりは素朴な反面、 単純で劣っていると考える傾向は強い。また、科学のレベルも低いと考えがちだ。
 だが、本当に現代のレベルが全てにおいて最高なのだろうか。
 たとえば、グロンギのように自分の体を強靭なものに変形させたり、手にしたものの細胞分裂を変えて、 まったく異質なものに変形させたりする能力のある種族が実在したとしたら。彼らにとっては、私たちが 現在、なくてはならないと考えているものも、不必要なのではないだろうか。
 早く走れる足や、空を飛ぶ翼があれば、車も飛行機も必要ないし、心の力だけで他者と会話することが できれば、電話は必要なくなる。
 私たち人類は、早く走る足もなく、空を飛ぶ翼もないからこそ、車や飛行機を発明したのである。 動物のような体毛がないからこそ、服を着る。遠くの人と会話する手段がないので、電話を発明した。 ……そういうことなのである。
 むろん、人類はずっと有史以前から、早く走る足もなく、空を飛ぶ翼もなく、体毛もなかった、と 多くの人は言うだろう。
 だが、クロマニヨン人やネアンデルタール人には、体毛があったことは知られている。 また、現代でも、いわゆる超能力と呼ばれるものを持つ人々はいるのである。まあ、これについては、 その存在自体を信じない人も多いのだが、しかし、現実に、治らないと言われた病気を、手を触れもせずに 治す人や、遠くにいる人間と交信する事の出来る人、などは実在する。それも事実だ。
 もしも、そう言う人たちが、独自の文化を築いたとしたら、どうだろうか。
 超能力による治療ができるのならば、現代のような薬や機械が中心の医療は不必要だろうし、 当然、電話に代表される通信機器は必要なくなる。
 だが、それを、そう言う人たちの文化だと知らずに、現代の私たちが見た場合、どうだろうか。 彼らは、医療技術も通信手段も持たない、未開の人々と言うことになってしまう。
 つまり、多くの人々が、古代史や古代の遺跡等を見る時犯す愚が、そこにあるのだ。 まずは、現代が、文化・文明の最高水準にあると言う驕りを捨てて、 遺跡や遺物に接することが大事だと、 私は強く思う。

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