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短編小説『終末婚』

「結婚しよう」
 針の静寂。床の見えない部屋。端と端。
「なんで今さら」
「今だからこそ、だ」
 写真が埋め尽くす壁面。赤丸のついた小さなカレンダー。あとひと月。
「そうね」
「そうだ」
 ふたたびの沈黙。意味のない防災無線。近づくサイレンの音。

「結婚式はどうしようか」
 二人がけのダイニングテーブル。壁から剥がした数枚の写真。持っていけない思い出。
「どうせなら派手にやりましょう」
「残しても仕方ないしな」
 溢れる屑籠(くずかご)。切り刻まれたクレジットカード。破れない写真。
「そういうこと」

「日取りはいつでもいいって」
 椅子が二脚のバルコニー。ゴミ袋とダンボールだらけの部屋。止まない雨。
「なんだそりゃ」
「キャンセルがいっぱいなんだって。逆に感謝されたわ」
「式場が普通にやってること自体、驚きだけどな」
 遠くから微かに聞こえる、デモ隊のシュプレヒコール。
「いつも通り過ごしたい人もいるでしょ」
 軒下の小さな鳥の巣。鈴の鳴き声。即席合唱団のいびつなセッション。
「それもそうか」

「あいつも欠席か」
 床に散らばるハガキ。踏みつける小さな足音。漏れ出るため息。
「あの子なんて、マンションを引き払っちゃったみたい」
 絨毯に、新たな模様がひとつ。
「連絡すら取れないやつもいるからな」
「みんな、忙しいのね」
 締めきった窓。なお響く雑音。鳴り止まないサイレンと怒号。
「俺たちの結婚式なんかに時間を割く余裕はないか」
「そういうこと」

「いよいよ、明日ね」
 小ぶりのソファ。端と端。時計とカレンダーのみ残る壁。
「ウチの両親は、怒ってたな」
「命には替えられないでしょ」
「騙し討ちみたいなものだったからな」
 綺麗になった床。滑り落ちるパンフレット。表紙に輝く宇宙船。
「おかげで式の規模も小さくなっちゃったけど」
「ゴンドラで登場しても、招待客ゼロじゃ意味ないだろ」
「式場の人がいるじゃない」
「シュールだな」
 床に落ちる、もう一枚のパンフレット。幸せの過剰演出。おすそ分けの過剰包装。
「料理とか、どうしようかしら」
「引き出物も、な」
「係の人たちにふるまう?」
「いいな」
「それでも、かなり余っちゃうわね」
「まあ、なるようになるさ」
「そうね」

「意外と盛り上がったわね」
 時計だけになった壁。もたれて寄り添う二人。余熱に湿気る室内。
「通りを歩いてた人たちも呼び込んじまったからな」
「ご祝儀も、こんなに」
 窓から入り込む夕日と、ふいのそよ風。床から舞い上がる札束。空虚なイルミネーション。
「みんな金の使い道に困ってたのかもな」
「私たちだって、今さらあっても困るのだけど」
「寄付すればいいさ」
 風が止み、代わりに聞こえてくる鈴の音。新たなメンバーが加わり、邪魔者のいなくなった合唱団。
「あなたのご両親に届くかもね」
「だといいな」

「新婚旅行のこと、忘れていたわね」
 何もない床。何もない壁。もう、何も聞こえてこない窓。
「あと一日じゃあ、大したトコにも行けないだろ」
「そうだけど」
「それに」
 部屋の中心。重なる影。微かな息。
「明日になれば、どうせ旅に出るしな」
 差し込む月明かり。踊る影絵。観客のいないショウ。
「でも、同じ行き先にはならないわ」
「どうしてだ?」
「私、きっと地獄に落ちるから」
 突然、降りる幕。月を覆う厚い雲。消える音。
「それなら問題ない」
「え?」
 雲間から漏れる、一筋の光。刹那のアンコール。
「俺の行き先も、たぶん同じだ」
 永遠の暗闇。やさしい静寂。終わりの刻。
「ありがとう」

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