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障害があっても、遊べばみんな一緒だ!

障害がある人もない人も、初心者もベテランも、大人も子どもも“まぜこぜ”のクライミングコンペ「Challenged Climbing Cup」が、今年度5回シリーズで、全国各所で開催。

その主催者である“車いすクライマー”の大内秀之さんが、ゲスト参加した“視覚障害クライマー”の小林幸一郎さんと、クライミングを通じた未来について熱く語り合いました。

左から、大内さん、小林さん、うっちー(スタッフ)

▼障害があっても、遊べばみんな一緒だ!

小林:
この、みんなが一緒になる感じ、最高だね!

大内:
マジですか!?やってて思うのが、パラの世界と、障害のない世界が、どうやったら一緒に混ざり合うかなっていうこと。純粋にクライミングが好きな人同士って、会話も弾むじゃないですか。目的も一緒やし、一緒に遊べて。

小林:
北海道教育大学で、岩見沢市と共同事業で、年に1回、「遊びプロジェクト」っていう、“遊びこそが人を成長させる”をテーマに、市民が大学に集まる、オープンキャンパスみたいなイベントがあった。遊びの要素をたくさん盛り込んでて、人はそういうところで、いちばん豊かになれるんだって。いまの話を聞いてて、やっぱり人間、根っこは遊びなんだなって、改めて思った。

大内:
友達なんすよ。友達やから、困ってたら助けたくなる。障害があるから助けましょう、じゃなくて、友達だから助けましょうっていうノリを全国展開していったら、めちゃくちゃおもろいかなって、僕は思うんです。

小林:
障害者って、健常者からすると、別の生き物だとすら思われてる。でも、各地で障害のある人もない人も一緒になってのクライミングイベントをやっていると、実は、同じ感覚で、同じ遊びができるんだっていう気づきがある。そういうものが、もっと身近になってほしい。そういう意味では、クライミングって、それを実現しやすいものだよね。

大内:
本当そうだと思います。友達の品種が多ければ多いほど、その人の今後の人生に役立つと思うんですよ。僕も、コバさんと知り合って、パラクライミングの世界に入って、視覚障害の人たちと出会って、一緒にコンビニ行ったり、一緒に飯食ったりすることによって、「コバさん、こっちにご飯があって、こっちに茶碗があって、こっちに大好きなビールがありますよ」ってやる中で、僕のプレゼン能力が上ったんですよ。友達ってWin-Winが当たり前じゃないですか。そういうものを作りたい。

だから今回、若い高校生とか、強いクライマーとかが来てますけど、彼らが、僕らみたいなハンディキャップがある人間と触れ合うことによって、得することを自分で考えて、持って帰れよっていうのが、この企画の狙い。僕らとしても、若くて強いクライマーたちの技術を、どうピックアップしていくかを考えて、持って帰って、自分のパフォーマンスにどう活かすか。

▼“課題はボケ”だ!突っ込め!!

小林:
僕自身、人生の途中で障害者になるって言われて、いちばん最初に出会った障害者が、車いすの人。彼は京都にいて、障害者カヌーをやっていて、僕が関西に出張に行ったときに、時々会って、お酒を飲む仲になった。何年かして、一緒にアメリカに行こうと誘って、彼と2人で、10日くらい、アメリカ旅行に行った。彼は字が読めるけど歩けない。僕は歩けるけど字が読めない。僕は車いすを押して、彼に字を読んでもらいながら、2人で旅をした。僕にとって、障害者の世界に立った原点が、“交わること”だった。視覚障害の世界の問題がどうとか、車いすの世界の問題がどうとかではなくて、交わることで気づくことがあった。友達になるって、障害なんて関係ないよね。それに気付くためには、交わる経験ってすごく大事。

うっちー(スタッフ):
今回のイベントって、バラバラで面白いですよね。小学生の娘さんがスタッフをやってて、そのお母さんが選手で出ていたり、選手が車いすの運搬を手伝っていたり、助ける・助けられる、という関係性が、すぐに入れ替わって、固定的じゃない。それが自然に発生してる

大内:
僕が企画したイベントですけど、企画しただけです。みんなが、もっとこうした方がいいんじゃないの、こういうことした方がいいんじゃないのって、言ってくれて、それら全部に対して、うんうん、そうだねって答えていったら、みんなが自発的に、「じゃあ車いす運搬しましょう」とか、「親子で出てみましょう」とか、「ペアでやるんやから、同時にあおりを入れることで得点になったら楽しいんじゃないの」とか言って出来上がった。

いちばん大事なのって、上下関係じゃなくて、真横の関係。僕、主催団体のリーダーやらしてもらってますけど、僕、予選敗退してしまったんで、リーダー権限で「僕、決勝行くわ」って言ったら、全員からブーイングを食らった。そんなリーダーって、最高じゃないですか。関西風で、すべてがボケなんですよ。ツッコミどころ満載なんです、このイベントも。課題はまだまだあると思うんですけど、“課題はボケ”なんですよ。みんなでツッコんでいけばいいんですよ、なんでやねん!って。配慮をしましょうとか、優しさを持ちましょうとか、めちゃくちゃ大事ですけど、ボケたらツッコまな。ツッコんで、もっともっといいものをつくっていければいいと思ってます。

▼高みを目指さないクライミングがあってもいい

小林:
俺、ことしの8月で、クライミング始めて40年なのね。岩場に行ったのが16歳のときで。そこからいろいろあって、いろんな人との出会いと、いろんな場所に出かけるチャンスがあって、こうやって、ずっと続けられてて、その中のひとつとして、大会に出ることも楽しかった。けど、続けられたのは、ただ、やめる理由がなかったってだけなんだよね。目が悪くなってきたときも、やめる理由がなかったから続けられて、ああ俺ができてるんだったら、他の視覚障害者もできるんじゃないかって思ったのがきっかけで、障害者にクライミングの楽しさを伝えるいまの活動を始めた。クライミングって、ちょっとストレス溜まったなって感じたときに“帰る場所”くらいなものなんだよね。

大内:
僕、30年車いすバスケやってますけど、何回やめようと思ったか。下手くそだから、もう本当に嫌で嫌で。でもクライミングやり出してマインドが変わった。講演会で、「比べるな、超えろ」って言ってて。人と比べてるとしんどくなるんですよ。シュートが入ったとか入らなかったとか、誰より高く登れたとか登れなかったとか、人との比べっこって、めちゃくちゃメンタルヘルス的に良くなくて。昨日の自分、1週間前の自分より登れなかった。だから悔しい。比較対象を“他人”じゃなくて“自分”にすることが、クライミングが教えてくれたいちばん大きいこと。このマインドを持ってバスケすると、めっちゃ面白いんです。だから、やめる理由はなくなりました。比較することをやめたら、自分との勝負なんで、自分がもういいやと思えば、やめればいいだけ。だけどバスケやってても、まだまだ悔しいって思えるようになったのでやめられない。

小林:
こないだラジオで聞いて、なるほどなって思ったことがあって。水泳って、みんながテレビで見るのは、水泳ではなくて競泳なんだって。水泳って、海で泳いだり、友達と遊んだりすること。競泳は、その中の狭い一部分でしかない。クライミングも、コンペって、すごく狭いもので、楽しみ方はほかにもいろいろある。バスケもそうで、競技としてのバスケもあるけど、ボールを使って、みんなでワイワイ楽しむ世界が本来的なものなんじゃないかな。

大内:
僕、この年になって、無頓着に遊ぶことが、ますます好きになってて。遊びだから、みんなが楽しそうやなって寄ってきてくれる。今日もたくさんの人が集まってくれて、こうやってみんなと友達になったら、また遊ぼうぜってなるわけだから。そういう文化を目指していきたいなってめちゃくちゃ思います。そうじゃないと、水泳の中の競泳みたいに、トップオブトップのクオリティが上がっていかない。

うっちー(スタッフ):
友達が増えたら、その中に、アスリートとしてやっている人もいるかもしれないし、一生かけてスポーツとして楽しむ人もいるかもしれないし、クライミング自体がそんなに好きじゃなくても、その場が好きな人もいるかもしれない。

大内:
コバさんが好きとか、コバさんに会いに行きたいとか、サポートしたいとか、アフターで飲んで騒ぎたいとかね。

小林:
上を目指す人もいれば、目指したい場所が上じゃない人もいるからね

大内
“上”なんて誰が決めるんだって話。本当に自分が楽しいかどうかを主軸に考えて、自分が楽しいんだったらコンペに出ればいい。

▼目の前の人が好きなものを、一緒に“好きやで”って言ってあげられること

大内:
いま、震災の中にある、石川県でクライミングのイベントをやろうと思ってるんです。
僕、クライミングやり出して7年ぐらい、車いすバスケは30年ぐらいやってるけど、目の前に、地震で苦しんでいる人たちがいるときに、俺はクライマーだ、俺はバスケットマンだ、俺は法人の代表だ、なんてことはどうでもよくて。パラクライミングも、車いすバスケも知らん人なんかいっぱいいるけど、まずは、その人たちの趣味嗜好に、こっちから寄り添うべき。アニメ好きな人がいたら、「俺、アニメ知らん素人やねんけど教えてや」って言えば友達になれるし、ガチャガチャしたい人がいたら、ガチャガチャ100個寄付するよって言えたら、それでいい気がするんですよ。あとになって、あのおっちゃんは何者や?ってなったときに、一緒にクライミングジムに行くとか、車いすバスケやれたらいい。まずは、目の前の人が好きなものを、一緒に“好きやで”って言ってあげられることが大事なんかなって

小林:
僕ら、東北の震災で、3日間、仮設の壁を立ててイベントをやったときに、忘れられないことがあった。夕方になっても、子どもたちが、「もっと登りたい」って言ってきて、「ごめんね、時間で終わりなんだよ。また来れるようにするから」って返したときに、子どもたちが顔色を変えて、「どうせ、もう来ないんでしょ…」って言ったの。俺もう、心の柔らかいところをぐわって爪で掴まれたような感じがして。これをやりすごしてはダメだと思って、それから助成金をかき集めて、1年後に石巻にクライミングジムを作ったの。子どもたちが、いつでも来られる場所を作った。大内の話を聞いていて、“関わる”ってなんなんだろうって、考えさせられた。現地に赴いて、ことばを交わして、考えることから生まれてくるものって、たくさんある。これから石川で何ができるのか、そういうのを一緒に考えさせてもらえたら嬉しいな。

大内さんと小林さんについて

▼大内秀之さん

・兵庫県出身。
・生まれながら脊髄にガンを抱える。
・ガンは摘出するも、腹筋から下にマヒが残り、車いす生活に。
・13歳、車いすバスケを始める。
・大学で社会福祉士の資格を取得。
・現在、大阪府堺市立健康福祉プラザに勤務。
・36歳、小林さんと出会い、クライミングを始める。
・38歳、一般社団法人フォースタート設立。車いすバスケチーム「SAKAIsuns(サカイスンズ)」を運営。
・2018年、パラクライミング世界選手権インスブルク大会(オーストリア)AL1クラスに初出場
・2019年、世界選手権ブリアンソン大会(フランス)AL1クラス準優勝

▼小林幸一郎さん

・東京都出身。
・16歳でフリークライミングと出会う。
・大学卒業後、アウトドアインストラクターとして活躍。
・28歳、「網膜色素変性症」が発覚。将来失明すると宣告される。
・34歳、米国の全盲登山家エリック・ヴァイエンマイヤーとの出会いから、障害者クライミングの普及を目指す。
・37歳、NPO法人「モンキーマジック」設立。
 同年、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロ登頂。
・世界選手権“視覚障害”クラスでの優勝4回。
・2023年、競技者としてのパラクライミングから引退。
・現在、日本パラクライミング協会 共同代表を務める。

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