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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(38)「36」36から飛躍した三井、サブロー】

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(写真 左から、26代・リリーフの軸へ坂本光士郎、初代・2発連続初回先頭打者本塁打リーグ記録の栗木孝幸、10代・36番唯一の表彰新人王の三井雅晴、15代・名前から決まった背番号36サブロー、18代・アジアの本塁打王が入団李承燁)


(38)「36」36から飛躍した三井、サブロー

 背番号36は空番の期間がほとんどなく、26代(25人)か継いできた系譜になる。投手、野手、助っ人と様々な歴史が垣間見える背番号だ。その背番号36に大きなスポットライトを当てたのが三井雅晴だ。入団2年目に抜擢され、背番号36で唯一の表彰となる新人王に輝いた。背番号36を出世番号としたのがサブローだ。入団時に名前の三郎から36を背負い、その後2、3を背負ってチームの顔となった。坂本光士郎にも顔となる背番号に育ててもらいたい。

----- 現在の背番号「36」 -----

 ★《26代》2023(R5)年~2024(R6)年・2年目 坂本 光士郎(さかもと こうしろう) 投手(在籍3年目)

 【坂本 光士郎 背番号変遷】27(途中) ⇒ 36(2)

 → 坂本光士郎 背番号27

 前年2022(R4)年のシーズン中7月29日に山本大貴とのトレードで移籍し、背番号27を着けていた坂本光士郎が背番号36に変更して引き継いだ。前年は7試合に登板していた。
 移籍2年目の23(R5)年は開幕一軍ベンチ入り。一時再調整期間はあったものの、対左打者対策として登板を重ねる。8月24日のソフトバンク19回戦(ZOZOマリン)では2番手としてマウンドに上がり1回を無失点で切り抜け、マリーンズ初勝利をマークした。最終的に自己最多となる51試合に登板し、1勝0敗16ホールド、防御率3.21といずれも自己最高の数字を残し、リリーフ陣に欠かせない存在となった。
 (23年シーズン終了時)
 <58試合、1勝0敗、防、0S、17H、0先発、0完封、54奪三振>

----- オリオンズ&マリーンズ「36」の系譜 -----

※1950(S25)年~1951(S26)年 空番

 ★《初代》1952(S27)年~1953(S28)年・2年 栗木 孝幸(くりき たかゆき) 外野手(在籍3年)

 【栗木 孝幸 背番号変遷】36(2)
 1952(S27)年に明治大学から入団した栗木孝幸が、球団創設3年目に初代背番号36を背負った。
 1年目はケガもあり出番がなかったものの、2年目の53(S28)年は3月21日の開幕南海戦(後楽園)で1番左翼に抜擢され初出場。3月26日の大映2回戦(後楽園)では初本塁打を記録すると、4月9日の西鉄3回戦(平和台)で2号を放つ。2本とも先頭打者としての本塁打で、プロ1号から2連続先頭打者本塁打という記録を残す。これは現在もパ・リーグ記録として残っている。開幕から好調でケガで一時離脱するも、シーズン中盤までは3割をキープする。夏場に調子を落としたものの、最終的に90試合に出場し打率.274で終えた。シーズンオフには背番号を36から9に変更した。
 <182試合、打率.249、406打数101安打、4本塁打、14打点、42盗塁>

 ※在籍時に達成した主な記録
  ◆プロ1号から2発連続初回先頭打者本塁打 パ・リーグ初

 → 栗木孝幸 背番号9 へ(無料公開)

 ★《2代》1954(S29)年途中・7ヶ月 木下 育彦(きのした いくひこ) 捕手(在籍1年)

 【木下 育彦 背番号変遷】36(途中)
 1951(S26)年に名古屋に所属し1年で退団。社会人・川島紡績でプレーしていた木下育彦が51(S29)年に3年ぶりにプロ復帰し入団。背番号36を引き継いだ。
 しかし、一軍での出場なく、シーズン途中の7月に大映へトレードで移籍した。
 <一軍未出場>

 ★《3代》1955(S30)年・1年 薮崎 博志(やぶさき ひろし) 投手(在籍1年)

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