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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(19)「17」佐々木朗希につながるエースの系譜】

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(写真 左から、15代・佐々木朗希、3代・東京球場開場第1戦先発の中西勝己、4代・フル回転も短命に終わった佐藤元彦、6代・MVP&最多勝投手金田留広、上)8代・アンダースロー深沢恵雄、下)14代・左腕エース成瀬善久)


(19)「17」佐々木朗希につながるエースの系譜

 オリオンズ&マリーンズの投手の背番号の系譜で10番台は投手の系譜であるが、一番投手として結果を残している背番号は17なのかも知れない。
 先発28試合リリーフ21試合に登板した和田功、小野正一に隠れたものの東京球場開場第1戦先発の中西勝己、低迷期に主力投手としてフル回転した佐藤元彦、最多勝・年間MVPの金田留広、黙々とローテーションを守った深沢恵雄、タイトルホルダーの成瀬善久、そして佐々木朗希。時代は違うが、それぞれの時代でチームに貢献した投手が紡いでいるのが背番号17と言える。ただ、オリオンズ時代で残念なのは、一時期集中的に活躍し、活躍時期が短かった投手が多いのも背番号17の特徴である。
 だから、佐々木朗希には、息の長い活躍をして欲しいと願っている。

----- 現在の背番号「17」 -----

 ★《15代》2020(R2)年~2024(R6)年・5年目 佐々木 朗希(ささき ろうき) 投手(在籍5年目)

 【佐々木 朗希 背番号変遷】17(5)
 2019(R1)年のドラフト1位指名で4球団競合の末、指名権を獲得し入団が決まった佐々木朗希(岩手・大船渡高校)が3年間空番だった背番号17を引き継いだ。
 ルーキーイヤーの20(R2)年はキャンプでは一軍に帯同したものの、球団はじっくり育成する方針を崩さず肉体強化を図る。一軍に帯同する時期もあったが、1年目は一、二軍とも登板なく終えた。
 2年目の21(R3)年もキャンプは一軍に帯同し、オープン戦期間中に二軍に合流し、開幕は二軍で公式戦初登板を記録する。好投して5月に一軍登録され、5月16日の西武戦(ZOZOマリン)でプロ初登板初先発。27日の阪神戦(甲子園)で5回4失点ながら初勝利を挙げる。以降、間隔を調整しながら11試合に先発し3勝2敗、防御率は2.27だった。
 3年目の22(R4)年は初の開幕ローテーション入り。高卒1年目の松川虎生とバッテリーを組み、初先発は勝敗がつかなかったものの、初回に自己最速を更新する164キロを計測、毎回の10奪三振を記録する。続く4月3日の西武戦でシーズン初勝利。そして、10日のオリックス戦で史上16人目となる完全試合を達成。これがプロ初完投初完封となった。続く17日の日本ハム戦でも好投が続く。この試合も8回まで完全投球を続けていたが、球数を要して8回で降板、打線の援護なく勝敗はつかなかった。3・4月は5先発で3勝0敗、防御率1.50、36回で60奪三振を記録し、3・4月度の月間MVPを受賞した。以降、前年同様間隔を調整しながら20試合に先発し、9勝4敗、防御率2.02で終えた。
 4年目の23(R5)年は第5回WBCに日本代表として合流し、3大会ぶりの優勝に貢献する。チーム合流後はローテーションを守り7月まで13試合に先発し7勝3敗、防御率1.48と好投する。しかし、8月に左内腹を痛めて離脱。再登録は9月にずれ込み、最終的に15試合に先発し7勝4敗、防御率は1.78でシーズンを終えた。
 (23年シーズン終了時)
 <46試合、19勝10敗、防2.00、0S、0H、46先発、1完封、376奪三振>

 ※在籍時に選出された表彰
  ◆月間MVP/2度(2022年3・4月、2023年3・4月/投手)
  ◆月間最優秀バッテリー賞/2度(2022年3・4月/捕手・松川虎生、5月/捕手・松川虎生)
  ◆コミッショナー特別表彰 特別賞(2022年)
  ◆パ・リーグ連盟特別表彰 リーグ特別賞(2022年)
 ※在籍時に達成した主な記録
  ◆完全試合(2022年4月10日、史上16人目、球団史上2人目)
   <以下、この完全試合に関する記録>
  ◆ノーヒットノーランとしては、史上83人目94度目
  ◆史上最年少達成(20歳5ヶ月)
  ◆史上最速達成(通算14試合目)
  ◆初完投試合が完全試合 史上初
  ◆完全試合で毎回奪三振 史上初
  ◆13者連続奪三振 日本記録
  ◆8打者連続空振り奪三振 日本記録
  ◆1試合19奪三振 日本タイ記録
  ※ギネス認定された記録
  ★プロ野球におけるピッチャーの連続奪三振最多数
  ★プロ野球における完全試合を達成したピッチャーとキャッチャーの最年少(合計年齢8歳330日)

  ◆17イニング連続無安打(4月10日・17日)史上最長記録
  ◆シーズン25イニング連続奪三振(3月27日・4月10日・17日)日本人最長タイ記録
  ◆4試合連続二桁奪三振(2022年)史上12人目22度目
  ◆連続4試合で合計56奪三振(2022年)史上最多
  ◆1イニング4奪三振(2022年7月1日、史上26人目27度目、初回は史上初)
  ◆シーズン奪三振率13.35(2023年)90イニング以上投げた投手では史上2位

----- オリオンズ&マリーンズ「17」の系譜 -----

 ★《初代》1950(S25)年~1953(S28)年・4年 萩原 昭(はぎわら あきら) 投手⇒内野手(在籍4年)

 【萩原 昭 背番号変遷】17(4)
 台湾出身で社会人・国鉄志免鉱業所から球団創設年に入団した萩原昭が初代背番号17を着けた。
 1年目は投手登録だった。1試合だけ一軍で登板し、2回を投げて防御率9.00が投手として唯一残った記録となった。この試合で打席に立つと三塁打を放ち、打者に転向する。
 2年目の51(S26)年は投手登録のまま野手として出場。一軍メンバーがハワイ遠征から開幕後の帰国となったために留守メンバーが開幕戦を戦い、萩原も開幕スタメンに5番一塁で出場する。以降、51試合に出場するも打率は.168と低迷した。52(S27)年は内野手登録となるも27試合の出場に留まり、打率は.185だった。53(S28)年は1試合の出場に留まり無安打。オフに新球団・高橋へ移籍した。
 投手<1試合、0勝0敗、防9.00、0先発、0完封、2奪三振>
 打撃<73試合、打率.174、138打数24安打、0本塁打、14打点、1盗塁>

 ★《2代》1954(S29)年~1958(S33)年・5年 和田 功(わだ いさお) 投手(在籍7年)

  1933年6月19日生、左投左打
  京都・桂高‐毎日(52~58)‐大阪(59)

 【和田 功 背番号変遷】39(2) ⇒ 17(5)
 前年14試合に先発し、5勝4敗と頭角を現していた3年目の和田功が、1954(S29)年に背番号を39から12に変更した。
 54(S29)年はフル回転した。24試合に先発しリリーフとしても16試合に登板。荒巻の22勝に次ぐ16勝7敗で投球回は200回を超える202.2回、防御率は2.22と安定したピッチングを見せた。翌55(S30)年はさらに登板数を増やす。28試合に先発して21試合にリリーフ登板。投球回は220.1回に達した。それでも防御率は2.24と安定。チームトップ(3人)の18勝6敗だった。そして、和田のピッチングで特筆なのは奪三振。54年は140、55年は170奪三振と2年続けてチームトップを記録した。ただ、リーグではともに7位だった。
 56(S31)年はリリーフとして33試合に登板し、24試合に先発する。投球回は211.1回だった。防御率は2.55だったものの打線の援護も少なく、14勝17敗と負け越す。この登板過多の影響からか、翌57(S32)年からは調子を落とす。57年は29試合(9先発)の登板で3勝3敗、防御率は4.13、58(S33)年は防御率は2.38だったものの、22試合(6先発)3勝3敗に終わり、オフに大阪(現阪神)に移籍した。

 ◆在籍時投手成績<220試合、59勝40敗、防2.63、105先発、4完封、554奪三振>
 ◆在籍時打撃成績<225試合、打率.194、253打数49安打、0本塁打、13打点、0盗塁>
 ◇初登板、初先発<1953(S28)年5月24日・大映10回戦/H(西京極)先発/〇●なし7回5失>
 ◇初勝利<1953(S28)年5月28日・阪急9回戦/H(後楽園)先発/〇5回1失>
 ◇初完投<1953(S28)年6月2日・東急8回戦/H(後楽園)先発/〇10回2失>
 ◇初完封<1954(S29)年5月15日・東映2回戦/H(市川国府台)先発/〇9回0失>

 ★《3代》1959(S34)年~1965(S40)年・7年 中西 勝己(なかにし かつみ) 投手(在籍10年)

  1935(S10)年4月6日生(入団時21歳)、右投右打
  大阪・市岡高‐関西大学(中退)‐毎日(56~65)

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