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【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜(33)/「31」野手の出世番号から投手の背番号へ】

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(写真 左から、22代・今季から31を継ぐ大谷輝龍、4代・高卒1年目から活躍した須藤豊、11代&13代・首位打者も獲得した高沢秀昭、19代・歴代31最長は13年の渡辺俊介、21代・育成選手として再スタートを切る菅野剛士)


(33)「31」野手の出世番号から投手の背番号へ

 オリオンズ時代は野手の背番号だった。ミサイル打線の中核となる葛城隆雄、堅実な守備と打撃の須藤豊、太平洋に移籍して首位打者となった吉岡悟と野手の出世番号だったと言える背番号だった。そして、背番号31を顔としたのが高沢秀昭だった。広島からUターン復帰した際も31にこだわり背負った。
 マリーンズとなってからは投手、野手が交互に背負ったが、マウンド上の顔として定着させたのが渡辺俊介だった。31の歴代最長となる13年間背負ってマウンドに上がった。前年までは菅野剛士外野手が背負っていたが、今シーズンからルーキーの大谷輝龍がマウンドで新たな歴史を刻んでいく。

----- 現在の背番号「31」 -----

 ★《22代》2024(R6)年・1年目 大谷 輝龍(おおたに ひかる) 投手(在籍1年目)

 【大谷 輝龍 背番号変遷】31(1)

 2024(R6)年はドラフト2位入団、期待の剛腕ルーキー大谷輝龍が背番号31を引き継ぐ。
 石川・小松大谷高校卒業後、社会人・JFE東日本に2年所属した後、高岡市の伏木海陸運送に移籍。前年23(R5)年は独立L・富山に所属し抑え役として活躍した。9月29日には最速159キロ(松山球場)を計測した期待の右腕だ。 

----- オリオンズ&マリーンズ「31」の系譜 -----

 ★《初代》1950(S25)年~1952(S27)年途中・2年5ヶ月 東口 清美(ひがしぐち きよみ) 捕手(在籍3年)

 【東口 清美 背番号変遷】31(2+途中)
 1950(S25)年の球団創設に西本幸雄、荒巻淳らと社会人・別府星野組から入団した東口清美が、初代背番号31を背負った。
 正捕手には土井垣武がおり、1年目の50(S25)年は一軍出場なく終わる。2年目の51(S26)年は7月に初の一軍合流。28日の東急14回戦(後楽園)に途中出場して初マスクを被る。打席にも立ち、ヒットは出なかったものの打点を挙げる。その後2試合にマスクを被ったが以降は出番なく終わり、3試合の出場に終わった。
 52(S27)年は一軍での出番なく、5月3日に今久留主功とともに近鉄へのトレードが成立して移籍した。
 <3試合、打率.000、1打数0安打、0本塁打、1打点、0盗塁>

 ★《2代》1952(S27)年途中~1954(S29)年・2年8ヶ月 稲垣 定雄 投手(内野手)(在籍3年)

 【稲垣 定雄 背番号変遷】31(途中+2)
 1952(S27)年に社会人・琴平電鉄からシーズン途中に入団した稲垣定雄が、移籍した東口の背番号31を引き継いだ。
 5月9日の東急8回戦(後楽園)に2番手として6回からプロ初登板。4回4失点と失点して一軍を離れる。その後再合流し、8月30日の大映15回戦(後楽園)では初先発する。しかし、打者3人に1安打2四球で一死も取れずに降板し初黒星を喫する。1年目は6試合に登板し0勝1敗、防御率5.63に終わる。
 2年目の53(S28)年は打撃が良かったため、マウンドに上がりながら打者として8月に一軍に合流する。8月26日の西鉄13回戦(平和台)では途中から三塁に入り回った打席で初安打を記録。28日の近鉄11回戦(大阪
)では7番三塁で初スタメンも果たす。9月にはマウンドにも上がり、最終的に3試合に登板し防御率2.25、打者として22試合に出場し53打席に立ち打率.216、0本塁打5打点を記録した。
 54(S29)年は登録は投手のまま内野手として出場する。二塁20、三塁9、一塁2、外野でも1試合とユーティリティーさを発揮し65試合に出場し、打率.254、0本塁打8打点を記録した。しかし、オフには引退した。
 投手<9試合、0勝1敗、防4.56、1先発、0完封、6奪三振>
 打撃<71試合、打率.228、114打数26安打、0本塁打、13打点、1盗塁>

 ★《3代》1955(S30)年・1年 葛城 隆雄(かつらぎ たかお) 内野手・外野手(在籍9年)

 【葛城 隆雄 背番号変遷】31(1) ⇒ 5(8)
 1955(S30)年に大分上野丘高校から入団した葛城隆雄が、背番号31を引き継いだ。
 高卒ルーキーながら5月に一軍合流。11日の大映5回戦(後楽園)に三塁の守備固めで初出場、翌6回戦で守備固めで入り初打席、17日の東映6回戦(駒沢)で代打で登場して初安打を記録する。以降守備固めで出場し、25日の大映8回戦(駒沢)には9番三塁で初スタメン出場を果たす。6月16日のトンボ8回戦(後楽園)では途中出場し初本塁打を記録する。夏場に調子を落として離脱したものの、最終的に打率.169、2本塁打5打点で1年目を終えた。オフには背番号を5に変更した。
 <1072試合、打率.283、3954打数1118安打、116本塁打、585打点、86盗塁>

 ※在籍時に獲得したタイトル
  ◆打点王/2度(1958年、59年)
  ◆最多安打/2度(1958年、59年)当時連盟表彰なし
 ※在籍時に選出された表彰
  ◆ベストナイン/2度 (1958年、59年)
 ※在籍時に達成した主な記録記録
  ◇1000試合出場(1963年6月23日、史上81人目)
  ◆サイクル安打(1957年8月27日、史上15人目)史上最年少達成

 → 葛城隆雄 背番号5

 ★《4代》1956(S31)年~1961(S36)年・6年 須藤 豊(すどう ゆたか) 内野手(在籍6年)

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