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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(40)「38」強心臓投手と期待の大砲候補の系譜】

割引あり

(写真 左から、17代・復活期す髙部瑛斗、初代・創設3年目に背負った古泉静彦、9代・二軍で2冠も一軍では1本塁打に終わった川島正幸、10代・ケガに泣いた岡部明一、15代・38番唯一の外国人イ・デウン)


(40)「38」強心臓投手と大砲候補の系譜

 毎日、大毎時代は細かく引き継がれ、一躍38番が脚光を浴びたのは成重春生だった。1974(S49)年の日本シリーズの大舞台で強心臓ぶりを発揮し、日本一へとチームの流れを変えた。川崎時代以降は将来を期待された若手の強打者に引き継がれたが、一軍の主力には届かなかった。マリーンズとなってからは投手、野手と引き継がれ、イ・デウンが初めて外国人選手として背負った。

----- 現在の背番号「38」 -----

 ★《17代》2020(R2)年~現在・24(R6)年は5年目 髙部 瑛斗(たかべ あきと) 外野手(在籍5年目)

  1997(H9)年12月11日生(入団時22歳)、右投左打
  山梨・東海大学付属甲府高‐国士舘大学‐千葉ロッテ(20~)

 【髙部 瑛斗 背番号変遷】38(4)

 2019(R1)年のドラフト3位で国士舘大学から入団した髙部瑛斗が、背番号38を引き継いだ。
 1年目の20(R2)年はシーズン最終盤に一軍登録される。10月6日のオリックス19回戦(ZOZOマリンス)に1番左翼でスタメンで初出場。9日のソフトバンク16回戦(PayPayD)では代打で登場して初安打を記録する。1年目は5試合に出場しヒットはこの1本に終わる。
 21(R3)年は33試合に出場したが、打率.145と低迷する。しかし、二軍ではイースタン・リーグで盗塁王を獲得した。
 22(R4)年はオープン戦で首位打者に輝き、3月25日の楽天との開幕戦(楽天生命)に1番左翼で初の開幕スタメン出場。以降、一軍に定着してスタメン出場する。7月には月間サヨナラ賞を受賞した。1番を務めたが、荻野貴司復帰後は2番に定着。最終的に137試合に出場し、44盗塁で自身初のタイトルである盗塁王を獲得。規定打席に到達して打率.274でリーグ7位とベストテン入り。オフにはゴールデングラブ賞も受賞した。
 しかし、23(R5)年はケガに泣かされる。開幕前に右肩肉離れ。4月下旬には右肩筋損傷、9月には第一肋骨切除の主術を受け、一軍未登録に終わった。

 (23年シーズン終了時)
 ◆打撃成績<175試合、打率.259、606打数157安打、4本塁打、44打点、48盗塁>
 ◇初出場、初スタメン、初打席<2020(R2)年10月6日・オリックス19回戦(ZOZOマリンス)/1番左翼/4打0安>
 ◇初安打<2020(R2)年10月9日・ソフトバンク16回戦/R(PayPayD)/代打/1打1安>
 ◇初本塁打、初打点<2021(R3)年4月24日・ソフトバンク5回戦(ZOZOマリン)/9番右翼/高橋礼から>

 ※イースタン記録・表彰(盗塁王(21)、優秀選手(20))

----- オリオンズ&マリーンズ「38」の系譜 -----

※1950(S25)~1951(S26)年 空番


 ★《初代》1952(S27)年~1954(S29)年・3年 古泉 静彦(こいずみ しずひこ) 投手(在籍3年)

  生年月日不明(入団時20歳)、左投左打
  広島・広島商高‐毎日(52~54)

 【古泉 静彦 背番号変遷】38(3)

 球団創設から2年空番だった背番号38だったが、1952(S27)年に広島商業高出身の古泉静彦が初代背番号38を背負った。
 新人若手を中心とした新人軍でマウンドに上がったが、3年間一軍未登板に終わり、3年目の54(S29)年限りで引退した。

 <一軍未出場>


 ★《2代》1955(S30)年~1957(S32)年・3年 大工 勝(だいく まさる) 投手(在籍3年)

  1936(S11)年6月13日(入団時18歳)、右投右打
  京都・桃山高‐毎日(55~57)

 【大工 勝 背番号変遷】38(3)

 1955(S30)年に京都・桃山高校から入団した大工勝が、2代目の背番号38を引き継いだ。
 ルーキーながら開幕直後の4月下旬に一軍ベンチ入り。4月23日の大映1回戦(駒沢)の先発マウンドに上がり初登板を果たす。しかし、2回無失点だったものの中川隆に後退して降板する。翌24日の2回戦には2番手として登板して2回2失点で一軍を離れた。シーズン終盤に再登録されたが、1年目は4試合に登板し、防御率4.50だった。2年目の56(S31)年は2試合に登板したが1.1回で3失点(自責2)に終わる。3年目は一軍登板なく、57(S32)年限りで引退した。

 ◆在籍時投手成績<6試合、0勝0敗、防5.79、1先発、0完封、4奪三振>
 ◇初登板、初先発<1955(S30)年4月23日・大映1回戦/R(駒沢)/先発/2回0失>


 ★《3代》1958(S33)年~1962(S37)年・5年 稲垣 忠美 投手(在籍5年)

  1939(S14)年10月12日(入団時18歳)、右投右打
  愛知・岡崎工業高‐大毎(58~62)

 【稲垣 忠美 背番号変遷】38(5)

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