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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(36)「34」400勝投手監督から投手の背番号に】

割引あり

(写真 左から、16代・左腕エースへ期待高野脩汰、4代・ミサイル打線のけん引役八田正、5代・東京球場時代の切り込み隊長池辺巌、6代・400勝投手が監督となり宙を舞う金田正一、13代・左のリリーフとして活躍川井貴志)



(36)「34」400勝投手監督から投手の背番号に

 背番号34は左腕投手のイメージが強い。それは間違いなく金田正一という大投手のイメージであり、それにあやかろうという理由から投手に与える球団が多かったからだろう。しかし、オリオンズでは、ミサイル打線の切り込み隊長・八田正、東京球場時代の切り込み隊長・池辺巌と主力野手が背負っていた。そこに、背番号34の権化である金田正一が監督に就任し、オリオンズの背番号34の系譜を一変させた。金田監督退任後、マリーンズとなってからは投手の背番号となっている。

----- 現在の背番号「34」 -----

 ★《16代》2023(R5)年~現在・2年目 高野 脩汰(たかの しゅうた) 投手(在籍2年目)

 【高野 脩汰 背番号変遷】34(2)
 2022(R4)年のドラフト4位で社会人・日本通運から入団した高野脩汰が背番号34を引き継いだ。
 ルーキーイヤーの23(R5)年は二軍でマウンドに上がり、フレッシュオールスターに選出され1回を三者凡退に退ける。直後の7月末に初登録され、25日の西武13回戦(ベルーナD)に2番手で初登板を果たす。以降、リリーフとして6試合に登板し、防御率1.64とまずまずのピッチングを見せた。
 (23年シーズン終了時)
 <7試合、0勝0敗、防1.64、0S、0H、0先発、0完封、8奪三振>

----- オリオンズ&マリーンズ「34」の系譜 -----

 ★《初代》1950(S25)年~1953(S28)年・3年 内海 寛(うつみ ひろし) コーチ(在籍3年)

 【内海 寛 背番号変遷】34(3)
 初代背番号34は、球団創設時にコーチとしてチームに加わった内海寛が背負った。
 内海は夏の甲子園の準優勝投手で関西学院大学から毎日新聞大阪本社に入社。大正時代に結成された「大毎野球団」(大毎オリオンズとは別球団)に所属し投手、内野手として活躍していた。
 球団創設に当たり現場に復帰し、3シーズン指導した。

※1954(S29)年 空番

 ★《2代》1955(S30)年~1956(S31)年・2年 杉浦 四郎(すぎうら しろう) 投手(在籍2年)

 【杉浦 四郎 背番号変遷】34(2)
 1955(S30)年に愛知・岡崎高校から入団した杉浦四郎が、前年空番だった背番号34を引き継いだ。
 前年のセンバツで甲子園に出場し、将来性高い大型右腕として期待された。しかし、55(S30)年から2シーズン所属したが、一軍未出場に終わり、56(S31)年限りで引退した。
 <一軍未出場>

 ★《3代》1957(S32)年・1年 指方 輝雄(さしかた てるお) 外野手(在籍1年)

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