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◆読書日記.《ウラジーミル・ソローキン『青い脂』》

※本稿は某SNSに2021年10月9日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。


 ウラジーミル・ソローキンの狂ったポストモダン文学『青い脂』読了。

ウラジーミル・ソローキン『青い脂』

 本書は1999年にロシアの小説家ソローキンが10万部と言う異例の売り上げを出したエログロナンセンス的なSF実験小説である。

 本書の内容は簡単に言ってしまえば……

・旧ソ連の指導者フルシチョフとスターリンとの濃厚なセックスシーン
・文豪クローン「トルストイ4号」が泣きながら灯油ランプを噛み砕き噛み砕き書いた狂ったテクスト
・ロシアの大地に男根を突き刺してセックスする未来教団「ロシア大地交合者教団」の信徒によるタイム・スリップ
・食事の席で突如スターリンに対して「貴方の娘を私にください!」と叫び、その場でスターリンの娘の肛門を乱暴に犯すヒトラー
・会話の中に頻繁に中国語が現れ、そのほとんどが罵言である新ロシア語
・様々に豊かなバリエーションを揃えているマルチ・セックス、
・卵を産む有名なロシアの女性詩人

 ……といったお話である。

<あらすじ>

 舞台は2068年のロシア。周囲から隔絶されたシベリアの奥地のとある研究所に7体の「文学クローン」が到着する。クローンはぞれぞれトルストイ4号、チェーホフ3号、ナボコフ7号、パステルナーク1号、ドストエフスキー2号、アフマートワ2号、プラトーノフ3号と呼ばれていた。

 彼らはそれぞれロシアの文豪を再現したクローンなのだが、完璧な再現にはいたっておらず、最高でも相関率88%。その身体は奇妙に歪んでおり、例えばドストエフスキー2号は胸腔が竜骨のように前に突き出し、こめかみの骨が鼻の骨とノコギリの柄の形に癒着しているという異常が見られた。

 これらクローンはそれぞれの個性に合わせた狂乱した様子でテクストを綴り、出来ると更に異様な状態に変化したまま仮死状態に入る。
 その際にクローンたちの体内に貯まるのが「青脂」である。
 この青脂はいかなる化学変化も受け付けず、温度変化もほとんど受けないという特殊な物質であるという。

 この青脂はクローンがテクストを綴る事でしか精製する事ができない。

 これは世界を変革させる大変な新物質であるらしく、青脂が精製された直後、研究所は何者かの襲撃を受け壊滅。青脂は根こそぎ奪われてしまう事となる。

 青脂を奪取したのはシベリアの大地とセックスするカルト集団「ロシア大地交合者教団」であった。

 青脂はこの教団のマギストル(騎士修道会長)の元に持ち込まれた。
 マギストルはこの青脂を過去へ、1954年のソ連邦に送るためにタイム・マシンを動かす事となる。1954年、ソ連では突如として現れた氷柱を回収。氷漬けになっている半獣半人が抱えていたトランクから青脂を発見するのだった。……というお話。

<感想>

 「あらすじ」をお読みいただくと、結構ちゃんとしたハードSFっぽい感じはするのだが、さにあらず。
 内容はもう、とんでもないデタラメと罵詈雑言、下品なセックス・ジョークと詩と戯曲と挿入短編とが入れ混じったカオス状態になっている。

 一見してぼくには中原昌也の作風を想起させた。
 
 登場人物は一見理性的な言動をとっているように見えてその実、確実に狂っている。

 文学クローンが書くドストエフスキーやトルストイの文体模写的なヘタウマ文章は、全文この作品の中に挿入されているのだが、内容は確実に狂っている。
 伏線は放り投げられ、登場人物は常に支離滅裂な言動で読者を混乱させる。

 これは非常に痛快なデタラメさだ。
 ぼくはこれを読んでいて、何度も爆笑したくらいである。

 しかし、単に「デタラメ書いている」とは言っても、「読ませるデタラメ」というのは、なかなか書けるものではない。
 ぼくの好みの見方をしてしまえば、この小説はシュルレアリスム的な内容なのである。

 本書の解説を読むと、やはりこのような内容の小説でも様々に深読みをしている人はいるようだ。
 本作でしばしばゲイ・セックスやマルチ・セックスが出て来るのは、未来の性的な行為と言うのにはジェンダー的な壁がなくなって男-女という二元論的性関係は崩壊しているという思想があるのでは?云々である。

 こういう指摘は面白いし、ぼくの好みではあるのだが、ぼく的にはこの小説はあくまでソローキンの「デタラメ小説」であると見ている。

 だが、シュルレアリスム的に言うならば「デタラメ」というものには、必ず著者の無意識的な嗜好が関わっているもので、それを解析するのがシュルレアリスム的な面白さの一つだと言える。

 秩序も何もない、荒唐無稽で不条理な何でもありの小説なのだから、何が出てきてもおかしくない。
 だが、著者が気に入らないタイプの"デタラメ"は、その小説世界には紛れ込んでくる事はないのである。だからこそシュルレアリスム的になる。

 この作者の場合、無意識的な要素と意識的な要素が複雑に絡んでいる。
 だから、少々このテクストを解析するのは難しい部分がある。

 顕著な特徴の一つは「登場人物の突発的な行動」というのがあるだろう。
 これが、傍から見ると何とも神経症的なのである。
 何の前触れもなく突如叫びだす人物、穏やかにしていた人が、何のきっかけもなく突然暴れだして暴力をふるう。
 例えば、ヒトラーは自分を称える歌を歌ったスターリンの娘を、突如「私にこの娘をください!」と叫んでその場で犯し始める。
 ……と言ったように、本作の登場人物は、時として行動に「段階」がなく、突如として極端な行動をとるのだ。この物語の中では、ある種の「きっかけ」となる事柄もなく、因果の関係ない暴力が突然始まる事がしばしばある。

 そういう、何かしら人と人とのコミュニケーションの常識的な段階が崩され、突飛な行動が行われる……こういった所にぼくなどは本書の「神経症的な」特徴を見てしまうのである。
 そこからソローキンには、ある種このような「突如として無秩序に表れる暴力」というイメージにとらわれているようにも思えるのである。

 ……といったように、本書は本質的には「著者がデタラメ放題に書いたテキトー小説」という面はあるものの、そのデタラメさにある種の著者の無意識が散見され、非常に面白いものになっていると感じるのである。


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