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『悩ましい世』No.4

猫さんは永遠の叡智となったパニーニに、もらった木の枝が何なのか聞いてみた。パニーニは、もはや喋ることは出来ないが、微かな振動で意思を伝える。

「…わかんないのか…」

猫さんはガッカリした。パニーニにもその枝が何なのかわからない。長い時間をかけて悠久の記憶を遡ってもよくわからない。猫さんはせっかく雨の中を歩いてきたのに、無駄足となった。パニーニは己の長い記憶を遡るうちに、スヤスヤと深い眠りに入っていった。仕方がないので、猫さんは雨に濡れた枝を振りながら、近所を散歩してみることにする。

今は公園になってしまったが、かつて住んでいたお家に行ってみる。遊具のない公園の砂に枝でガリガリと落書きをする。猫さんは公園にある古井戸の取手に体重をかけると、井戸からドボドボとキレイな水が溢れ出た。サッと身をよじり井戸の水が砂に書いた溝に流れて、無機質な地面に様々な模様が現れた。猫さんはなんとなく満足すると、流れ出る水をそのままに、枝を振りながらお隣の珈琲屋さんに立ち寄る。

珈琲屋さんのマスターは、猫さんの久しぶりの訪問を喜んでくれたが、しばらく会っていなかったマスターの髪は真っ白になっていた。逆になぜか若返ってしまった猫さんは、不思議な気持ちで美味しい温ミルクを頂くと、防災倉庫からもらったお気に入りの枝を見せた。マスターは笑っていたが、猫さんが大事にしている様子を見て、素敵な木をもらったねと頭を撫でてくれた。

満足してお店を出た猫さんは、すっかり晴れた青空を仰ぐと、褒めてもらったお気に入りの枝を握りしめ、道に積もったカラカラの落ち葉を蹴散らしながら帰路についた。

猫さんが会館に着いた頃、薄い月明かりのもとで、模様を描いた公園の古井戸の蓋が静かに開いた。そこから白いなにかがスルリと地面に滑り落ちた。白いなにかは地面に描かれた井戸水の溝を辿ると、キョロキョロと方向を見定めて、暗闇の中にスッと消えて行った。

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