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『燃えよ剣』で山田涼介さんを知った私が、オススメいただいた出演作を観てみた

昨年、『燃えよ剣』の沖田総司があまりに素晴らしくて狂った長文note(映画『燃えよ剣』の沖田総司で沖田オタクはすっかり気が狂っちまったって話)を投稿したところ、有難いことにたくさんの反響をいただきました。山田涼介さんの演技力と美貌、美声を目の当たりにした私は、せっかくなら別の出演作も観てみたいなと思うようになりました。
そこでTwitterにて有識者にオススメ作をお尋ねし、教えていただいた4作品の感想をこちらのnoteにまとめています。少しでも楽しんで読んでいただけますと幸いです!

◆金田一少年の事件簿 獄門塾殺人事件

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こちらはフォロワーさんから、「コミカルさもシリアスも可愛さも美しさも堪能できる」とご紹介いただいた一作。まさにその言葉通り、等身大の高校生男子と名探偵の顔を自在に使い分ける山田さんを楽しめた。

ドラマは、教壇に鎮座する金田一少年の生首というなかなか攻めたシーンから始まる。ファンの方は相当ギョッとしたのではないだろうか。
ところが私の場合、山田涼介さんといえば沖田総司のビジュアルにしか馴染みがないため、ファンならありえないような盛大な勘違いをしてしまった。生首が山田さんだと気づかず、殺された被害者のものだと思ってしまったのだ。
「きっとこの生首は作り物なんだ、よくできた精巧な人形だ。だってほら、リアルな人間の顔にしてはあまりにも美しすぎる。造詣が整いすぎている……」
ところが生首が突然動き出し、腰を抜かしてしまう。人形じゃなくて本物の人間だったんかい!!
なんと作り物かと思われた美しい顔は生きた人間、すなわち山田涼介さんのものだったのだ!二重にビックリだよ!!

それにしても金田一少年の山田さん、めっちゃ若、、可愛い!!!眩しいほどの可愛さ!!あどけない!!!血色が良くて健康!!!!!!(沖田比

当時、二十歳かそこらくらいの頃に撮影されたんですよね?!(ググった)
やだ本当にかわいい……シャツの第一ボタン外してネクタイなんか緩めちゃったりして〜〜こんな顔の良い名探偵、世間が騒がない方がおかしい、絶世の美少年探偵として崇められるべき。
とはいえ金田一少年を演じる山田さんはその美貌にも関わらず、ちょっとスケベな明るくてお調子者の高校生男子、というキャラクターを易々とこなし、コミカルな演技もお手の物。そんなに変顔してもいいの…?と何回も心配になった。結婚式場のシーンなんか、ブレザーめちゃくちゃ似合ってて思わず見惚れてたのにいきなり変顔するものだから、温度差で風邪引きそうになったよ!まるでスイッチを切り替えるみたいに、同じ金田一少年というキャラクターのなかにも様々な顔を見せてくれる彼は、どんな役柄でもこなせるんだなぁと感動した。

ここで少しストーリーの話をすると、ともかくトリックに頭をぶん殴られた。めっちゃ天才……痺れた……原作者こそIQ180でしかない。
やたら厳しい合宿スケジュール、綱を持っての夜の散歩、などトンキチ要素と思われたものすべてが伏線として回収され、大胆なトリックが明かされた時、思わずアッと声が出る。はじめちゃん、せっかく美雪とロマンチックな遠距離恋愛を楽しんでいたのに実は遠距離じゃなかったんだね笑

この合宿では人間の本性が炙り出されると語る、地獄の傀儡師こと高遠。いじめっ子の中屋敷くんが犯人というミスリードを誘う構成でもあったことから、彼の言う人間の本性とは、「ライバルを蹴落としてでも上に立ちたいという剥き出しの醜い欲望」なのだろうかと思わされる。
しかし事件の真相が明らかになるにつれ浮かび上がるのは、いじめを見て見ぬふりをした人間の弱さである。ある者は、知らず知らずのうちに好きな人の死に加担してしまった。またある者は愛する家族を守れなかった。その罪悪感に苛まれ、復讐のために人殺しとなってしまった。
そした佐木君は、自分の保身のために誰かが傷つくことを黙認してしまった罪悪感に苛まれている。しかし彼は最後の最後、身を呈して好きな女の子を守ってみせた。人間の醜さや弱さを操り利用する高遠に、人間の強さを示してみせた、胸のすく反逆のシーンであったように思う。

【好きな金田一少年三選】

①弁当を奪ういじめっ子との顔面圧バトル
山田涼介さんの圧勝。上目遣いであの顔でメンチ切られて勝てる人間なんかいない。続けざまのニッコリ笑顔が鳩尾にキマってKO負けです。

②絶対に惚れてはいけない獄門塾殺人事件
吊り橋から落ちそうなところを命を助けられて、「事件が起きたのはおまえのせいじゃないよ 大丈夫 俺がついてる」ってあんな優しくて綺麗な声で後ろから囁かれて、最後にバックハグまでされて惚れないなんてこと、できるの? 佐木くんの心臓がドキドキで破れてしまわないか心配だった。

③金田一少年の声
ずっと気になっていた、「『燃えよ剣』の時の山田涼介さんの声はあまりにも沖田総司だが、元々からこういう声をしているのだろうか?」という疑問が解消された。結論、普段から優しくて綺麗な声をされているのだけれど、やはり役柄によって声色を使い分けていらっしゃるように思う。(つまり沖田総司の声は、彼の天性の声と、緻密な演技と、沖田総司というキャラクターとの抜群の相性の良さによって生まれた奇跡の産物だったのだ!)
金田一少年の場合、普段はただの高校生らしい、地に足のついた少年の声をしているが、終盤、顔つきも声色もガラリと変わる。彼は得意げに声を張り上げてトリックを暴いていくのではない。むしろ、囁き声に近いような静かな淡々とした語りのなかに、復讐心を抱いて殺人に手を染めてしまった犯人達に対するやるせなさや、他人を利用して利己的な殺人事件を起こし続ける高遠への怒りを滲ませる。優しさや正義感を持ち合わせた少年性と、完全犯罪のトリックを鮮やかに見破ってみせる才能の異次元性、それらが見事に同居しているのが金田一少年の山田さんの声なのだと思った。それにしてもさぁ、あんな綺麗な顔と声で犯人を追い詰める金田一少年なんて、ある意味ファム・ファタールみたいなもんだよなぁ……


◆今日の日はさようなら

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こちらはファンの方から、「儚い山田くんが見たいのであれば」と教えていただいた作品なのだが、あの、本気で、毎秒最高過ぎて、気が狂いそうでした!!!!本当にありがとうございました!!!!!!!好きなシーンは、山田さんが映ってるところ全部、です!!

本作は森山良子の名曲『今日の日はさようなら』をオマージュしたドラマ。何気なく送る日常が明日も続くとは限らない。一日一日を生きられる素晴らしさ、誰にでも訪れる「死」に向き合うことを教えてくれる王道闘病モノである。山田涼介さんは、癌を患って入院している主人公の隣室の患者、原田くん役。小児病棟出身であり、自宅ではなく病院が居場所と言ってしまうほどに闘病生活が長い。そしてこの原田くん……オタクの大好きな儚さをいーーーっぱいに詰め込んだ、めちゃくちゃ最高の人物造詣をしているのである。

思うに山田さん、死の影を纏わせて生きる男の役が得意だな???????
原田くんのなかには光(生)と闇(死)が同居しているのだが、物語の前半部分では死の影を色濃く纏っていた彼が、ラストシーンに向かうにつれて少しずつ生きることを希求し、光に向かって進み出していく。そのグラデーションが非常に見事なのである。
このドラマにおいて原田くんは主人公と対称的な立ち位置で描かれている。いつか自分が死ぬかもしれないという事態にいまいち現実味が持てないながらも闘病する主人公。そこに現れるのが原田くんだ。この世に生きているはずなのにいつもあの世に片足突っ込んでいるような、突然ふっとどこかに消えてしまいそうな儚さと、透明感。レモンを渡す原田くん、"呼吸さん"を紹介する原田くん、幼い女の子達と戯れる原田くん。どのシーンも、妖精かと思うほど現実離れした無邪気な可愛らしさのなかに、どこか退廃的な美を潜ませる。そうした雰囲気を、背中の曲がった立ち方、ゆっくりとした歩き方、どこか遠くを見つめるような表情の作り方などによって表現する。そしてなにより、やはり彼の声は役者として唯一無二の武器だと確信する。
軽やかで明るいのに、どこか仄暗い。
美しくて綺麗なのに、どこかせつない。
己の死を物心ついた頃より見つめてきた人間の心情を、声色ひとつで見事に表現してしまう。
とりわけ彼から死の匂いが強く香り立つのが、霊安室のシーン。「生きることに執着しない練習」なんて痛ましく悲しいことを、なんと軽やかに言ってのけるのだろう。死に向き合う恐怖に襲われ、霊安室から逃げ出す主人公と対照的に、原田くんは棺に頬を寄せ、うっそりとした微笑を浮かべる。

ここのシーンがですね、最高すぎて、
ワッハッハッハッハッて高笑いしてたね、その後、即一時停止して何度も巻き戻した。
人間、一日の許容量を遥かに超える""良さ""を摂取すると高笑いしちゃうこともあるみたい。いやほんと笑ってないと、美少年の極上の儚さに狂って頭おかしくなりそうだった……脚本家さんとは趣味が合いそうだ、是非とも感謝の気持ちを込めて金一封をお渡ししたい。

中盤の、カウンセラーと原田くん、主人公の三人が霊安室に集うシーンは、ストーリーの重要な転換点だ。「生き続けることを諦めている」原田くんと、「死をどう考えていいかわからない」主人公は、「生きようとして欲しかった」と語るカウンセラーの言葉をそれぞれの立場から受け止める。そしてこのシーンをきっかけに主人公は死ぬことを受け入れる準備を始める。一方の原田くんは自分を誤魔化さずに死の恐怖を真正面から受け止めながら、生き抜こうとする意志を持つようになるのだ。
すると前半パートではあんなに現実離れして儚かった表情が、どんどん人間らしくなってくる。「僕たちは最強だ」と語る彼の潤んだ瞳は、心の奥底から湧き上がる、彼自身すら制御できないほどの生への渇望を表している。あんなに心は死を受け入れようとしていたのに、原田くんの身体は成長を続けている。彼の胸の奥底に秘された「生きたい」という願いそのままに、ミシミシと彼の中で育ち続ける骨のことを考えると、愛おしくてたまらない。雨の日の公園で、死にたくない、死ぬのは怖いと素直に口にした彼は、もう昔の彼ではない。ラストシーン、生まれたばかりの赤ちゃんを眺める原田くんの姿を見てようやく私は、「ああ、もう大丈夫かもしれない」と思うことができた。それまでずっと、原田くんが死ぬ瞬間をドラマで見届けなければならないかもしれない緊張感に包まれていたのだ。
彼の人生には、常に隣に死がある。長い入院生活のなかで見送ってきた人々の死が、彼の中に積み重なっている。死んだ人間の数を数えることに意味なんかない。原田くんははじめそう言ったが少し考え、すぐに言い直した。「意味はあるのかもしれない」と。
人の第二の死はすべての人に忘れられた時、とよく言われる。原田くんが死んだ人数を数え、その顔を思い浮かべる限り、その人は「死んでいない」とも言える。主人公は「死ぬことは終わりじゃない」と書き残してこの世を去った。残された原田くんには、主人公含め今まで見送ってきた四十九人を記憶し続けるという使命が残された。死んでいった彼らの生きたかったという想いを繋いで、今日という一日を生きていく。生きて、生きて、きっと原田くんは長生きするのである。


◆グラスホッパー

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ファンの方より、「美しく狂気的な殺し屋役」を演じていると紹介された作品。そのキャラクター設定だけで最高を確信していた私だったが、映画を観てみると、予想のさらに上をいっており度肝を抜かれた。これまで観てきた作品での、現実離れした妖精のような無垢さ、吹けば飛ぶような命の儚さとはまったく異なる、血と死の匂いを染み込ませた肉体に圧倒的な虚無を飼う、「アウトローの山田涼介」がスクリーンに確固として存在していたのだ。演技の振り幅がえげつない!!!

ジリジリ、と電気に焼かれる羽虫をじっと見つめる姿だけで「蝉」という男の特異性を表現する。瞬きすらしない大きな瞳でいったい何を思うのか。自分の命も虫ケラの命も、そしてこれから屠るターゲットの命も、きっと彼の中で等しく、なんの意味も持たない。キーンというモスキート音(蚊の羽音)のような耳鳴りが、鳴っている。それは生の実感の欠落の、メタファー。簡単に殺されてしまう蚊、或いは七日で死ぬ蝉といった"死"のイメージが彼には纏わりつく。シジミに羨望の眼差しを向けるくらいには彼自身、生と死の境界が曖昧で、自分は生きているのか死んでいるのかもあまりわかっていない。おそらくあまり痛覚もない。生きている意味もわからない。他人が自分に向ける、死にたくないと足掻く殺気をぶつけられることで、己の生を辛うじて実感しているのか。
まるで人を殺すために造られたサイボーグみたいに、正確に、的確に最短ルートで一分の隙もなくターゲットを追い詰め喉笛を掻き切っていく。ギギギ、と機械音でも鳴りそうな首の傾げ方をしたり、顔の筋肉を動かしたりするその動きで「蝉」という殺し屋の男の、およそ人間らしい暮らしを送ってこなかった半生を想像させるわけだけど、こんな動きどうやったら習得できるんですか??役者ってスゲエ。

それにしても瞼を閉じる山田さんの睫毛の長いことといったら。人形のような顔にパッと返り血を浴び、見開かれる瞳。死ぬ前にこんな綺麗な顔を見せてくれる殺し屋、たまらなすぎる。
素早いナイフ捌きと、身のこなし。容赦のないアクションシーン。人間離れした動きと疾さに、息を呑む。山田さんって素手のアクションもこんなにできたんだって驚いた。(でもよく考えたら普段は歌って踊るアイドルだから、運動とか普通にめちゃくちゃできるんですよねきっと)罪深い黒のタンクトップから伸びる白い腕、鍛え過ぎてなくて細過ぎもしない理想の筋肉つき方…ありがとう……
ハァ、ダメだ冒頭だけで既に致死量の良さを浴びている。山田さんがこんな最高の役やってたの、なんで今まで知らなかったんだろう。2015年にタイムスリップして初見の状態で映画館で観てみたい。

『燃えよ剣』の沖田総司って、純粋な少年性と残酷な人斬りという矛盾をひとつの人格のなかに併せ持っているところがひとつの魅力でして、そういう矛盾を、この「蝉」にもバリバリに感じる。今まで、「沖田総司役によくこんな素晴らしい役者を見つけてくれたな製作陣グッジョブ!」って気持ちだったけど今はもはや、「沖田総司役に山田涼介さん以外ありえなくない?!?!」と謎の上から目線にすらなっている。
そんな最強に最高な蝉に沸き散らかしている私の心臓をさくっと背後から突き刺していったのが、相棒の岩西との関係性……トドメを刺された。なんでこんなに私のツボを心得ていらっしゃるんですかこの映画は、もはや怖い。
まず岩西に頭わしゃわしゃされてる蝉、めっちゃ可愛くない?!なんであんなキレるナイフの具現化みたいな子が無防備に頭撫でられてるの?!しかも別れ際に「寝る前に歯を磨けよ」ですよ?!保護者ヅラ!!!保護者ヅラ!!!私がこの世で二番目に好きなやつ!!!
このやり取りだけでオタク特有の行間を読む能力が発揮され、彼らの過去が"視える"状態になってしまうわけ。おそらく蝉は孤児で、幼い頃より暴力に晒されて生きてきた。だから生の実感が薄いし、痛覚も無意識に遮断している。そんな蝉に、ある事件をきっかけに出会ってしまった岩西は、彼を見捨てて死なすわけにもいかず、うっかり捨て猫を拾うみたいにして懐に入れてしまう。それからは、自分でもガラじゃねーなと思いつつ、少年の面倒を何かと見てやるようになり、底辺社会で生き抜く術を教えるために、暗殺稼業に引き入れてしまうのよ、彼の本当の幸せを考えれば殺しなんかさせなきゃよかったのに、そばに置きたいばかりにな。
と、ここまで原作未読のオタクのただの妄想をお送りしましたが、その後のシーンで鯨に罪を告白する寺西が、「俺の一番の罪はあいつを暗殺稼業に引き入れたことだ」って言い出したのでかなり動揺した。え???そんな美味しい設定が公式で、マジでいいんですか?ほんとに???
人の死に山ほど関わっているはずの岩西が、たったひとりの少年の未来を奪っていることに罪悪を感じているなんてエモいったらありゃしない。でも個人的には彼らの最大のエモさは、「岩西がいたから、蝉は"人間"として生きてこれた」ところにあると思っている。これ、私がこの世で一番好きな関係性!!!

蝉の左の耳ではずっと、蚊の羽音のような耳鳴りがしている。それは、彼の命が"虫けら"のように、誰からもなんの価値も見出されない儚いモノであることを示唆しているように思う。ナイフを握っている時に耳鳴りが止むのは、生死の境に足を踏み込み、死なないことで逆説的に生きていることを確かめられるからだろう。しかし岩西とくだらない話をしている時も、耳鳴りが止む。つまり生きている実感、生の意味を得るのだ。それは、岩西だけが蝉を一人の"人間"として大切にしてくれているからに他ならない。
岩西に対して思わず声を荒げてしまい、バツの悪い顔をするシーンとか、自分達は雇い雇われじゃなくて「相棒」だろうと口にするシーンの蝉を見ていると、彼にとって誰かと対等の関係になることの重みや、初めて誰かと対等になれたことの喜びを感じてしまう。なんて健気で可愛い生き物なんだ……
そう、山田さんは"美しい"だけじゃなくて"可愛い"も武器になる役者なんだなって、改めて気付かされる。例えば、蝉が岩西と電話する時に見せる顔は、これまで見せつけられてきた殺し屋の表情じゃなくて、ちょっとお口の悪いただの少年の、柔らかな笑顔。その可愛らしさに胸が締め付けられる。蝉にこんな顔させられる人間、岩西しかおらんて。

鯨との戦いの時、岩西が見守ってくれてるのも泣けちゃうよね。鯨の目を見ても蝉が自我を喪わなかったのは、鯨が岩西の亡霊に気を取られたから。つまり岩西は、死後も蝉を生かし続けている。人を殺す時には「耳鳴りが消えればいいなと考えている」とかつて語った蝉は、最後には鯨と戦いながら「たったひとりのダチのこと考えて」いた。大切な人のために戦う蝉の、冒頭とはまるで異なる泥臭いアクションシーンこそ、彼が人間としてその生を確かに輝かせている証である。
蝉も鯨も、「自分の人生を生きた」と初めて思えた瞬間に死んでしまうのが皮肉だ。しかし生きていても精神は死んでいるような、生死の境が曖昧な殺し屋達だったからこそ、死後の世界ではまるで生きているように彼らの人生を謳歌できるのだろうなと思えた。
この物語の面白みは、平々凡々とした主人公が復讐を志すがなんの役にもたたず、しかし知らず知らずのうちに事件の渦中にはずっといて、凄腕の殺し屋達が周りで勝手に殺し合い決着がついているところにあると思っている。その意味では鯨と蝉の死体をひょこひょこと避けながら歩く主人公のことを、主人公であるにも関わらず「なんだおまえ」と思ってしまう蝉達のシーンは、彼らの人生が交錯しつつも対称を描く、本作のひとつのクライマックスなのであろう。残されたささやかな幸せを噛み締めて生きる主人公みたいに、どうか蝉も鯨もそのうち岩西と合流して、あちらの世界では末長く幸せに暮らしてほしい。


◆母さん、俺は大丈夫

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こちらもファンの方から、「儚い山田くんが見たいのであれば」と教えていただいた作品。『今日の日はさようなら』同様、山田さんが闘病しているドラマとのことで、「私の涙腺は既に大丈夫じゃないんですが……」とハンカチを構えながら視聴開始。再生十数分後にはハンカチでは足りずティッシュをバンバン消費し出し、あとはもうずっと泣きながら観ていた。

シンプルに、しんどい。

これはオタクが感想をこねくりまわす類のドラマじゃないんだわ、主人公・諒平の生き様をひたすらに目に焼き付け号泣することしか私にはできなかった。めっちゃ目が腫れた。
甘えん坊の兄と重い病を患う弟との間に挟まれて、諒平は幼い頃から親に無邪気に甘えることができなかった。それは、これ以上親の負担にならないようにという優しさゆえのこと。「俺は大丈夫」なのだという魔法を自分にも、周りにもかけ続けて生きてきた。学校生活においても、誰にも弱みを見せることなくしっかり者の頑張り屋として皆に頼られている。その17歳の子どもらしからぬ気丈さに、涙が止まらない。『今日の日はさようなら』は、死を受け止める準備をする大人の話だったけど、本作はまだまだ未来ある子どもの闘病のドラマなので余計につらい。周りの友達みたいに将来のことを考える必要のない、余命二ヶ月の諒平……迫真の演技だった。いや、演技だったのだろうか、と疑うほどにリアルだった。麻酔が切れて痙攣を起こす様子、麻痺した身体で必死にリハビリしたり車椅子に乗ったりする様子、いよいよ死期が迫るなかで浮かべる透明感のある微笑や、もう今にも彼岸に連れて行かれるのではないかと不安になるような、病人特有のぽっかりとした表情……
これまで観てきた三作はキャラクター性の強い役柄ばかりだったが、本作の主人公・佐々木諒平は等身大の男の子。そんな諒平を全力で、演じるのではなく、生き切っていた。「山田涼介」という存在を忘れさせるほどの役への没入感には、脱帽するほかない。
そのため、これまで三作品の感想で語彙を尽くして山田さんの美しさにはしゃいできたのだが、本作に関しては彼があまりにも"佐々木諒平"なので、罪悪感がやばくて迂闊にはしゃげず……でもこれだけは言わせてほしい。まだ元気だった頃のビジュ、最強に美しくないですか?!!山田さんのお顔がいつだって美しいことは百も承知なんですが、とりわけ本作は、明るいライティングだからなのか、髪色が似合っているからなのかわからないけど、ともかく色白艶肌美少年の極み、ミケランジェロも顔負けの造詣美。教室のベランダで、イヤホンで音楽を聴く御姿の狂おしいほどの美しさといったら……この世にこんなに、顔のつくりだけでなく纏う空気まで綺麗な男の子が生きてるなんて信じられないよ……本当に実在しているんですか???
あんまり「顔が良い」って言いすぎると怒られそうで怖いんですが、でも私は、役者の生まれ持った顔のつくりって、演技力との相乗効果を生む武器になるとも思っている。山田さんの上品で綺麗な形の唇が弧を描くと、そこに儚い命の尊さが宿る。くっきりとした二重の目をキッと見開くと、そこに病に負けない不屈の意志が宿る。役者はこの世界に無数にいて、基本的には替えの効く仕事だと言われている。でも同時に、役者が異なれば同じ役でもアプローチも異なるし、表現されるニュアンスも微妙に変わってくる。役には、役者の個性が滲むのだと私は思う。山田さんにもきっと、これまで送ってきた半生や彼自身の性格、役者としての考え方、身体能力、そして外見や声のこの上ない美しさから醸成される「役者・山田涼介さんにしか出せない個性」がある。『燃えよ剣』の沖田総司役で素晴らしい演技を見せてくれたのは、本当に今思えば必然のことだったし、これからも山田さんという存在は、エンタメ界に必要とされ続けるのだろう。
山田さんは佐々木諒平役を受けて台本を読み、「なぜ自分が選ばれたのかという理由を考えながら」演じたいとコメントを出している。結局彼自身のなかにどのような答えが見つかったのかはわからないが、ドラマを観終わった今、「自分がつらくても逆に周囲を勇気づけ、前向きにし、家族や友人達を強く結びつける諒平の優しい強さに、アイドルである山田さん自身と重なる部分があったから」ではないかと個人的には思っている。(普段のアイドルとしての山田さんの様子をまったく知らないのに勝手なことを想像して申し訳ない)
アイドルとは誰かの理想、誰かの夢、誰かの毎日の癒しであることを受け止め続けて人前に立つ存在。それは生半可な覚悟でできることではなく、血の滲むような努力も必要なのだろう。その努力を水面下に隠してアイドルは、ファンの希望の光であり続けねばならない。どんなにキツくても全力で歌って踊って、ステージ上でファンにキラキラとした笑顔と勇気を届ける在り方は、病を得ながらも周囲の人々を励まし続け、輪の中心となっている諒平の姿と、どこか重なる。
佐々木諒平は決して、何物をも恐れぬスーパーマンではなかった。重たい病を前に、つらくて悔しくて悲しくて怖い思いもして、しかしそれを誰に告げることもなく独り、部屋の壁にぶつけていた。母親にとっては、弱音を吐きたいときにこそ自分に甘えて欲しかったという想いもあろう。だが終始一貫して、周りに諦めない姿勢を見せ続けた諒平の姿には、私もかくありたい、と思わせる素晴らしさがあった。もともと重病の弟を抱えた家族が、最後まで仲良く諒平に寄り添い共に戦ってこれたのは、弟のおかげだけではなくて諒平のブレない精神が支柱となったから。一度はやる気をなくしたサッカー部員が奇跡の県大会出場を決めたのは、彼らの心の中に諒平の闘志がしっかりと息づいたから。
桜咲き誇る季節に、諒平は逝く。奇しくも外を見遣れば私の家の外にも満開の桜。春が巡るたびにこれからきっと、思い出すだろう。佐々木諒平(山田涼介さん)の全身全霊の生き様と、彼が家族や友人たちに届け続けた、希望の光とを。


以上、ここまで長い感想をお読みいただきありがとうございました!山田涼介さんのこと、これからも陰ながら応援しています!

(2022.3.27執筆)

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