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当該noteの趣旨説明

 物事には常にイメージというものが付いて回る。例えば、Noteの利用者はクリエイターのイメージが強い。みたいな。

 昨今はイメージで語ると「画一的な見方しかできないくそ野郎」的な扱いを受けることも少なくはない。くそ野郎は言い過ぎかもしれないが、「全部が全部そうではないよ」といった反発を受けることは多いと感じる。
 くそ野郎の肩を持つわけではないが、「おおまかな傾向を簡潔に述べているに過ぎない」場合に「全部が全部そうではないよ」と言われると「うるせぇ、ばかやろう」となる。

 想像してみてほしい。宇宙飛行から帰ってきたある宇宙飛行士が「地球は青かった・・・」と語った。すると、その横にいた別の宇宙飛行士Bが「いや、地球はすべてが青ではないよ。森は緑に見えたし、南極や北極、雲がかかっている場所は白色だったよ」などと訂正する。野暮だと思わないだろうか。

 もし、あなたが「地球は青だけではない」と訂正したい衝動を抑えられない宇宙飛行士Bのような性格ならば、このnoteとは相性が悪い為、そっと画面を閉じて頂くことをお勧めする。お互いのためにね。

 さて、私がなにを言いたいのかというと、「まあ、そんなカリカリしないで、気楽に読んでくれや」ということだ。

 そんなわけで、本題に入ろう。

 Noteの利用者はクリエイターのイメージが強い。
 わたしも、サックス奏者の端くれであることを思えば、確かにクリエイターを語ってもいいのだろうが、クリエイターには生み出す物の「質」や「品」のようなものが大事であると考える。もっと言うと、「クリエイター」なんて肩書は、他者がそう認識して初めて意味があるものであり、「自称」クリエイターほど胡散臭いものはない。

 そんな私が書くこのnoteをカテゴライズするなら、防音室を作る過程で、直面した出来事や感じたことを綴ったエッセイというのが正しいと思う。
 残念ながら、このnoteを読んでも、防音室を作るためのノウハウは得られないかもしれない(一助になりたいとは思うが、約束はできない)。むしろ、積極的に情報の「ぜい肉部分」にスポットを当てて書くまである。

 それはなぜか。

 とあるnoteで、だるまをくりぬいて作った自作のスピーカーの話を見たことがある。残念ながら、それを読んでもだるまスピーカーを作ろうとは思わなかったが(そもそも、だるまでスピーカーを作ることを推奨する記事ではなかったと思う)、クスリと笑えて、今でも記憶に残っている。
 わたしがこのnoteで目指すものは、まさに、だるまスピーカーの記事のような愛すべき非生産性である。

 むしろ、ノウハウについては逆に教えてくれといったスタンスである。

 だから、わたしは堂々とここで教えを乞うし、欲望も垂れ流す。それがネットの片隅に埋もれてしまったとしても。ここで、なんの成果を得られなかったとしても。徒然なるままに日ごろのよしなしごとを書き綴るまでである。

 なぜなら、このnoteを読んで一人でも多くの人が、無駄な情報で笑ってくれるのを切に願うからだ。

 なんちゃって。


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