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『旅のベクトル』

二十歳で僕が北海道を旅していたら、ネパールは本当に素敵な国だから是非行ってみて、と道中知りあった旅人に言われた。火葬された遺骸の灰を流しているすぐ側で、市井の人々がジャバジャバと洗濯をし、食器を洗っている、何もかもが自然体な人々の暮らす、8000メートル級の山の頂が連なる神々の住む本当に素敵な国だから、是非とも行ってみて欲しいと懇願するように何度も旅人に言われた。

意を決して僕は、バンコク経由カトマンズ行きの格安チケットを手に入れて、ネパールへと飛び立った。

中世のヨーロッパみたいな街並みを散策し、野生のゾウやサイが生息する亜熱帯のジャンルを訪れ、一気に北上した。ネパール第二の都市、ポカラにたどり着き、そこからは徒歩でチベット族の暮らす山をさらに北上して、当時外国人立ち入り禁止区域のムスタン王国の国境付近、仏教徒の聖地の一つ、ムクティナートまでたどり着いた。その道中に、杏の華が咲き乱れるマルファという美しい村があった。

僕はその当時の時代を生きる普通の若者だった。いつの時代でも若者は時代を投影するイデオロギーと対立する。必ずしも表だった行動に繋がる訳ではなくて、いつも内面に釈然としないものを抱える。それは今でもそうだ。だからいつでも若者は、悩み、逡巡する。だから僕の本質も普通の若者と変わらなかった。先行きはいつの時代も不透明で、絶望的な悩みを抱えながら、たまたま僕は飛行機のチケットを手にしただけだった。

僕は思い出は記憶の中だけで十分、と嘯く。このネパールの旅の後、放浪しまくって、他人から見たら正気の沙汰ではないような事をやり続けてきた。将来の不安に怯えながら、一秒前の過去の思い出を蹴散らすように、僕は自分が生きている一瞬にしがみついてきた。道中撮りまくり、現像した写真は踏みつけた。そうやって勝手に未来の出来事に怯えながら、心のベクトルを何処かの方向へ向け続けて、一歩だけ前に進んできた。けれど二十七年前、アンナプルナの山々を見上げ続けた旅の思い出だけは、何故か刻印のように胸に刻まれたままだ。

思い出は消えそうで消えない。家の掃除をしていると、たまに出てくるフィルムカメラで撮った一枚の写真。

僕の本質は何も変わっていなかった。今日も僕は心のベクトルを何処かへ向けてみる。そしてこわごわと一歩だけ前に進んでみる。

写真 文 大崎航



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