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演出家の独り言


  昨秋の『さようなら、シュルツ先生』は、小説を基にワークショップを重ねて物語を舞台化してゆく作業で、いわばMODEの芝居作りの原点であった。MODEとしての創作を開始して最初の三年間はそういうやり方を続け、初めて戯曲通りの上演をしたのが1992年の『魚の祭』(作/柳美里)だった。ま、厳密に言うと「ほぼ戯曲通り」であったのだが。その後は1995年に『窓からあなたが見える―わが町・池袋―』(作/平田オリザ)、1998年『孤独な惑星』(作/スティーブン・ディーツ)、1999年『ガリレオの生涯』(作/ブレヒト)と戯曲の通りに上演することも徐々に増えてきた。2000年代に入ってからは、ワークショップ形式で作る作品と戯曲通りにやる作品の比率はほぼ半々になったのではないか。やはりすぐれた戯曲は、戯曲通りにやって面白い。私にとってそういう戯曲の数はあまり多くはないのだが。

さて、『うちの子は』はもちろんとても面白い。何が面白いのかと考えると、少なくとも演じている側に「こりゃ、さっぱり分からん」というセリフがないからで、一方この芝居を観る側にも「ああ、分かる。私も似たような言葉を発したことがある」とか「同じことを言われたことがある」
と思えるからではないか。子供がいない人はいるが、親がいない人はいない。皆、人の子である。この戯曲で交わされる会話には皆、多かれ少なかれ聞き覚えがあり、発した記憶があるのではないか。「他人事」ではないことに人は惹き付けられる。もしかしたら、「え、こんな会話をしている親子って、ほんとにいるの?」と思ったあなたは幸せな人だ。私はそういう幸福な人は「劇場」という場所にあまり来ないのではないか、とそう思っている。

『うちの子は』は、劇場や演劇は何のためにあるのか?ということを考えさせてくれる戯曲である。

                             

以上、当日パンフレットに掲載した文です。ぜひご来場いただき、この戯曲と舞台の面白さに触れていただきたいと思います。



松本修 ( MODE 主宰 演出)


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