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参政党に入って、いろいろやったけど、辞めました。

 市議選が終わって林業に戻りました。
 冬は中勢森林組合の仕事で切り捨て間伐が多いですが、その合間に大きな事故を起こしてしまいました。
 足の骨は折れてないけれど、落下した大きな岩石が足の甲に命中し、足首の肉が破裂してしまったという大きな事故です。2021年2月2日のことです。
 入院して、手術して… 1年を棒にするほどの大怪我でした。しかし、その休んでる時こそ、人生を変える何かに出会うものですね。

 参政党に入ったのは、昨年2022年4月29日。ユーチューブ見ていて、僕が市会議員選挙の時に演説したこととおなじことを言ってる人に出会いました。
【参政党】今、動きださなければ日本の農業は終わる! 神谷宗幣 魂の演説!
 っていうやつです。農林水産業が国の基盤だと考えているのだと思いました。
 党の理念もいい。目指すところが「大調和」。つまり争いのない世界。経済政策も積極経済で意見が合いました。

 堀江珠恵さんを立てて三重の参院議員選挙を戦いました。僕は選挙対策本部の広報部長。選挙は6月23日から7月10日までの18日間。準備や選挙後の後始末など、みんな選挙の素人で大変でした。夏の暑い時に毎日頑張って、最初20人ぐらいしかいなかった三重の党員が400人ぐらいまでいっぺんに増えましたね。コロナワクチンの恐怖が迫ってきていましたから、それに合わせて参政党の人気も高まったように思います。
 その後、組織改変があって、9月に僕は三重第1支部長になりましたが、参政党には規約はあってないようなものでした。自分たちで考えても、潰されたのには驚きました。今でもそうですが、大事なところが曖昧であるというのは気持ちの悪いものです。

 10月9日に「コロナモードチェンジキャラバンin三重」を開催しました。420人を集めて、これは全国キャラバンではトップの集客でしが、ただ残念なことに、党員とサポーター向けのイベントでした。
 11月3日から桑名に入り、近藤奈歩さんの桑名市議会選挙を手伝いました。13日告示、20日投開票なので時間がほとんどなかったのですが、本人の頑張りがあり、愛知の党員や彼女の友人などの協力があり、奇跡的に当選することができました。

 堀江さんといい、近藤さんといい、純粋で一生懸命な方でしたからとてもいやりやすかったです。自分にできることとできないことを知っておられて、できないことは全部相談してくれました。大事なことはいかにして票を取るかだけなのですから、やることは決まっている。協力し合うだけなのです。でも、周りの方々の中には、候補者を指図する方がたくさんおられて、候補者の時間を奪い取ろうとします。僕はそれをガードする役目ですね。そう、選挙活動で一番気をつけなければいけないことは「敵は内部にいる」ということでした。

 今年になって4月に統一地方選挙がありました。三重第1支部では松阪市で県会議員候補を一人出して戦いました。これは最初から勝ち目はないので、参政党の党勢拡大を目的に戦略を立てました。地方で取り組む政策を具体的に示して、語りかけるようなパンフレットを作り、配りました。街宣車を走らせ、地方新聞にも広告を入れました。結果は最下位でしたが、それまで松阪では参政党票が2000ほどでしたが、3118票まで伸ばせました。
 
 ここまでが参政党活動の全てです。僕は1年間でたくさんのお金と時間を使って新しい政治のためにボランティア活動を続けてきましたが、その後、見切りをつけなければいけないことになります。
「参政党に参加することが政治に参加することになる 参政党はそのためプラットホームです」と言っていた参政党だったのですが、衆議院選挙を睨んで、中央集権・上意下達による組織に改変してきたのです。それはそれで組織運営の方針としては正しいのかもしれません。しかし、今まで言ってきたのとは全く逆じゃないですか。僕はうすうす感じていましたが「裏切ったな」と思いました。嘘つきです。これじゃあ「教育」なんてできない。哲学が全く逆なんです。思想の原則性がありません。政治女子党と同じだと思いました。
 神谷さんの底の浅さが見えたような気がします。でも、まだ赤尾さんも吉野さんも武田さんも松田さんもおられますので、しばらくは一般党員で身を潜めて見ておくことにしています。
 日本を変えることができる最後の希望だと思っていたので、すぐには諦められません。あと1年持つかどうかわかりませんが、もし壊れそうになったら、僕が立て直すしかないかなとも思いますし、完全に見切らなければいけないかもしれません。友達になった素敵な方もいっぱいいますので。

 

 
 
 
 

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