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散歩記録 江戸から東京へ「永代橋」

本編

今回紹介するのは、東京都江東区~中央区間 隅田川に架かる「永代橋」

空によく似た水色のアーチが美しく
通りの名前になっていて交通量がかなり多い永代橋。

国の重要文化財に指定されていて、竣工は1926年
そこから架け替え等もせず、今のままの形でじき100歳になる長寿な橋。

重要文化財であることを証明する碑。


他の隅田川下流に架かる橋と同様に、夜にはライトアップもされ
道行く人々の視線を奪っています。

永代側から撮った写真。


そんな、隅田川下流域を永い事見守ってきた永代橋ですが
最初の永代橋が架橋されたのは現在から300年以上遡った
1700年頃の江戸時代

江戸の町と、永代島(現在の江東区永代付近)を繋ぐ橋として
「深川の大渡し」に代わり架橋されました。



日本史上最悪の落橋事故

当時の永代橋は、現在のような鋼製アーチ橋ではなく
木製の橋だったため海水等による損傷が激しく
比較的短いスパンでの補修工事を必要としていました

幕府による補修工事が打ち切られ、地元住民によって
通行税を徴収しつつ管理がなされていた中
日本における史上最悪の落橋事故が起きました


その日は江戸三大祭の一つ「深川祭」が30年ぶりに開催された日
将軍家が船で訪れたため一時的に橋は通行止めになり
それが解かれると待機していた群衆が橋に押し寄せ大混雑。

人々の重みに耐えられなくなった橋が崩落していまいました
混雑のせいか、それに気付かずに後ろから人が押し寄せ次々と転落
とある武士がそれに気づき刀を振り回して民衆を怯ませたため事故は収束。
死者・行方不明者合わせて1000人を超えたといわれ
日本史上最悪の落橋事故として語り継がれています。


度重なる悲劇

その後も度重なる破損によって幾度もの架け替え工事がなされた永代橋ですが、1900年頃には木製から鋼製のトラス橋へと架け替え
しかし、橋の一部には木材が利用されていて
1923年の関東大震災による火災で橋は消失

その後、震災復興事業によって、冒頭でも述べた1926年に現在の永代橋が竣工されました


その姿はこれまでのような悲劇を起こさんと言わんばかりの
雄大で美しいアーチを描き、WWⅡや地震を乗り越え
100年近い時を経ても見事に江戸東京を支えてくれています。


怪物みたい?

そんな、100年近く現役を貫いている永代橋ですが
冒頭でも述べたように永代橋の架かる永代通りは非常に交通量が多いです。

そのため、通りの一部区間では幅員拡張がなされ6車線となっています。
が、架橋されている部分では構造との兼ね合いで幅員工事が難しく
永代橋付近の道路は6車線なのに対し、永代橋上のみ5車線です。

ストリートビューを見ると分かりやすいです。

さらに特殊なのが、この5車線道路
「リバーシブルレーン」が採用されているのです。

リバーシブルレーンと言うのは、時間帯によってセンターラインをずらし
交通量の多い方向の射線を限定的に増やす仕組み
のこと。

リバーシブルレーンの詳細は自分自身詳しくないため一旦置いて
紹介したいのはここからです。

通行可能な射線を視覚的にわかりやすくするため、永代橋には
橋自体に電光標識が設置されているのです。

それがこちら

怪物の目っぽくないですか?

具体的に言うと風の谷のナウシカに出てくる「王蟲」に見えませんか?

はい。それだけです。すみません。


逆に丸が多いパターンの電光標識がこちら。
機嫌が良さそう。



まとめ

様々な悲劇を乗り越え、永い時を経てなお江戸の街を支えている永代橋
直近では西側のテラスが整備され、開通すればその美しい姿を
より色々な角度から楽しめるようになるはず。
名前の通り「永代」この土地を支えてくれる橋であることを願います。




おまけ

土木学会選奨土木遺産の碑。周辺に何かと碑が多いのでそれらを読むだけでも面白い。
横断歩道の途中で橋を撮った写真。 この通りで車が全くいない瞬間は珍しい気がする。
「昔、今、そして永遠の流れ」 これは恐らく隅田川に向けての言葉だとは思うけど
永代橋の近くにこれが設置してあるのが合い過ぎて怖い。
橋台部分には謎の階段があった。今ではどこにもつながっておらずトマソン建築と言うやつなのかもしれない。 立ち入り禁止なので微妙に見えにくい。
永代橋北西にある案内板。ここからかなり綺麗に永代橋が見える。
(永代橋の写真は撮り忘れました。)


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