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「怒り」は悪くない、むしろ気高い

怒りや悲しみは、「ネガティブな感情」と言われている。でも、喜怒哀楽の感情に優劣はない。なぜなら、ある感情が湧き起こるのには、それ相応の理由があるからだ。理由に耳を傾けず、発露した感情だけをみて優劣をつけるなんて、あまりに非論理的だ。ちょっと感情的過ぎるんじゃないかな。


感情には必ず「相応の理由」がある

以前、運送会社の配達員がぶち切れて荷物に八つ当たりしている動画がバズっていたけど、大抵の人はそういうのを観ると、「馬鹿だな」とか「無責任だよ」などと言ったり、嘲笑したりする。そういう態度を取れる理由は、自分がいま怒っていないからだ。

運送会社の配達員が「感情的な馬鹿な人」で、動画を視聴している人々が「冷静で優秀な人」だからではない。配達員には「怒る理由」があり、視聴者にはないからだ。

その配達員が、常日頃から荷物に八つ当たりをしてはいないだろう(やってたらさすがにクビになるよね)。良い悪いと短絡的なジャッジをする前に、「どんな理由があると、人はこうなるのだろうか」を考えるべきだろう。感情的にならずに、冷静に考えたり想像したりすべきだろう。

なぜなら、どんな感情にも、それ相応の理由があるからだ。

「怒り」が悪者にされやすい理由

喜怒哀楽の感情のなかで、「怒り」が悪く言われやすいのは、それが暴力性を予感させるからだろう。「暴」という字が象徴するように、暴れたり壊したりする行動につながる可能性がある(世の中には喜び過ぎて物を壊したり川に飛び込んだりする人もいるけど)。

暴力はよくない! そう否定するのは簡単だ。でも、否定してみたところで、暴力は至るところにある。いまはスマホひとつでものすごい暴力を加えることができる。感情の背景にある理由を見つめる必要性が、ここにもある。

やっかいなのは、感情には「蓄積される性質」があるということだ。

多くの場合、それは身体に筋肉の緊張として記憶(蓄積)される。だから、日頃から泣くのを我慢し続けていれば、ちょっとしたことで涙が溢れることもある。怒るのを我慢すれば、ちょっとしたことで怒りが溢れる。トリガーはあくまでトリガーでしかなく、蓄積されたエネルギーがそこにあるのだ。

ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は

穂村弘『シンジケート』収録の短歌

怒りをなくした無力な大人たち

政治家の裏金問題で、「3,000万円未満は立件見送り」という報道があった。

森友学園問題、加計学園問題のように、「どうせまたうやむやになるのだろう」と多くの「良識ある大人」は考えている。むしろ、そうした問題に向き合い怒っている人たちを目にすると、こう思うのだ。

「あの人たちは怒っているけど、それでどうなるというんだ…」

いまの日本社会のように、例えば政治家がめちゃくちゃをやっても最後には許されてしまうのは、洗練された権力構造によるものであると同時に、多くの人が「怒り」の感情を悪いものだと決めつけ、無視しようとするからではないだろうか。

怒りとは気高いものだ

怒るべきことがあるのに怒らない人を、あなたはどう思うだろうか。

理不尽な状況で大変な不利益を被っている人々がいても、「それはおかしい!」と怒ることさえできない。そんな大人に少しでも「守れるもの」があるのだろうか。コロナ禍が証明したように、この世に自分だけは安全な空間など存在しない。

社会で何が起こっているのか。様々なバイアスが錯綜する世の中で、それを把握するのは難しい。でも、人には「感じる力」がある。あなたの身体が、あなたに最適化されたセンサーとなって、日常を生きながらも「違和感」や「感情の揺らぎ」としてあなたにアラートを送っている。

「なんか変だな…」
「それ、おかしくないか?」

こうして受け取ったアラートを、無視してはダメだ。たとえそれが怒りの感情だったとしても、それに「ネガティブな感情」などとレッテルを貼ってはいけない。感情に優劣などない。怒りが湧き出てきたのなら、それ相応の理由がそこには必ずあるのだ。

今こそ新しい怒りの表現を

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