小松がトロントに来た_005

日常に、じょもろい余白を。「都市とアートとわたしたち」の関係性を考える

こんにちは、せいいです。先週、かけるの拠点「あいらぶ♨」にて、『都市とアートとわたしたち』というテーマで、語らう会を開きました。

かけるの仲間には、アートのバックグラウンドを持っていたり、アートに造詣が深い人がわりと多く、最近いろいろな場面で注目が高まっている「アート」について、いつもより掘り下げて考えてみよう、というこの会。

舞台芸術界の人材育成で起業し、ずっとこの領域を改革しつづけてきているまてぃっこさんと、
美大で映像制作を専攻し、その感性を活かして今はITベンチャーで活躍するなっすーをママに迎え、お二人のお話を皮切りに、みんなでお話しました。

(↑左がまてぃっこさん、右がなっすー。お二人がアートに関わるまでの半生のお話も、大変アツく深かった!子どもの頃の経験から生まれた疑問と、それを解き明かそうと動く中で形成される価値観は、本質を表現するアートというものに、ダイレクトにつながるように思いました)

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さて、今回の会では、アートにまつわる実に様々なトピックが出ました。

アートとデザインの違い
パブリックアートのはらむ矛盾
都市に余白を生み出す方法としてのアート
アート原理主義の立場と、アートを「使う」という考え

などなど。

アートとデザインの違いで言えば、
アートは「問」であり、デザインは「解」である、と言われます。

パブリックアートについては、
観る人に問を突きつけて、時に心を抉るような衝撃を与えることで観る人に考えさせる、というアートのあり方に対して、
公的資金を使っているものは、住民や政治家などの意向、「もっと心地よいものが見たい」という要望に応えざるを得ないといった、”パブリック”であるがゆえの矛盾などについて、
現場にずっと携わってきたからこそ実感していることについてシェア。

こういった、ふだんはなかなか掘り下げないようなお話をお酒片手にしていく中、都市に余白を生み出す手法としてのアートのお話になりました。
施個人の観点からも、特に興味深い話題でもあったので、そのお話を、ここでも簡単にシェアしてみたいと思います。

「都市とアート」と聞いたら、みなさんはどんな光景を思い浮かべますか?

例えば、アーティストが壁画を描いた町の建物、などは、ぱっとイメージする方もいらっしゃるかもしれません。
私もカナダ・トロントに留学していた時、住んでいた場所がまさにそういう建物が連なるエリアで、いつ散歩しても飽きませんでした。

便利な機能を追求し、目的的に設計されてきた都市。
しかし本当に機能だけであれば、あまりに無機質。
人間にはそういうのを感じ取る心がある故か、「遊び心」と言いますか、意図するにせよしないにせよ、いわゆる先進国でも途上国でも、多かれ少なかれ、都市の中にぱっと存在するような壁画やオブジェ、建物などが、あるのではないでしょうか。

そういった、「実際に使えて役に立つ」かと言えば、そういうものではないけれど、暮らす人や道ゆく人の心を楽しませたり、束の間せわしない日常の思考から離れて物事の本質を見つめ返せるような「余白」をもたらすものとして、アートを捉えるのもいいな、と初心者の私なんかは、思ったりします。

(↑ちょっとわかりづらいのですが、トロントで住んでた家の近くのカフェの外席から眺める光景の一部。道路の向かいに、絵が描かれたレンガの壁が見えたりなど。)


そういった「余白」という観点で言えば、日本は現代アートの発展以前に、例えば神社やお寺、もしくはちょっとした庭などが、大都市・東京にも、今も多く残っています。
そういう昔ながらの文化的なものが、人々にとって「余白」の場所になっているよね、というお話になりました。

これは施個人的には、とても豊かなことだなぁ、と感じられました。
というのは、施の故郷・上海という都市は、文化大革命での文化遺産の破壊の影響もあって、そのような伝統・文化を感じられるような場所が、あまり残されていないように思うからです。

上海は最近、現代アートでも盛り上がりを見せており、芸術区などもあって、注目を集めているそう。
しかしそれらは、脈々と続く地場の伝統の上にあるというよりは、
一度過去の文化大革命の断絶を経て、新たに勃興したものが多い印象を受けています。

もちろん、上海自体は古い建物も多く残っているし、同じ中国でも上海以外の場所に行けばまた、事情も違うかもしれません。
しかし各都市ごとに、形成された歴史の流れは異なり、それによって、今それぞれの都市でどのようなアートが生まれ、どう活かされているかという文脈も異なるように思いました。

(↑上海市内に残っている、租界時代からの古い建築様式の住居。だんだんたて壊されてきているけれど。これがアートと結びついて生まれ変わったら、面白そうだなぁ)


「日本は、自分たちの文化に対して、いいものだよね、という誇りや自信が共通認識としてベースにあるように思う」と、まてぃっこさんが会の中でおっしゃていましたが、それはとても素晴らしいことだと思います。

良いアートは必ず文脈に則っており、かつその先の新しい文脈を創り出している、と言われますが、
日本というフィールドでアートを考えるならば、西洋の文脈を意識しつつも、日本の文化や伝統という文脈を合わせたものも、考えられるかもしれません。
東京という、近代を代表する大都市でありながら、歴史文化も色濃く残るフィールドを舞台に、独自の問を持ったアートを展開するのも、
ここに暮らすわたし達や、東京を訪れる国内外の多くの人達にとっても、じょもろいものが生まれるかもしれないなぁ、などと妄想したのでした。

(↑ちょっと違うけれど、浅草の植木市での一コマ。こんな日常の中にどんなアートが入るともっとじょもろくなるのか、などを考えるのもまた愉しい)


最後らへんは、だいぶお酒も回ってきてやや記憶が曖昧なのですが(笑)、とても学び深く、楽しい会話で盛り上がった余韻は、しっかりと残っています。

アート自体はとても奥深い内容で、ここに書ききれるものでも、また一回だけで語りきれるものではないでしょう。
こんな切り口からも、私達が暮らすマチとその日常を、常識に囚われずみんなを笑顔にする”じょもろい”コトが生まれるかもしれないな、と思っています。ですので、また掘り下げてやりたいなと思っています◎

遅くまでご一緒いただいたみなさん、ありがとうございました!


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