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言葉と食事。(再送)


言葉と
食事は 共通している

基本 毎日作るか食べるかする
味付けが人によって違う
好みも違う

生活に飽きている時期は
同じレシピばかり使い回しがち
 
バリエーションが豊富な人は
なんだか生活もキラキラしてそう


テレビに出てくるものは全部美味しそう

たまにプロのお手本とか見ると
「自分も真似したい!」って思う

でも料理は
持ってる材料でしか作れない

普段から
自分のストックを豊かにしておく必要がある

それが結構面倒くさい
でも大事


日記に書き留める言葉は
ひとり暮らしの夕飯作り

サッと済ませても害はないし
かっこつけて盛り付けたって
誰の目にも触れない

そもそも誰かのためのものじゃない
自分を満たすためにある

でも 普段から丁寧に作っていれば
急に他人に振る舞う機会が来たって
恥ずかしい思いはしないし

結局
自分を普段から満たしておくというのは
他人を満たすことにもなる


好きな人からの言葉は
好きな人の手料理

味や見た目じゃないの
その人が作ってくれるというだけで
こんなにもうれしい


懐かしい言葉は
ふるさとの夕御飯

たまに恋しい

自分の料理に 親の面影があることに
自分で気付くことがある


ネットやコンテンツの言葉は
デリバリーとか外食

お金を払えば
いくらでも好きなものを取り寄せられる

嫌いなものを摂取する必要ない
嫌いなものを摂取して文句言う人もいるけど

基本 好きなものばかりに偏るほうが楽で
そうすると徐々に蝕まれる

他人の手ばかり頼っていると
自分でも食事が作れるということを
つい忘れてしまう


人は自分で自分を形作れるということ

雑に作ったら
その分 自分が雑になる

食事も
言葉もそう

飢えて 飢えて仕方ないときもあるし
満たされることも ある


#詩 #のようなもの #散文詩 #とはいえないもの