2024.4.4
きのう。
やる事がなかった。
家にも居られない日だった。
映画館へ『52ヘルツのクジラたち』を観にいった。
原作が小説なのは知っていたけど読んだことはなく、あらすじも知らずに行った。
これは映画の感想や評価を述べるものではない。
日記で、ちょっと虚構も混じっている。
上映館はよく行くにぎやかなシネコンではなく、行き慣れない古い映画館のほうだった。
電車に乗って、駅で降りた。
駅のレストラン街はスーツを着た若い人があふれていた。多分、近くの大学で入学式があったのだと思う。
中華料理店に入って、ラーメンを頼んだ。ラーメンが来るまで時間がかかった。むわっとしてて暑かった。
周りの大学生たちには、同じ1年生同士で来ているらしいグループと、親と一緒に来ているらしい子たちが居た。
既にもう、分かれるんだなぁ、と思った。
もう自分自身で仲間を作れる子たちと、まだ親の付き添いを受けている子たち。
19歳の僕は後者だった。
大学は1年も通えず、心を病んで辞めた。
空きテナントだらけの寂しいビルを上へ上へ進んで、最上階の映画館へ。
ロビーのつるつるした石壁は黄ばんでいた。
チケットは券売機でなく、人に口頭で作品名を伝えて買う。
映画館で座席に着くと、周りを見回すクセがある。
観客は、おそらくリタイアされたご高齢の方ばかりの10人ほどだった。
白髪の男性が上映開始まで本を読んでいた。知的そうで、ゆとりを感じた。妙に印象に残っている。
映画は、とてもよかった。
ただ僕がタイトルからイメージしたのとは違っていた。
主人公はとても可哀想な境遇だが、物語序盤に救い主があらわれる。
そしてその人物がこういうようなことを言う。
「君の声、ちゃんと聞こえたよ」
主人公はそれによって一度救われ、そこから紆余曲折を経て、自ら、別の孤独な者を救う側に立つ。
そうして「52ヘルツのクジラ"たち"」は再生してゆく。
とてもいい話だった。
けど、これは「52ヘルツのクジラ」の話ではないと思った。
実在する52ヘルツのクジラのエピソードのほうは、小説が本屋大賞を受賞した頃にネットの記事か何かで読んだ。
とても心に残った。
声を発しても発しても、同類にはどうやっても伝わらない。
ただ単なる疎外感とは違う。
生物の構造としての、絶対的な違いから来る孤独。
自分と重ねた。
僕は発達の遅れ、人としての物事の感じ方や捉え方そのもののズレや欠落を、自覚している。
状況は、年を経るほどきつくなる。
特に社会の表通りが「みんな助け合える」「わかりあえない人などいない」というキラキラしたメッセージで共鳴し合っているのがしんどかった。
そのメッセージに救われる人"たち"がいるのは確かだと思う。
そのメッセージは必要。
そういう表通りの輝きに対し「未来永劫誰とも通じ合えない、通じ合うことを諦めなければならない」という絶望は不要な邪魔ものでしかない。
それで僕はこういうインターネットの裏道で、ぶつぶつと何かつぶやいていた。
何年も続けて、自分の言葉が、人間の可聴音域でないらしいことは気付き始めている。
もちろん比喩だけど。
たとえば、このnoteも、実際誰も読んではいない。
もうこの部分まで読んでいる人などいないだろう。
たまにフォロバ目当てのアカウントが、タグを辿って片っ端から「いいね」を付けてまわっているのに巡り合う。
そういう人が、中身を読んでくれていないことも分かりきっている。
腹が立つ。
けれど腹が立つ理由を伝えようにも、そのアカウントはそもそもこちらの言い分など読んでなどいないのである。
52ヘルツのクジラだって、しぶきを上げたり潮を吹いたりすれば、存在の認知まではされるだろう。
この記事もそういう、しぶき。
52ヘルツのクジラが広大な太平洋で「ひとりぼっち」をやっているのは、まったく他の誰にも見つけられない道を泳いでいるということではない。
まして「声を発していないから」でもない。
声を発しているし、気付く者は気付いている。
なのに、誰も聴きとれない。
クジラ語を解さない人間だけがそれを録音して、研究している。
そのクジラ自身は群れに入れないし、孤独だ。
しかし人間のあいだではエピソード化され、数多くの人の胸を打ち、ポピュラーカルチャーの中に伝播していった。
それは何かとても皮肉な気がする。
52ヘルツのクジラは1頭しかいないのに、小説や映画では『52ヘルツのクジラ"たち"』になっている。
その2文字は映画を観終わってから気付いた。
絶対の孤独にいたはずのクジラが、共感や連帯の象徴として、群れの中へ引っぱられて行ってしまったような気がして寂しかった。
これもきっと、正しい感想ではない。
しぶき。
続けて、同じ映画館で『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』を観た。
券売機でなく人から買う時、タイトルを言うのが恥ずかしかった。
冒頭から「人類はもう終わりです」みたいな話だった。
寂しさが妙に癒されて、タナトスで胸がすっきりするのを感じた。
そういう自分が嫌で嫌でたまらなかった。
とはいえ『デデデデ』は最高の映画なのでおすすめです。
もちろん『52ヘルツのクジラたち』も。