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国際学会に行く医者

オランダ・アムステルダムで開催された国際学会に参加してきた。

「国際学会」と聞くと、どんなイメージを持たれるだろうか?

私は子供の時に見た、山崎豊子のドラマ「白い巨塔」の財前教授(唐沢寿明)を思い出す。

あの手この手を使って教授戦を勝ち抜いた財前教授が、デビュー戦としてワルシャワで開催された国際学会に参加して手術を披露する。学会の傍らアウシュビッツ強制収容所を訪問したシーンも覚えている。

そして患者そっちのけで学会にばかり気を取られていたところを足元を救われ、癌の見落としから急死した患者の家族から訴訟を起こされ敗訴する。

私は内科医だが低侵襲手術(心臓を開かない、カテーテル等を用いた手術)には関わるので、財前教授のようなライブデモンストレーション(ショータイムのようなもの)を伴う大規模学会もある。

しかし今回は欧州最大の学会で、基本的に学術学会なので公開手術はなく、新しい薬を用いたり、2つの治療法に患者を無作為割り付けして効果を比較するような国際共同研究などの結果発表のメインイベントがあり、その他各施設からの小規模な研究発表やレクチャーが会場の至る所で行われた。

ではどんな医者が行くのか?

国際学会の場合は基本的に「行きたい医者が行く」というのが正解。

学会は100%仕事なのか?と言われると微妙(笑)。仕事:遊びが10:0の人(=100%学会会場に缶詰めで食事も会場内で全てとる人)はほとんどおらず、かといって0:10も許されない(当然か)。自分は今は8:2ぐらいかな?

これ、コロナ前は5:5だった。しかし数年コロナ禍で開催されず(オンライン開催)、昨年久しぶりにバルセロナで開催されたが、帰国前に新型コロナPCRが課せられ、ここで陽性がつくと1週間帰国できなくなる(=1週間遅れで帰国した病院から冷たい目で見られる)ので、厳重にマスクして、食事も必ず一人で食べた。お陰で遊び癖がなくなった(笑)

さらに往復の航空便である。ロシア情勢でロシア上空を飛べず迂回航路をとるため、今回だとトランジットの仁川からアムスまで片道15時間かかる(帰りは13時間)。また劇的な円安で物価が高すぎる。移動疲れで遊ぶ元気がなくなり、さらに物価が高いので財布のヒモが固くなった。

話変わって、最近我が業界では「自己研鑽」という言葉がはやっており、今年の流行語大賞に選ばれそうである。

「働き方改革」の波が医療業界にも押し寄せ、労働時間は厳しく制限され、これを違反した場合は管理者が責任を問われる。その一方で自主的な専門医や学位取得のための勉強や自主的な学会発表・論文作成、その他諸々は「自己研鑽」として労働時間とは別に扱われ、時間外手当も出ない。はっきり言って線引きが曖昧なので、他の業界では「これ、当然労働でしょ」というような仕事でも、この業界では「当然自己研鑽であろう」との圧力がかかり、これに屈すると労働時間として認められないどころか時間外手当も出ない。

こうやって政府、特に厚労省は「働き過ぎの日本人労働者」のレッテルを剝がして表面だけ欧米化するようなアピール(まるで明治維新や鹿鳴館時代)をしている。しかし、かといって医者の労働時間を削ったところで、超高齢者社会の上に寝たきりであろうが際限なく医療費を投入して高額医療ができてしまうという素晴らしい(皮肉)医療システムの中で、医者の仕事が減る訳がない。管理者に法的責任をちらつかせて医者の労働を「自己研鑽」に誘導し時間外労働つまり時間外手当を抑制することで、病院の経営的にもプラスになり、人件費削減は最終的に医療費抑制の一つの解決策にもなり、国にとっても都合がよい。

正直こういうご時世だと、中間管理職である我々は、部下の成長を思って国内の学会発表を勧めても「先生、それは労働ですか?自己研鑽ですか?」なんて言われるのがオチ。

それに比べて(少なくとも)国際学会は、行けば長期間診療に穴をあけ、旅費もかかる(この費用負担は施設による)。なので上司に強要されたり、部下に強要したりことは全くない。

採択率が高い(=簡単に演題が通る)学会に行くと「お前また旅行か?」と言われそうなので、採択率が低く、通ったら同僚が拍手で送りだしてくれるような学会を狙う。

「自己研鑽」で準備して、採択されたら渡航後は遊び何%でもいいし、そもそも賑やかで眩しく見える世界随一の学会を味わい、ドキドキしながら英語で発表し、質問に答えられなかった(そもそも質問の意味が分からなかった)屈辱は次への糧にすればいい。

こうやって国内だろうが国際学会経験だろうが、知識や技術の習得だろうが、自己研鑽だろうが何だろうが、やってる医者とやらない医者の差はどんどんついて、アメリカみたいにどんどん収入に反映されればいいのな、と思う。そうすれば若い医者のモチベは上がるだろう。しかし某団体のような既得権益を動かさずして健全な報酬体制は作られず、体裁だけ欧米化して便利な言葉を使って過重労働をウヤムヤにしたところで業界の歪みは大きくなる一方だろう。現在の円安のように。


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