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かづゑさんと徳江さん 二人の対照的な存在感

こんにちはと初めまして。おすぬです。

先日記事にした
映画『かづゑ的』見てきました
ラスト8分を何度もリピートした 映画『あん』感想

どちらもハンセン病を扱った映画ですが、『かづゑ的』はドキュメンタリー、『あん』はフィクション作品です。

両作品はドキュメンタリーとフィクションという違いだけでなく、主題やコンセプト、ハンセン病へのアプローチも異なるし、商業的な側面でもまったく異質の作品です。

この二つを比べるのはおかしなことですが、主役の女性二人がそれぞれの作品において対照的な存在だなあと感じたので記事にしてみます。
(どちらの作品がいいとかよくないという比較ではありません。)

なお、『あん』は配信サービスでの鑑賞が可能なのでなるべくネタバレなしで。
一方『かづゑ的』は鑑賞機会が少ないので劇中の言葉をネタバレいたします。(『かづゑ的』を伝えるには文字だけでは限界があり、映像がないとなかなか難しいと思っています)


ドキュメンタリーのなかの「女優」

実際のハンセン病元患者(回復者)であるかづゑさんは、体に障がいが残るものの、ときにはユーモアを交えたハキハキした物言いで、よくいる元気な高齢者に見えます。

映画の後半でかづゑさんはこう語っていました。
(一部を抜き出します)

ちゃんと生きたと思う。どうでしょうか。
みんな受けとめて、私、逃げなかった。
・・・バンザイ。

映画『かづゑ的』より

ここ、観客である私たちを意識したかのような、まるで女優さんのようでした。

監督の熊谷博子さんはパンフレットのなかで、かづゑさんは「ハンセン病回復者の中では異端である」と書いています。
病気は人間性までは奪えないと語り、自分の姿を正しく伝えてほしいと入浴場面まで撮影させたかづゑさん。
「あのように考え発言する人は稀有」であり、「一人の個性豊かな女性の記録」として『かづゑ的』というタイトルがついたそうです。

ドキュメンタリーでありながら個性が認められた主役
監督やスタッフさんたちとの信頼関係が成り立ったうえで、かづゑさんはこれまでの人生をカメラの前で精一杯表現してくれたのではないでしょうか。
間の取り方、身振り手振り、女優のような存在感がありました。


樹木希林さんと重ねてしまう

一方『あん』で徳江さんを演じた樹木希林さんは言わずとしれた演技派女優です。
惜しくも映画公開の3年後、2018年にお亡くなりになりました。

徳江さんは言動がちょっと変わった老女として描かれています。(それが彼女の信条にもとづくものだとあとからわかります)
かづゑさんが一見よくいる高齢者に見えるのとは対照的です。(いい悪いではありません)

ラストの徳江さんのセリフを聞きながら思います。
ああ、もう希林さんはいないんだ

希林さんの生前のインタビューなどはパラパラしか見たことはありませんが、徳江さんのセリフや温かいまなざしは、まるで希林さんからの最後のメッセージのように感じます。

そのメッセージを伝える場に、希林さんの実のお孫さんである内田伽羅さんが中学生役で出演しているのも偶然ではないように思えてきます。


***

ドキュメンタリーなのにカメラの前で表現しているかづゑさん。
フィクションなのに役柄の向こうにその生き様を重ねてしまう希林さん。

見る側が(私が)そう感じただけですが。
表現とは何かを考えさせられます。



※ 最近は男女平等という観点から女優ではなく俳優という表記にする流れがあるようです。俳優、役者、といった他の言葉とくらべると、女優という言葉には女性がひとりで運命に対峙するような孤高なイメージがあります(個人的に)。
この記事ではあえて女優という言葉を使いました。


それではこれにて。ありがとうございました。

(ライラン15日目)

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