エドヴァルド・ムンク『病める子』/好きな絵画

透き通るような青白い肌で、少女の死が近いことは一目でわかる。
枕元の母親は少女の手を握り、うなだれている。

母親の丸い背には、この娘にしてやれたことがもっとなかったろうかと悔やみ、自分を責める重たい雰囲気を感じる。
また、若い命を奪わんとする神に嘆き怒りつつも、神に対しそのような負の感情を持つことへの戸惑いまで見えるようだ。

母親の感情は引き裂かれんばかりに激しく動いている。
少女を思いながら、しかし、その関心は少女よりも自分自身に向かっていように思える。

対して、死にゆく少女は、まるでもはやその時を止めたかのような静けさを纏う。
取り乱すことなく、穏やかに母を見やる瞳は、すべてを受け入れ、全身で何かすべてを、運命というのか人生というのか、ともかく自身の死にまつわるすべてを「赦す」と発しているようだ。
そして、動揺する母親にもすべてを赦すよう求めよと伝えている。
うなだれる母親の方が子どもで、少女が聖母のように見えてくる。

また、内側へ目を向ける母親と、外側へ目を向ける母娘の対比が、そのまま「生」と「死」の対比に見える。
生きる間は、自己保身しなければならない。
「死」は、人が他者を本当に手放しで想えるチャンスなのかもしれない。
そう考えると、「生と死」は「善と悪」ではないのだ。

感情に揺さぶられ、自己中心的、攻撃的になりがちな生活を送るとき、この絵を見ると、少女の瞳の深沈たること、そして意識がはっきりと他者に向いている点にはっとする。
「愛」を感じる。

このような強さを持って死んでいきたいと思う。
そのような死を迎えられる生き方をしたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?