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揺れる思いを抱えて、家で最期を迎える

生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
穏やかで気持ちよく過ごして、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた、在宅で出会った方たちと訪問看護師のお話です。

Bさんは80歳代の男性です。肝細胞癌の診断はありましたが、年齢的なことと認知症もあるため積極的な治療は行わない方針です。

腫瘍は大きくなっていて、微熱や食欲不振、眠っている時間が多くなっていて、どの症状も老衰によるものもあると診断されました。肺炎を繰り返して微熱が出ますが、抗生剤など使わず自然に熱は下がっています。

言語聴覚士による飲み込みの機能評価では、食べる姿勢はベッドの角度が30度設定になり、食事の形態はペースト、貯め込んでから飲み込みが起こるとわかりました。
点滴は、血管がもろく漏れやすいので続けることは難しいと判断されて、時間をかけて口から食事や水分を摂ることに頼るしかありません。

入院前から関わっていたケアマネから、私たち訪問看護師に今後の療養について検討するカンファレンスに参加依頼がありました。
このような状態で、急性期病院の治療を終えて、どこで暮らしていくかを話し合うためです。

同居する息子さんと奥さん、病院の担当医、病棟看護師、退院支援看護師、在宅担当医、ケアマネ、訪問看護師が揃い、病状の共有と予測される状況に対して何ができるかと、できないことは何かを検討して具体策を提案しました。

息子さんは「もう少し元気なら往診と訪問看護でやっていこうと思ったけれど、今の様子では大変かと思う」と発言した後で、療養施設に転院すれば面会制限があることがわかっていたので「面会できないまま最期になったら辛い。家のベッドで静かに息を引き取ることが自然に逝くことだと思う」と揺れる気持ちを話しました。

話し合いの中で、息子さんの 少しでも元気になってから家に帰ってきて欲しい思いが語られました。しかしBさんにそれを望むことはできない病状なのです。話が進んでは元に戻り、元気になれない病状であることの説明が繰り返しされました。
結果、息子さんは在宅を選び退院日が決まりました。

日を変えて今度は在宅医主催でカンファレンスが行われ、方針として『苦しくないこと。痛みがない、あるいは少ないこと、できるだけ穏やかに最期を迎えられること』の提案が医師からありました。
息子さんは「自然の摂理に任せるしかない」と返事をしました。結果として家族が痰を吸引機で取ることを覚えてから退院となりました。

Bさんは、入院前は介護保険で食事の用意は訪問介護を利用して、毎日デイサービスに通っていました。奥さんと息子さんの三人暮らしですが、奥さんは高齢で物忘れがあって介護することは難しく、息子さんは交代勤務のため不在の時間があります。

退院日に家に到着する時間に在宅医やケアマネ、訪問介護、訪問看護師が集まりました。

その時の血圧は70代で、かかりつけ医から「今の状態として、3日前から食事ができなくなっている。現状で食べることは難しく、今日亡くなってもおかしくない。今日でなくても、今週、今月かもしれない」と説明がありました。

息子さんは「しょうがない。いつも家にいるのが当たり前だったから、帰ってきてよかったと思う」と話しました。


入院前から関わっていた訪問介護のヘルパーから、食事や水をのむことが、本人にとっての苦痛になるなら、どう加減すればいいか医師に質問がありました。
医師からは、食事や体を拭くことなど表情や様子から苦痛を考慮して行うよう説明がありました。

翌日の初回訪問看護では、声をかけると頷く反応がありました。奥さんは訪問看護師のケア中は一緒にベッド傍に立って「いつ逝ってもおかしくないものね」とBさんの状態を受け入れている言葉がありました。

息子さんは「何も食べられていない、水分を摂ってもらいたい」「点滴とかは、どうかな」とカンファレンスで沢山話し合って決めたことを忘れてしまったかのようで、受け入れられない様子でした。

私たち看護師は、心が揺れて大変な時間を過ごしている息子さんに寄り添いたいと『今できること』を伝えて、Bさんの苦痛がないようにすることが目標であると確認しました。

        *

退院して最初の週末に「看護師に見てもらっていないと不安」と息子さんから連絡が入り臨時訪問しました。
呼吸は浅く頻回で、手首の動脈は触れず、尿も朝から出ていない状態で、肺も心臓も動きを弱めていることがわかる状態でした。

私たち看護師は、息子さんへ起こり得る状態の変化とその時にどこにどのように連絡するのかを再度説明しました。医師やケアマネにも状態を報告して、Bさんの残された時間が少ないことを関わる人たちみんながわかっていました。

同日夜間に息子さんから連絡があり再度訪問となりました。
Bさんは天に召され、訪問診療医へ連絡しました。


翌朝、関わった看護師数人で家に伺うと「自分は素人だから十分なことができなかった」と息子さんは語りました。

そんなことはありません。家族の手当がどれほどBさんにとって安心だったかしれません。
私たち訪問看護師はお父さんに愛情深く接し、食べる時は教えられた通りに介助して、必要な時には吸引機で痰を取っていたことを知っていました。
息子さんのしてきたことが十分だったことを そこにいた看護師が口々に伝えました。

テレビ台に飾られた写真のことを息子さんに聞くと、親子三人で温泉旅行に行った時のものだと。病気が進む前から両親と過ごす時間を大切にしていたのです。

        *

数日後に息子さんが事務所に寄ってくれました。先日伺った時の辛そうな表情でなく、すっきりした顔で葬儀が無事終えられたことを教えてくれました。

私たち看護師は、病院では反応のなかったBさんが、家では頷いて返事をしてくれたことは、息子さんの最後の親孝行に応えたように感じると伝えることができました。


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