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子対親、子対子、そして親対子。立場変化の妙が際立つ23話【水星の魔女】

(サムネイルはキャラクター原案担当モグモさんのツイートから)

こんばんわ。深夜区トウカです。
今回は最終話を残すのみとなった『水星の魔女』、23話についての記事になります。
今回は「立場の変化」という部分にスポットを当てながらキャラクター達(主にスレッタ)の描写における脚本上のテーマを見ていきます。
さらに、当記事にはアニメ内のキャプチャが使用されています。コラ画像等でないことは確認していますが、あくまでネット上での拾い画ですので、全てが正確なものではないかもしれません。
そして、例の如くネタバレを多大に含む記事です。未視聴の方はお気をつけください。

「子対親」から「子対子」へ

親と子の対立というテーマは水星の魔女全編を通しての主要なテーマである事は間違いありません。

しかし、今回、23話で描かれたのは「妹対姉」「兄対弟」といった「子対子」のシーンでした。

(ガンダムの性能に任せ、無謀な攻撃を繰り返すラウダを見ていられないグエル))
(ガンダムという力によってようやく兄を変えられたと思っているラウダ。これも残酷な対比)


まずは、23話に至る前に描かれた「子対親」の場面を羅列してみます。

・今まで疎んでいただけの父を認め頭を下げ、会社設立の助力を請うたミオリネ
・親殺しをして結果一人前になったグエル
・反乱を起こし父の会社を乗っ取ったシャディク
・ベルメリアを責め立てた強化人士5号
・初めて母に反発する(従順に言われたことをこなすだけでない)スレッタ

以上が思いつく限りの「子対親」の図式です。見てわかる通り、大量ですね。
これらは一応時系列順にしたつもりで、最初のミオリネ株ガン設立が7話、最後の母に反発することを決めるスレッタ(ここでは地球寮でご飯を食べたあたりと解釈します)が19話。
つまり、「子対親」を軸にした子が親を越えるというエピソードを13話分くらい積み重ねていたわけです。

そして今回。
これまで多くの「子対親」という図式を丁寧に描いた上で、グエルとラウダの「兄弟喧嘩」、スレッタとエリクトの「姉妹喧嘩」(どちらも「子対子」)という図式に帰結し、この展開の妙により、
「「作品テーマは新たな段階へ進んだ」
ことになります。

(かつてのヴィム・ジェタークのようにラウダの刃を受け止めるグエル)
(これが遺言か…)
(「兄弟喧嘩で死ぬなんて、マジ笑えないっすから!」。まさかのハッピーエンドでラウダ対グエルの戦いは兄弟喧嘩として完結!)


今まで、水星の魔女の大部分を占めていたテーマは親を乗り越えるといったものでした。
それが打って変わって兄弟姉妹の話に移り変わり、それに伴って「お互いを思いやる、愛ゆえの衝突」というテーマが描かれたのが23話です。

これまで、親を乗り越えるというテーマがこの作品で描かれる場合、それは子の側が成長するため、という側面が大きかった。
それは、
・父親を嫌悪の対象からビジネスとして自分より上の立場だということを認めることで株ガンの社長として成長したミオリネ
・父親を殺したことで結果的に一人前に成長し、会社跡継ぎとなったグエル
…といった例からも明らかでしょう。

しかし、23話ではそれが相手のことを止めるためという双方同じ立場での衝突となりました。
この事は非常に印象深く思えます。
この立場の変化はこの記事を書くにあたり、最も最初に出てきたアイディアでもあります。


(サムネイルと同じイラスト。エリクトとスレッタ。今回になってようやく親は関係ない、対等な立場による対話が初めて描かれたような気がする)


これまで、親を乗り越えるというテーマがこの作品で描かれる場合、それは子の側が成長するため、という側面が大きかった。
それは、

・父親を嫌悪の対象からビジネスとして自分より上の立場だということを認めることで株ガンの社長として成長したミオリネ
・父親を殺したことで結果的に一人前に成長し、会社跡継ぎとなったグエル

…といった例からも明らかでしょう。

しかし、23話ではそれが相手のことを止めるためという双方同じ立場での衝突となりました。
この事は非常に印象深く思えます。
この立場の変化はこの記事を書くにあたり、最も最初に出てきたアイディアでもあります。

ある意味で、ここまで水星の魔女が描いてきた子の成長というのは、片側の視点にしか沿っていないものです。
しかし、今回は同じ目的、同じ立場で互いに向き合う構図
これは明確に今まで描いてきたテーマとは異なるものであり、物語が一層進展したことを示す何よりの証拠であると思います。

「愛ゆえの闘争」
その意味で、ミオリネが終盤発した

「スレッタがどんな気持ちでキャリバーンに乗ってるかわかる!?死んじゃうかもって震えてた、それでも、あんた達のことが好きだから!愛してるから!」

(さっきのセリフの後、続け様で放ったこの言葉も相当に重いですね。エリクト贔屓が明らかなプロスペラに対して、スレッタのことのみを案じているミオリネ。これ自体が対立構造です。)

というセリフは非常に印象的です。
まさに、このセリフは23話におけるテーマを表していると言えるでしょう。
ここにおいて、「互いに向き合う」という兄弟姉妹のテーマは「互いを愛している」というテーマと融合していることが分かります。

「子対子」から「親対子」へ

そして、厳密に言えば今回行われたのはスレッタ対エリクトではなく、スレッタ対プロスペラ。
こちらには、「愛の闘争」というテーマがより似合います。

さらには、これまで成長する子供の側にいたのはスレッタでしたが、「居場所を求めて自分のために相手を排除しようとしている」という意味でエリクト&プロスペラが子供側になる、という立場の入れ替わりも強調したい部分です。

エリクトとプロスペラはエリクトという存在の居場所がないことを憂いており、その居場所を作り出すためにクワイエットゼロ計画を行っているわけです。
しかし、それはスレッタの「エリクトとプロスペラを他人に危害を加えた恨まれる魔女にしたくない」という意思と明確に対立しています。

(スレッタの究極の目的がこれです。自分の愛する人が恨まれてほしくない。そして、エリクトのための居場所作りは様々な怨恨を生む。相手の目的を分かった上でそれに挑戦する、スレッタの強さが感じられます)

これは、エリクト&プロスペラは「自分自身が得をする為(利己的)」に動いており、スレッタは「愛する肉親を恨まれる存在にしたくないという利他的な思いで動いてる」という風に分けることができるのではないでしょうか。

こうして分類することで一体何が起きるのか。
いつのまにか「自分のため(得をするため)に他人と対立する」という子供側の立場にエリクトとプロスペラが立っている、ということが浮き彫りになるのです。

この記事のタイトルで「子対親」と「親対子」を別々に登場させたのはそういう意味です。
この記事においてこの二つはイコールではありません。
スレッタが自分の成長のために親に反抗するというフェーズを「子対親」、それによって居場所を求めるエリクト&プロスペラから反抗を受けるフェーズを「親対子」と呼んでいるのです。
少し分かりづらいかもしれませんが、要は立場の変化を論じる上で右側を挑戦する側とし、左側をその挑戦を受ける側としているわけですね。

さて、本題の立場の入れ替わりに戻ります。
当然、「子対親」が「親対子」になるというのはこの作品においては非常に大きなテーマの移ろいです。
そして、そこには必ず理由があるはずです。

私はその理由を、「愛による超越」と解釈しました。

水星の魔女23話で描かれたのは「愛による立場の超越」である

いつのまにか、スレッタとエリクト&プロスペラの立場が入れ替わっている。
野望を抱いた子供の役柄がエリクト&プロスペラに。
それを受け止める母親の役柄がスレッタに。

これは、スレッタが利他的な姉妹愛と親子愛をもってこれまでの「子と親」の立場を超越して

「対等に互いを愛す間柄」

になり、そこで生じた姉と母との対話を経ても折れることなく利他愛を持ち続けた結果、その立場をさらに超越し、ついには

スレッタが親の立場になった

と言えるのではないでしょうか。
一応注釈を入れておくと、ここでの「親の立場」とは先ほどの「親対子」における親の側のことを示しています。

そして、愛による超越はエリクトによっても発揮されました。
物語終盤、ミオリネの停止コード打ち込み成功により、クワイエットゼロによるパーメットリンク構築は途切れます。
それによりガラ空きになった防御に対して待っていたのは"あの砲撃"でした。

クワイエットゼロは停止。
その周囲にはスレッタやその友達、母のプロスペラなど大切な人が沢山いる。
そんな状況に陥り、エリクトの見せた行動は身を挺してみんなを守るという利他的な愛でした。

最終的に、エリクトのスレッタに対する愛は母の「エリクトの居場所を作る」という意思を超越し、あのラストシーンへ繋がる。

23話のAパートにおけるエリクトとスレッタのやり取りで、エリクトは「僕たちの居場所を奪わないで」とスレッタに対してはっきりと言っています。

(23話,Aパート。スレッタとの対話にて)

なので、この選択はエリクトにとっても23話内で思想が変化した結果なのでしょう。
母の提示する自分に利する行動よりも、妹の安全を優先した。
これは、間違いなく愛による立場の超越に当てはまります

故に、このエピソードの根幹にあるのは「子対母」という子側の視点から対等な「子対子(姉対妹」への変化、そして

二人の姉妹が愛によって母親の意思を超越する

という大きなテーマである、と結論付けます。



あとがき(アニメ感想)

ということでこんな感じの記事になりました。
画像もユーモアもない、あまりにも飾り気のない記事になってはしまいましたが、自分の中にあった理論を全て吐き出せた気がしてなかなか良い気分です。ちょっとくどい味付けかもしれませんが、割と良い記事が書けたのでは、という気がしています。
それにしても、市ノ瀬さんの演技には脱帽する他ありませんね。落ち着いた低めのトーンで諭すように話すエリクトと物理的に息も絶え絶えで必死に声を上げるスレッタの演じ分けがあまりにも見事でした。しかもレプリチャイルドの他の子供達の声までやってるわけですからこれはもう…本当に素晴らしいお仕事だと思います。
作画面でも今週は特に気合が入っていましたね!
私はアニメの画面レイアウトに関しては完全な門外漢ですので詳しいことは書きませんが、それでも戦闘シーンの凄まじさには圧倒されました。もう技術論やカメラワークとかではなく、凄まじさが伝わってくるという感じです。もちろん専門の方が観ればもっと凄いのでしょうが、私のような素人にもそう思わせる作画というのは偉大という他ありません。こちらも素晴らしいお仕事でした。
お話の面でも本筋で書ききれない名シーンが多くありましたね。
ラウダの刃をかつてのヴィムのように受け止めるグエル、回想…からの「兄弟喧嘩で死ぬなんて冗談じゃないっすよー!」!最高です。とりあえずジェターク組から死者が出なくてよかった…と心底安堵しましたね。
それから、今まで周りに怯えてなあなあな仕事をしていた(有能ではありますが、一人の元で信念を貫くスタイルでないという意味で)ベルメリアが、最も怖がっていたプロスペラに発砲するシーンも非常に印象的でした。自身の過ちを反省していることを窺わせると同時にそれを直視し、今からでも何かを変えようという覚悟を感じる名シーンだったと思います。その後に5号が「人殺しより人助けの方が向いてるんじゃない」というあれだけ恨んでいたベルメリアを認めるようなセリフをさらりというところまで含めてもう最高ですね。もしかしたらワンシーンとしてはここが一番印象に残った箇所かもしれません。5号も良いキャラになったよな〜…。

さて!そんなこんなでずっと追っていた水星の魔女も残り一話!来週最終話です!
早い。あまりにも早い。
12話から13話であれだけ待たされたというのに、2期の進行スピードのせいであまりにも早いラストだと思ってしまいます。今回、ミオリネはプロスペラに対して「家族になるんだから!」と力強く宣言しましたが、それもエリクトのラストシーンでどうなることやら…。
note執筆者としての私も、この記事を含めて水星の魔女記事は7本目。もはや水星の魔女というアニメに育てられたという気さえします。多分間違ってないですね。
このアニメをリアルタイムで追うことができたことは、私の人生の中でもひときわ誇れることになると思います。もちろん、放映中にこうしてnoteを書くことができたことも。

もはや、私にできる事は今週末の最終話を見届けることだけ!期待は最高潮!きっと皆さんも同じ気持ちでしょう。
そうして最終話を待つ私の心持ちはずばり、「最後まで全力で楽しむ」、です!

長くなりましたが、今回の記事はこれで終わりです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!



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