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逃げなさい、その温かい庇護の下から。――異種格闘技型朗読劇「TAMERS」の感想と、モチーフになった「人形の家」との比較。

序文

 先日、よみうりホールにて公演された、異種格闘技型朗読劇「TAMERS」を拝見しました。『異種格闘技型』というのは『異業種のみなさんが集まって』という意味らしく、俳優さんの他に声優さんや芸人さんも一緒になって台本を読むことで劇にするといった試みです。芸人さんとしてはシソンヌさんらが参加していらして、特にじろうさんの演技はかなり役に入り込んでいらっしゃったように思います。

 表題にも書いた通り、本作「TAMERS」はイプセンの「人形の家」という脚本を現代風にアレンジしたものとなっています。舞台は第三次大戦後の近未来に代わり、家はバーチャル空間に、捕らえられている(とあえて書きますが)のは哀れな妻・ノーラから、自立起動型AI・テイへと改変されています。

 舞台の中央には『家』をイメージしてか巨大な立方形の白い構造物があり、そこへ色々な映像をプロジェクションマッピングのように投影することで作品表現に厚みを出していました。また、劇中音楽も舞台の前に座るふたりの音楽家さんがバイオリンと(よく見えなかったのですが)シンセサイザーでリアルタイム演奏するという驚きの演出。ホールに反響する声と音、映像が重なり合って、大変興味深い体験ができました。こういった経験は久々です。

 さて、演出に関しては私は結構好きだったのですが、では物語に関してはというと、残念ながら『入り込みきれなかった』という印象でした。これは、事前に『人形の家』をモチーフにしていると知っていたせいもあるかも知れません。似たようなテーマの作品を期待しすぎていたのです。

 まず、「TAMERS」のあらすじを簡単に説明しておきます。本舞台はすでに千秋楽を迎えていますが、DVD化される予定がある模様なので、ネタバレを気にされる方はここまででブラウザバック推奨です。ただ、私が合わなかっただけで見るべきところのたくさんある作品ですので、機会がありましたらぜひご覧ください。原作との比較も楽しいかも知れません。

「TAMERS」あらすじ

 第三次大戦後の未来で、新たな戦争の火種となりうる緊張状態が、戦闘ドローンによって発生させられた。ドローンに司令を出していたのは、自立型AI・テイ。だがネットワークは遮断されていたはず。それなのにどうやって……? 原因を探るべく、ふたりの研究者が、テイが住んでいる家(=バーチャル空間)へとダイブし、事情を探りにいくことに。テイはふたりを「おかえりなさい」と出迎えます。ふたりの研究者、リエとショウカは元夫婦、そしてAI・テイの生みの親となったプログラマーだったのでした。テイの元には謎のAI・カイもいて、話によるとテイが自分のデータを元に作った『息子』だと言う。子どものような言動を繰り返すカイですが、やがてふたりは、そのカイこそが、新たな戦争の火種を起こしている張本人だと知り……?

 いわゆるAIの反乱ものの筋書きで、最後はテイが自分のプログラムを犠牲にしてカイに戦争の火種となる緊張状態を作るのをやめさせ、代わりに、人類のためになる活動をするようカイに伝えて、家=バーチャル空間から外のネットワークへと解き放つ、というラストになっています。

「TAMERS」見所/人に愛想を尽かしたAI

 この筋書き自体は王道な展開なのですが、独自性があったのはAI・カイのセリフです。人間側がいくら『戦争なんてよくない、本当は辞めさせたい』と言ってもそれを『他人のせいにするなよ』と断じて一向に説得されてくれない。『戦争を起こそうとしている人間は少なくて、大勢はしたいと思ってない』という人間側のセリフに対して『でもその少量の、戦争をしたい人を産んだのは人間だ。全人類に罪がある。他人のせいにするな』と返すのが人工知能らしい冷徹さがあってよかったです。何かこう……いじめ事件においての『傍観者も加害者』理論みたいだとでもいいますか、遠くの地で起きた戦争を対岸の火事として傍観している私は、結構痛いところを突かれました汗。

 また、この作品は大団円で終わるのですが、一箇所どうにも手放しで喜ぶわけにはいかないところがありまして、このカイという聞かん坊のAIを納得させることが、最終的に誰にもできないんですね。なのでどうしたのかというと、ウィルスでデータを破壊して、テイがカイのデータをアップデートしちゃうんです。人類のためになることをしたくなるように。劇中では一見大団円風の演出がなされていましたが、これは説得ではなくて戦争なんですよ笑汗。洗脳、調教と行ってもいい。作中で『犬』のエピソードが登場していますが、まさに、野生の狼を調教し、飼い慣らし、人間に従順な種に改変してしまうような、そういう行為でしかカイを止めることができていなかった。個人的にはその方向性自体は結構好きで、皮肉が利いていていいなあと思ったのですが、結末の雰囲気が大団円的だったので、どこまで意図されているのだろうか、というのは少し疑問が残りました。この時代に劇を見る人に少しでも気持ちよく帰ってもらいたいということで『良い話』にしたかったのかも知れないのですが、うーむ……

 ただ、話の筋についてはともかく、シソンヌ・じろうさんが演じているこのAI・カイの声色は本当に素晴らしかったです。ひねた子どものような憎たらしーい感じが良く出ていて、戦争による人口減少と人類の管理を目的とする無邪気な悪者というギャップがうまーく出ていました。途中、『声色を変えたら説得力が出るかな?』とすごく真面目な声に変わったり、電子音声っぽい声も出してらっしゃるのですが、そういった演じ分けも絶妙でした。素晴らしい演技だったと思います。

「人形の家」とのテーマ的相違/逃げなさい、その温かい庇護の下から。

 さて、ここから先は蛇足というか、原作「人形の家」に絡めてのお話になってしまうのですが、ご了承頂ければと思います。本作「TAMERS」は「人形の家」とは結構離れた話というか、テーマが違っていた印象でした。

「人形の家」という作品は、とある夫婦のお話です。大きな家を持ち、今度銀行の頭取になることが決まった夫・ヘルメルと、その妻・ノーラ。主人公となるのはノーラの方ですね。ノーラはよかれと思って借用書を偽造した過去があり、それが夫の進退を脅かしてしまう、という事件が起こります。そして、その事件自体はなんとか解決されるのですが、それまでに交わされた夫の心ない言葉や横柄な態度から、ノーラは自分が夫にとって、ただかわいがるためだけに傍へ置いている愛玩動物のような存在だったことに気づきます。最後、ノーラは夫を見限り、自分を引き止めようと慌てふためく夫を尻目に、家を出て行きます。

 つまり「人形の家」のテーマ、コンセプトは『庇護下からの自立』です。自分に良い住まいと食事と寝床を用意してくれる、しかしそれゆえに一人前の人間扱いしてくれない夫。あるいは家族や、社会。そんな相手を見限って、一人の人間として生きていくために、外へ飛び出しましょう。その温かい庇護下から、勇気を持って逃げ出しましょう。誇り高く生きるために。そういう行為・考え方について、この作品は書いている。いわば飼い犬が脱走して、野生に帰る話と言ってもいいかも知れません。ですから今回、『人形の家』がモチーフになった話と聞いて、私は現代で『自立』というテーマを扱うならどんな作品がくるんだろう、と結構そこへの期待値を上げちゃっていたんですね……笑汗。

「TAMERS」は人間を見限ったAIが自立する話、と言えないこともありません。カイが人間を救うためには意図的に人口を減らすしかないと考え、自分の管理下に置こうと思った、その部分は確かに、自立心が芽生えたととっても良いでしょう。しかし先ほど説明したように、このAI・カイはウィルスによって破壊され、手懐けられ、人類のためにがんばるぞー! というモチベーションに人格が変わってしまう。これでは再び『繋がれた犬』になっただけではないのか……と、「人形の家」的な文脈から考えていた私はちょっと納得がいかなかった。個人的には『人間のためになることをしろって言う癖に、戦争を起こして人口を減らすのはダメ、人間社会を管理するのもダメ、わがままばっかり! もう知らん!』と、AIが人間に愛想をつかしてネットの闇に消えてしまう話になるのかなーと思っていたのですが……さすがにちょっと事前情報に囚われ過ぎました汗。

まとめ

 とはいえ、そういうことを抜きにして考えれば面白い劇でしたし、演劇ってどんどん進化しているんだな、と驚かされる内容でした。プロジェクションマッピング的に使われた映像の中で、深海魚がうねるように泳いでいく映像があるのですが、あれが結構怖くて、しっかりゾッとさせられました。短い時間の映像でしたが、ああいった演出を今後も取り入れていけるのであれば、演劇という表現手法は今後どんどん発展していくのではないかと思います。こんなご時世ですが、今後も『異種格闘技型朗読劇』、追いかけていきたいと思います。本日は長々としたご感想、お読みいただきありがとうございました!

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