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猟奇殺人の芸術性はヴィジュアルとは別のところにあるという話――イド:インヴェイデッド


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 おはようございます、渡柏きなこです。

 今回は『イド:インヴェイデッド』という作品を見て、考えたことを書きます。

 といってもそれはタイトル通りで、『猟奇殺人の芸術性はヴィジュアルとは別のところにある』という話をします。

 この記事ではたくさんの作品を関連づけて語ります。重大なネタバレはしないようにします。登場するのは『イド:インヴェイデッド』『ハウスジャックビルト』『ハンニバル(ドラマ版)』『クィーンズギャンビット』『ヒカルの碁』『ブルーピリオド』などです。全部知っている人はお友達になってください。

 さて、ではさっそくいきます。

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 フィクションで描かれる『猟奇殺人もの』、その王道パターンは以下のような物です。ある日、巷でとんでもない状態の殺人死体が発見された。明らかに普通の死体じゃなく、しかもそれは何件目かの発見。つまり連続殺人事件だ。その猟奇性から異常犯罪捜査官が呼ばれ、遺体や現場のプロファイルが始まる。ちょっとした慰留物や死体の状態から犯人の思考を辿った捜査官は、次の標的や犯人の人物像を突き止め、ちょっとしたアクションシーンが入って、その後犯人を逮捕する。こんな感じ。

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『猟奇殺人』を『芸術』だと捉える旨の発言が、この手の作品にはしばしば登場しますよね。自分が作った遺体を『作品』と呼ぶ犯人もいます。ですが『芸術』とは、美しいものをさす言葉ではありません。綺麗な夜空は大自然が作った物で、いくら美しくても芸術ではない。しかしその夜空を描いた絵、あるは撮影して写真にすれば、それは芸術となる。何故ならそこに『表現者の意図』が入るからです。漠然と綺麗なものが芸術なのではなく、深い意図が隠れているものをこそ、人は芸術と呼ぶ。

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 例えばこの絵を見てください。ゴッホの『星月夜』という作品です。美術館で一枚の絵の前で立ち止まり、ずっと動かない人は何を考えているか? 私の場合だけかも知れませんが、こう考えています。『何故こう描こうとしたのだろうか?』と。絵は意図の塊です。この構図を意図したのはゴッホ、空の描き方を意図したのもゴッホ、画面左に黒い木(あるいは塔)を描こうとしたのもゴッホ、星をこの色にしようと思ったのもゴッホです。ゴッホだらけ。ゴッホまみれ。

 彼は何故この構図にしたのだろうか? 何故空はこんな描き方をされていて、画面左に木があるのは何故なんだろうか? もしかしてそれらには、共通する意図が隠れているのではないか? そんなことを考えているから、一枚の絵の前にずっと立ち止まってしまうのです。ようは『絵』を通して、作者の『意識』を読解しているわけですね。

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 はい、ではここから『絵=猟奇殺人』、『絵の前で立ち止まる人=捜査官』だと考えてください。

 猟奇殺人と芸術の相似性は、ここにあります。猟奇遺体とは殺人者が人の命を使って作成した不謹慎なオブジェであり、捜査官はそれを読解し、意図を読み込む熱心なファン。オブジェが持つ後ろ暗い美しさやグロテスクさは、アイキャッチではあっても本質ではないんです。そこに意図がないなら、それはただ見た目が特徴的なだけ。意図のない制作物はどんどん奇抜になるだけで、いずれすぐ頭打ちになるでしょう。自分が何をもって綺麗だ、あるいはグロテスクだと思うのか? その基準がなければ、つきつめていくことはできない。

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 芸術家というのは幼少期にトラウマを抱えていたりするものです。他にもコンプレックスとか、他の人にはない苦しみとか。まあ人間なんて大体個人のトラウマ、コンプレックス、苦しみがあるものなので、芸術家になる人というのはそれを深いところまで掘り下げた人だとか、それを表現する手段を探究し続けた人だということになります。しかしそうやって頑張って表現したとしても、それを読み解いてくれる人がいなければ、それは『なんかすごいもの』くらいのインパクトしか与えられません。

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 表現者には読解してくれる人が必要です。作品に込められた意図を感じ取り、読み解き、理解してくれる特別な評価者。それが芸術には必要なのです。あるいは同じく、猟奇殺人にも。私がフィクションとして猟奇殺人物が好きなのは、その構造が含まれているからだと思います。あるいはそれを見る読者=私がその理解者の位置に入ってもいい。そういう作品は文学とか文学的だとか言われていて、作中に理解者が存在しない構造を取るわけですね。

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『イド:インヴェイデッド』が突出していたのはそこで、この作品は『遺体』というよりも『遺体が置いてある世界』そのものが犯人の深層心理の表現物として機能しています。お陰で私は、表現物が何も死体に限らないということに気づき、猟奇殺人物の構造と芸術の構造が近いことにも気づけた。そして自分にとって、その構造があるかないかが、作品が面白いか否かの判定に大きく影響しているということも。

 こう見ると『猟奇殺人物』は、同じ『芸術の構造』を持つという点から、色んな作品と相似関係にあると言うことができます。例えば『クィーンズギャンビット』や『ヒカルの碁』。ボードゲームが題材になる作品では、主人公がある局面で放った一手が表現物として機能する場合があります。天才的な才能を持つ主人公が無意識的に放った一手、それを見た対戦者は「馬鹿な……!? なんだこの手は!?」と驚愕し、その手に込められた意図に戦慄するわけです。

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 また、『ブルーピリオド』はまさしく絵を描く物語ですが、主人公が自分のことを理解しておらず、自分は何を思っているかを自己精察しながら話が進んでいくので、表現者=自分自身という形でこの構造が成り立っています。『俺って何を描いてるんだろう?』そう自問自答する主人公が、単体で表現者・読解者を兼ねているのです。

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 いかがだったでしょうか? 猟奇殺人事件と芸術が持つ構造の関連性について書いてきましたが、猟奇殺人物に対して、そこが面白ポイントだった人と、そうじゃない人がいると思います。なので単純にグロい話が好き、死体のビジュアルが好きという方はあまりピンと来なかったかも知れませんが、そこがまさに自分が面白いと感じている部分だった、という人がひとりでもいたなら、この記事を書いて良かったと思います。そういう方は本記事で例示したお話たち、多分楽しく読むことができると思うので、知らない作品がありましたらぜひご覧ください。

『ID:INVADED』 https://www.netflix.com/title/80243535

『ハウスジャックビルト』 https://www.amazon.co.jp/dp/B0826DCVYJ

『クィーンズ・ギャンビッド』 https://www.netflix.com/title/80234304

『ヒカルの碁』 https://www.hulu.jp/hikaru-no-go

『ブルーピリオド』 https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000052420

 あと私、個人的に同人誌を作って即売会イベントなどで販売しておりまして、今回書いたような読解構造のある作品をネットで公開したりしています。もしご興味をお持ちになりましたら、ぜひ読んでみてください。怪異が出てくるミステリもので、ラブコメ要素もあります。楽しいですよきっと。

作品告知

【怪噺】第一話:オクリオオカミ 

それでは、今回はこの辺りで失礼いたします。またぜひどこかでお会いしましょう。お読みいただきありがとうございました🙇‍♂️

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