touch therapist マツモトサオリ

優しく触れることにより訪れる安心感や、ホットストーンで体の芯から変化する。 人生の岐路…

touch therapist マツモトサオリ

優しく触れることにより訪れる安心感や、ホットストーンで体の芯から変化する。 人生の岐路にたったとき、最善の「選択」ができる準備をお手伝い。 おててあてはそんなセラピーをご提供しています。

最近の記事

ニチニチマーケット

今日は熊本の大津町にある おもちゃのフラットソースさんにて ニチニチマーケットに参加させていただきました。 このニチニチマーケットに参加させていただくのはこれで4回目かな? いつもあたたかく、優しく 誰でもそこに「居場所」がある。 そんな感じ。 このお二人のお人柄ゆえ、この企画はいつも笑顔いっぱい! 私は20分間という短い間のリラクセーションをご提供させていただきました。 お馴染みの方も、はじめましての方もあり、とても充実した時間✨ 見渡せば、この前までお座りしか

    • 2023ボーナスポイント

      私、2023年は かなり人生のボーナスポイントを取得しております。 それは「初孫」が誕生したということでかなりなボーナスポイントだと思っています。 40歳を過ぎたあたりから早く孫が欲しいと思っていた私にとっては、思いもかけない喜びに満ち溢れております。 そしてその日から私の暮らしや、もっと言うなら生き方にも彩が加わったのです。 里帰り出産をした娘とお孫と愛犬と暮らす日々。 それはそれは目まぐるしく、でも楽しくて浮かれておりました。 出産からひと月経とうかという時 ピ

      • 出会いと別れ

        ボランティアをはじめて、これまでは出会うことのなかった方たちと出会うことになった。 入院をしている子 そのご家族 看護師さん 保育士さん 入院をしている子たち これがまたみんな面白い。 新生児から中学生まで、小児科病棟はとても賑やか。 出会った時は4歳だった男の子が、ボランティアでマッサージをされるのをとても楽しみにしていた。 ママに行うボランティアのはずなのに、ママのマッサージが終わって部屋を出てしまった私を呼ぶ。 しかも大声で(笑) 「まっさーじのひーとーーー‼︎ぼ

        • ボランティアをすること

          自然災害によって家屋を失った方、そして大切な家族やペットを失った方。 仮設住宅や避難所でのストレスフルな生活を余儀なくされた方など、最初に必要とされるのは瓦礫の撤去や住むところを設るためのマンパワー。 どこの地域にも、若い学生さんや、その活動に慣れた熟練者が多く入られています。 気持ちいい程手際も良く、もちろん嫌な顔なんて誰もしていない。 私たちのようなセラピストの登場は、彼らの少し後になることが多い。 ボランティアをする様になり、自分たちの立ち位置を把握すること、また

          わかっちゃいるけど

          本当に色んな方が居る。 それは40年ほど生きてきたその当時の私でもわかること。 セラピストとしてのデビューは、なんだかシコリが残った状態だったのですが… そこから沢山の良い方との出会いに恵まれるわけです。 口コミのみで向こう3ヶ月間お休みが取れないくらい予約が埋まる‼︎ そんな状態になっていました。 しかもその当時は60分を1日5名のご予約にしていたので、朝から晩まで仕事をしっぱなし。 いつしか予約の取れないサロンと言われるようになってしまったのです。 でもそれは長

          セラピストライフ

          私は39歳の時にそれまでの仕事を辞め、セラピストとして活動するために最初にはじめたのは…。 今でもたまーに書いているアメブロからでした。 当時、今のようにSNSも充実しておらず、mixiや Twitter、そしてアメブロくらいだったような記憶です。 前日まで食品メーカーの経理事務としと勤務していた私が、突然セラピストになります宣言をした訳ですが、どういう訳か「セラピスト」という肩書きを数年は名乗れなかった。 まぁ、この話はおいおいということで。 セラピストになるために

          つらつらかくこと4

          もうこれでやめとかないと、つらつらどころじゃ無い。 自分の生い立ちや、生きてきた記憶を呼び起こしていくと、きっとこのシリーズは100を超えてしまう。 という不安があるので、今回がファイナル(笑) 前回からかなり時間が経ってしまって何を書いていたか改めて読まなきゃいけなかった。 えっと…病気。 そう、掌蹠膿疱症に罹ってしまったあたりね。 この厄介な病気、私の場合症状が完全にひくまでは四年の歳月を要しました。 来る日も来る日も掌と足の裏の皮を剥き、翌日には新しい膿ができる。

          つらつらかくこと3

          もはや、これを連投していいのか問題(笑) まぁ、そんなこんなで体調を崩し、一旦仕切り直しの感がある私。 友人の紹介で、ある会社に就職。 毎朝7時に娘を保育園に送り、30分後には仕事場に着く。 当時、バレーボールもやっていて週に2日夜は体育館で練習。 しかも周りは上手い人だらけ。 私が現役だったのははるか昔の話で、人集めで呼ばれただけ。 容赦なく鍛えられたあの頃(笑) でも今思えば、あの時の…まさか子を産んでから始まった体育会系のノリが今の私の「負けるか」精神を作り出

          つらつらかくこと2

          婆ちゃんが死んだ 婆ちゃんが死んだ これは、嘘の様な本当の話、 今でも命日を覚えられない。 婆ちゃんが亡くなる前日 母から「サオリは死に目に立ち会わせたくない」と言われた。 理由は「連れて行かれるから」というもの。 正直な話、連れていってもらってもよかった。 まぁ、当然連れて行かれる訳もなく 私は心の拠り所を無くしただけに過ぎなかった。 その後、友人のご主人の紹介で知り合った人と恐ろしいスピード婚をした。 結納の日に妊娠していたことがわかったので、厳密には「出来て

          つらつらかくこと

          言葉を紡ぎ出すことに抵抗があるかと聞かれたら、あるかもしれないし、無いかもしれない。 その時の自分の状態で左右されることは往々にしてあります。 故に、つらつら書いているときは状態がよろしいのでしょう。 さてさて。 そんな私がこのnoteに手を出してしまった。 何書こうか。 とりあえず、私の自己紹介でもしとこうかな。 私は熊本市の平凡な家庭の次女として「残念賞」の掛け声とともに生まれました。 男の子を期待していた父に向かって、産院の看護師さんがその様に言われたと、小さ