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【掌編小説】切り株古墳の馴染む庭

 庭を掘り起こしていた。切り株を処理するためだ。
 その木は家の外壁に近く、窓際に植わっていたので視線を遮るには丁度良い木だったのだが、如何せん近すぎた。伸びた木の根が地面押し込み、長い年月によってコンクリが割れたのだ。
 僕にとってコンクリは石と同じようなものだから、それが根によって引き裂かれたなんてことは微塵も思いつかなかった。知識がなかったわけではないが、小さいひび割れが徐々に徐々に気付かないスピードで馴染むものだからそのひび割れがなかった頃を遡ろうにも思い出せない。破壊工作とはこういうことを言うのかもしれない。
 とはいえ、そんな工作員も妻の一声によって切り倒されてしまった。(実行犯はもちろん私だ)
 直径三十センチの工作員はとんでもないタフネスだった。まずはナタやノコギリで周囲の枝葉を切り取って禿げさせた。これだけでも午前が潰れた。切った枝葉を適度な長さに揃えて縛るのだが、もっさり茂った葉の中には虫がやはり隠れているので、援軍が期待できない。孤独の戦いというフレーズで自分を鼓舞し、妻が用意した炒飯を昼食に休憩した。
 リビングが明るい。
 枝葉の見えない窓ガラスは休憩するには明るすぎるようにも思えたが、気のせいだと一蹴されてしまった。撥ねつけておかないと午後から働かないと思われたのかもしれない。これも優しさだと思い込むことにした。
 以降の道具はノコギリのみになった。長く苦しい格闘が始まった。しかし、白状してしまうとこれは孤独な戦いとはならなかった。ノコギリの刃が木の幹の重みで動かなくなってしまったため、妻に幹を押してもらいながらの作業になったのだ。
 テレビで見たチェンソーを使用して大木を切り倒す姿を真似て、倒す方向に切り込みをいれたのだがなかなか倒れない。テコの原理だろうか。大木でないとそこまで効果がないのかもしれない。あるいは実感がないだけで効果があったのかもしれないが、実感を超える疲労が溜まった。夏場だったら即死していたかもしれない。もちろん冗談だ。嫌な記憶を過去に流すと大抵は冗談にできる。人生で一番利用したライフハックだ。
 そうこうしてようやく切り倒すことができた。
 被害はコンクリのひび割れの他、疲労、筋肉痛、虫刺され、切り倒した先にあった不運な植木鉢一つ、休日一つだ。得たものは質のいい睡眠、そして、切り株一つ。
 それを今日は掘り起こしていた。
 大した手を加えていない庭だから切り株にしてしまえばそのうち腐るだろうと楽観していたが、妻から衝撃の宣告を受けたのだ。どうやら切り株から芽が出るらしい。考えてみれば当たり前だ。いつの間にか現実逃避していたらしい。
 やらなければいけない労働を思うと目が回りそうだった。
 切り株に穴をたくさん空けて除草剤の原液を流し込む。それをビニールで包んで浸透させ腐らせることができる。さらに腐った切り株は地面に埋めておかないとバクテリアがなかなか分解してくれない。(地面に埋めずに腐らせたままにするとシロアリがくるらしい)
 なお、抜根は素人には無理だ。絶対にできないという確信がある。考えてもいけないとすら思う。そう信じている。宗教みたいなものだ。
 さて、切り株としては背が高い。埋めるにはもっと下から切らなくてはならない。下から切るには地面を掘り起こさないと技術的に難しい。なんて悲しい話なのだろうか。
 こうして庭を掘り起こすことになった。雑草の根とは明らかに違った木の根の感触に辟易しながら、地面を掘り起こす。土を掘り起こしていくと名前の分からないいろんな幼虫が出てきた。早々に孤独の戦いになった。
 土のくせにやたらと固く、石がごろごろと出てくるものだからスコップが全然刺さらない。木の根に一瞬白い新鮮な傷が見え、すぐに土に隠れる。強すぎる敵を前に絶望する主人公はこんな気持ちなのだろうかと思った。何度か敵を弱らせるために根に向けてノコギリを走らせたが、切りにくい。場所が悪いだけでなく、少し湿ってしなやかな根は固い以上に厄介だった。今までであった中で最強の敵だ。
 そういえば、蝉の幼虫を生で見るのは始めてだったように思う。少なくとも、記憶を遡れる範囲の過去には存在しない経験だ。珍しく感じはするが、有り難みは皆無だ。そして、悪気こそないが、この土は掘りにくい。構ってられるはずもなく、今年の夏は少しだけ静かになることが確定した。
 さて、なるべく地面に近い場所にノコギリの刃を当てる。根に近い方が直径は長く、そもそも体勢も悪い。難易度は跳ね上がっている。そのため、早々に諦めるようにした。具体的には複数の日に分けて行うことにしたのだ。前回の戦いで学んでいるのだ。こうして労力を分散させて一週間後、切り株が小さな切り株へと変貌した。新たに断面が開かれた瞬間は少しだけ世界が明るくなったような感動があったが、妻がすぐさま電動ドリルを用意してくれた。綺麗な断面はすぐさま蜂の巣になる。残念だと思う反面、穴から溢れるおが屑が生きた木のそれであったことに改めて敬意を感じさせられた。戦い倒した敵を弔うような心持ちだろう。
 墓石に酒を掛けるような姿をイメージしながら除草剤の原液を流し込む。
 ビニールを巻き付けて紐で縛る。
 土を被せて埋めていく。
 虫達の住処、跡地。土の盛り上がった小さな古墳ができあがった。
 ここがいずれまた庭に馴染むまで、少し明るくなったリビングで休憩しようと思う。
 妻が許してくれるまで。


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