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生きもの、命 -3-

「生きもの、命 -2-」のつづき
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③ 「効率」に囚われたものの見方

これも最近お気に入りの『Dearにっぽん』という番組で先日取り上げられていた、身寄りのない方の最期をお世話してくださるNPOの存在。「身内がいなくなったから」という高齢の方が多いそうですが、様々なことが起こる現代では年齢に関わらず、突然独り身になってしまうことも充分ありえると思いますので、決して他人事ではないと感じながら観ていました。

「NPO」と聞けば「じゃあ一人になったらそこにお任せすればいいよね」とか、「希少だから今から登録しておこう」など、単にお金さえ払えば受けられる"サービスの利用"、と捉えて効率よく考えようと思うかもしれませんが、これこそマンパワーが必要で、本格的な少子化時代を迎える中で長く続くものではないような気がします。しかし「効率」という考え方とは対極にいる、この施設の運営者の方々は、「長続きするかどうかではなく、今できることをやって、困っている人を救いたい」という思いで行動されているので、やはりこういう活動をされている方がたは理屈抜きで本当に素晴らしいと思います。

『PLAN75』を観た際にも客席に高齢の方がたくさんおられましたが、「自己責任だ」と切り捨てられていくような社会の雰囲気を皆さんどこかで感じておられて、心の中にある不安や葛藤を消し去ることが出来ないから、一方で、「人に迷惑をかけたくない」と周囲を思いやる人間の性のようなものを強く感じておられて、物語のあらすじを聞いただけでも身に迫るものがあったから、こんなにもたくさんの方がいらしゃっているのだろうなぁと感じました。

「高齢になったらもう生きている必要がないのかもしれない」と、そんな風に思わなくてもいい社会にしていく必要があるのだと思います。

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「少子高齢化の時代がやってきます」とずっと以前に専門家が予測をし、起るであろう「結果」に対して「どう対応しようか」と、いわゆる西洋医学の対症療法のような対応をしようとし、例えば、「では子供を増やすために保育環境を見直そう」と目を向けてみたら、その保育現場は人手不足、入園待ち、子供が増える前に既に大変な状況になっていた、ということもあり、そうすると別の人が「保育士さんの就業環境を改善した方が良い」と訴え、今まで見過ごしてきた様々な社会の問題が浮き彫りになってゆき、その一つひとつの解決策を考えている間に、少子高齢化は加速している、そんな状況なのではないかと思います。

つまり、フォーカスするものを間違えているということ。「子供が増えさえすればいいのか」という問題は別にして、例えば「女性が出産したいと思える環境を作ろう」という課題があったとしても、おそらく女性からしたら「そこじゃない」となるのでは?とよく思いますし、「そもそも女性に大きな負担をかけ続けてきた社会の在り方が問題であるのに、これ以上女性に問題があるかのような状況をつくるのですか?」と言われても仕方がないようなことばかり議論されていると思います。

今の国会の議論を時々眺めていても思いますが、たいてい「結果」が出そうになってから「対症」しようとする、これも「効率」を考えているためではないかと思いますが、既に結果が見えている段階では成果が出にくいものもあり、最終的に効率的ではなくなっていた、ということが多いのではと思います。

ですので、東洋医学のそれと同じように「根本原因」を改善していくことで望む「結果」にたどりつこうという考え方が、本当に問題を解決したいのであれば必要で、また昨年の大河ドラマでも話題となった渋沢栄一さんのように、未来を見据えて「こういう社会に変えていこう」と多くの方が共感できるようなビジョンを打ち立てて改革をしていくことが本来の政治なのではないのかなと、私は思います。(選挙の時には”わが党のビジョンです!”と一応ビジョンは立っていて、選挙後も一応唱えておられますが、実現されない、現実味がない、又はあまり共感を呼んでいないというのが実情かもしれません...)


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そして現実のものとしないために・・

そう考えると、①~③のようなことも火種は既にあると思われるので、それがエスカレートすれば、映画のようなことが起こり得る可能性も0ではないのかもしれないと思いました。

つまり、人の思いの集積が間違った方向に向かうと、追い詰められた時に恐ろしいことも起きてしまうということで、戦争にしても、日本も過去に多くの過ちを犯して来ましたが、今回のウクライナ侵攻についても、「どちらが悪いか」という議論だけで終わりにするのではなく、そこには、「人の命は尊い、奪ってはならない」という、子どもでも分かるようなことが分からない方の発する「思いのエネルギー」が存在しているのであり、そういう思いを持っている人々がまだまだ多いために、第二次大戦から77年経った今でも世界の紛争は無くならない、ということで、この『PLAN75』に描かれる世界でも、戦闘こそ起こっていないものの、命の尊さについて考えが及ばず、結局同じような思考が存在しているから、この映画の世界の中で、そんな法律が成立してしまったのではないかと思いました。

だとすれば、戦争はもちろんのこと、未来にこのようなことを起こさない為には、「命とは何か、どう扱うべきものか」について一人ひとりが改めて考え、話し、思いを共有していく必要があるのではないかと思います。


「生きもの、命 -4-」へつづく・・


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