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凡人の憧れ



友人と話した。

この友人というのは、小中高は別だが地元は同じ。

大学は同じだが、関係を言葉にするのは難しい関係で、

出会いが大学というわけではなく、イベントでたまたま同じになった。そんな友人だ。

私が言うのも失礼な話だが、その友人は

変わり者だ。

でも考え方が似ているようで全く違って、でもその違いをお互いに楽しめる、そんな関係だ。

(少なからず私はそう思っている)


「憧れ」に対する考え方。


私は、憧れは憧れのままであって、でもそれだからこそ、夢があって素敵だと思う。

しかし、友人はその憧れを憧れに留めず、自分でもやってみたいと挑戦するらしい。

私の根本にはきっと、諦めに近い何かがあるのだろうけれども、それは諦めという程後ろ向きなものでもない。

例えば、私は昔から書道をやっていて、人生の半分どころか、21年のうち15年以上は書に触れてきた人間である。しかし、だからと言って書を職にしようとは全く考えたことはない。またお得意の能書きになるが、一応あらゆる大会で賞をいただいたことがあるものの、それは職は愚か、大学で学びたいことの一つにも入ってこなかった。

これは芸術の道で飯を食うのは難しいという固定概念と、諦めが存在したと見ることもできる。(実際にその側面を否定はできない)

がしかし、私は趣味として書をするくらいでちょうどいいとすら考え始め、むしろ趣味だからこそ楽しいのではないかというある種の錯覚に至っているのかもしれない。

そうやって、諦めが根底にあるからこそ、絵や書、音楽で飯を食っていく覚悟をしている人たち(友人もそれにあたるが)に対して、憧れを抱く。

「ロマンがあるな」

と。

それは決して、そんなんじゃ飯食えないよという非難の目ではなく、ただ羨ましいのだ。自分には根本的になかった考え方。それを目の前でやってのける姿がかっこいい。そんなところである。

度々登場するこの友人は、バンドも好きらしい。好きがこうじて、実際にギターなんかも買ったらしい。ドラマーを好きになったこともあるらしく、ドラムも習ったがこっちは3ヶ月でやめてしまったらしい。

しかし、この挑戦の精神こそ私の憧れにあたるのではないだろうか。「とりあえず」やってみる、その精神が芸術を生み出すのかもしれないとさえ思える。


なんやかんや長ったらしく語っているが

別に自己否定の趣味があるわけではなく、

どちらかと言えば、というより

しっかりちゃんと

自分のことは好きだ。

むしろ他の人より自己受容は強い。


まあ、結論を言いますと、

何事もロマンがあるな、で

留める自分も好きだし

挑戦できる人たちも好きだ

っていうしょうもないことです。


今日の書↓↓

無題264_20200829001546~2

何をどう表現しても

結局は自分は

「凡人」だという変わらないという

話とまとめましょうか。


今日の写真↓↓

どの写真をとうこうしていないかということすら

わからなくなってしまいましたので、

最近のお気に入りを貼ります(◍•ᴗ•◍)

画像2




誰かが見ているということを

前提にSNSをしているが

見ている人が少ないであろう(むしろ0かも)

このNoteは書きたいことを書けるから

楽でいいな。



ーーーーー
 これは大学生のときに書いて下書きにしていたものです。懐古主義ではありませんが、当時の自分を投影しているようで美しく、そしてこの文章すらこの感性すら儚いものだと実感している現在の私です。でもこのときの自分の感性が一番美しかったなと思います。今もこれに届きますように(2023.02.25)

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