見出し画像

舞台感想 テラヤマキャバレー

凪七瑠海さんが外部出演されている作品「テラヤマキャバレー」を見てまいりました。
主演は、香取慎吾さん。登場した時のスターのオーラっていうものが凄いです。本物のスターさんだなあって感心しました。

さて、どんな作品かといいますとHPには
没後40年を迎え、その稀有な才能に再び注目が集まる寺山修司。もし寺山が今生きていたら、何を思い、何を表現したのか。虚実に満ちた寺山のパワフルな世界が、新進気鋭の作家池田亮の脚本とデヴィッド・ルヴォーの演出、香取慎吾主演で立ち上がります。舞台は生と死が交錯するキャバレー。寺山の詞による多くの昭和の名曲を織り交ぜた、これまでにない驚きの音楽劇。
とあります。

HPによるストーリーは
1983年5月3日(火)、寺山修司はまもなくその生涯を終えようとしていた。寺山の脳内では、彼を慕う劇団員がキャバレーに集まっている。寺山が戯曲『手紙』のリハーサルを劇団員と始めたところへ、死が彼のもとにやってきた。死ぬのはまだ早いと、リハーサルを続けようとする寺山。死は彼に日が昇るまでの時間と、過去や未来へと自由に飛べるマッチ3本を与える。その代わりに感動する芝居を見せてくれ、と。

寺山は戯曲を書き続けるが、行き詰まってしまう。そこで、死はマッチを擦るようにすすめた。1本目、飛んだのは過去。近松門左衛門による人形浄瑠璃「曽根崎心中」の稽古場だ。近松の創作を目の当たりにしたことで、寺山の記憶が掻き立てられる。2本目は近未来、2024年のバレンタインデーの歌舞伎町へ。ことばを失くした家出女や黒蝶服、エセ寺山らがたむろするこの界隈。乱闘が始まり、その騒ぎはキャバレーにまで伝播。よりけたたましく、激しく肉体がぶつかり合う。

寺山は知っている。今書いている戯曲が、死を感動させられそうもない、そして自身も満足できないことを。いまわの時まで残りわずか。寺山は書き続けた原稿を捨て、最後のリハーサルへと向かう。

これは、きっと難解だろうな……
と覚悟していきましたが、やはり難解でした。
時折、うとうとっとしてしまうので余計にストーリーがわからなくなってしまいました。

寺山修司という名前は知っているけれど、彼の舞台を観に行ったことはありません。アングラ演劇というものは理解できないという思い込みもあって敬遠していましたし。

だから、私には荷が重い作品でした。

この作品では「言葉」がキーワードになっていたようです。
劇場で、生身の人間がかわす「言葉」
SNSに氾濫する「文字」とは別の「言葉」だというように感じられました。
人の感情や、熱や、想像力、創造力。
人間だからこその思考と肉体から生まれ出て来る様々なものは、たとえそれが暴力的なものであったとしても愛おしい。
そんな風にも感じられました。

寺山修司さんが残された「言葉」はきっと素晴らしいものが多くあるのだと思います。
私のようにそれを知らない人間には、この作品の良さが理解できない悲しさがありますけれど、トンチンカンに理解していたとしても、それが私の感じ方なのだから、それで良いのかなと思います。

出演者の印象は、香取慎吾さんのスター性には目を見張りました。

そして、かちゃさんの「死」の美しさ。
白いお衣装なので、「天使」のような「死」に見えました。
二幕頭の歌も心に沁みましたね~

そして、蚊の伊礼彼方さんと青肺の横山賀三さん。
青肺の「時には母のない子のように」はとても良かった。
登場人物をつないでいくような不思議な蚊の存在も面白かったです。伊礼さんのお歌をもうちょっと聞きたかったな……

舞台装置が素敵でした。
バンドの方をのせたまま動くのも良いし、時計のデザインも洒落ています。登場人物の様々な衣装も、そのへんてこさがこの物語や装置にあっていて、キャバレーっぽいライティングも良かったです。

難解で、よくわからなかった作品だけれど、
生身の人間が目の前で演じる舞台作品を劇場に観に行くって、
こうして感想を持った記憶が私の中に残るだけで、
昨日の私と今日の私が違う私になっている
そんな変化が楽しいものです。


過去の舞台感想はこちら
宝塚歌劇 舞台感想まとめ|おとぼけ男爵 (note.com)

宝塚OGさん出演の舞台感想はこちら
宝塚OGさん出演 舞台感想まとめ|おとぼけ男爵 (note.com)

宝塚以外の舞台感想はこちら
宝塚歌劇以外の舞台、映画感想まとめ|おとぼけ男爵 (note.com)


この記事が参加している募集

舞台感想

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?